みことばの花 201130「最多」

みことばの花 201130「最多」

「…しかし、罪の増し加わったところには、恵みもますます満ちあふれた。」(ローマ 5:20 口語訳)

ここのところ、「最多」という言葉が耳に止まります。何のことかといいますとそれは新型コロナ感染の報告。
今朝も、「東京のコロナ感染数は、日曜日としては過去最多」とか「重傷者最多462人」とかの報道が流れました。
このような折、一つの聖句が浮かびました。それが上記です。
新型コロナと罪は直接には無関係かも知れませんが、なぜかこのみ言葉が浮かぶのです。
罪は人を永遠の死に至らすもので、とても嫌なもの。
罪の究極は「愛の神を必要としないと思うことだ」とある神学者は語っています。
愛の神から心の目をそらそうとする人間に、それでも神は見捨てず、「恵みもますます満ちあふれた」と語る。
今日、その恵みを数えてみませんか。

磯部豊喜

みことばの花 201129「掃除」

みことばの花 201129「掃除」

「そして、戻ってみると、家は掃除をして、整えられていた。」(ルカ 11:25 口語訳)

今日は教会の年末大掃除。年末には各家庭でも大掃除をして、正月を迎えるのではないかと思います。
私は掃除中に一番迷うのが、「これは捨てるべきか残すべきか」などという哲学的考察をしてしまって掃除の手が止まることです。
さて、上記の聖句は「掃除」の話。聖書に「掃除」という言葉の登場する唯一の物語。
「掃除」されている家は気持ちの良いものです。
ですがこの話では、きれいに整えられた所に、「汚れた霊」が戻ってきて、悪いほかの七つの霊を連れてきて、住み着くという。
これは人の心をあらわすたとえです。人の心も油断していると、すぐに「汚れた霊」に支配されるという教訓です。
掃除されて空いた部屋には、何かを入れなくてはならない。
まず心に愛の主キリストをお迎えしたい。そうすれば大丈夫。心の部屋作り注意したい。
今週も主の守りがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 201128「父の子となる」

みことばの花 201128「父の子となる」

「『隣り人を愛し、敵を憎め』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。しかし、わたしはあなたがたに言う。
敵を愛し、迫害する者のために祈れ。こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである。…」(マタイ 5:43~45 口語訳)

上記は、果たしてどれほどの人々に受け入れられる言葉でしょうか。
相手は敵なのです。自分の身(存在)を脅かす者です。人は一生の間、きっとどこかに敵という存在に出会うと思います。
気の合わない人、考え方や価値観の異なる者に出会わない人はいないと思う。
こういう人に出会って、上記の言葉を聞いたとしても納得し難い。
しかしこれは神の御子キリストの教え。キリストは「敵を愛し、迫害する者のために祈れ」という。
これは相手のためというより、自分の心の安定のための教えかも知れません。
憎しみの心は、人の心から平和を奪います。ですが敵のために祈るとき、人には届かない世界に入っている。父(神)の子を特徴づける世界に入っている。
父の子となれるならば、この祈りをささげたい。
ハッピーサバス!

磯部豊喜

みことばの花 201126「父よ、彼らを①」

みことばの花201126「父よ、彼らを①」

「イスラエルの王は彼らを見て、エリシャに言った、『わが父よ、彼らを撃ち殺しましょうか。彼らを撃ち殺しましょうか』。」(列王下 6:21 口語訳) 

聖書には、「父よ、彼らを」という言葉を調べてみますと、二か所あります。その一つが、上記の聖句です。
イスラエルと戦っていたスリヤの王が、自分たちの作戦がイスラエルに筒抜けなのを知り、エリシャと呼ばれる預言者のわざであることがわかりました。
そこでスリヤの王は、エリシャを捕らえるために大軍を送ります。
ところがエリシャが神に祈ったときにスリヤ軍は目をくらまされ、そのままイスラエルの捕虜になったのです。
この時、イスラエルの王がエリシャに語ったのが上記の言葉です。
敵は袋のネズミ。敵を滅ぼす機会だとイスラエルの王は考えます。
しかしエリシャは答えます。「それはならぬ、むしろ彼らの腹を満たして国に返しなさい」と。
ここに敵をゆるすという神の世界があります。

磯部豊喜

みことばの花 201125「模範」

みことばの花 201125「模範」 

「あなた自身を良いわざの模範として示し、人を教える場合には、清廉と謹厳とをもってし、」(テトス 2:7 口語訳)

こんな会話を読みました。「(ミニゴルフ場の受付にて)『入場料はいくらかい?』とボビー。
『大人が3ドルで、7歳以上の子供も3ドル。6歳まではタダだよ』とチケット売り場の若い男が答えた。
『エ~と、こっちの将来の弁護士さんが3歳で、あっちにいる将来のドクターが7歳だから、僕も入れて6ドルだな』とボビーが言うと、
『お客さん、…うまくやれば3ドルの節約が出来たんだぜ。上の息子が6歳だって言っておけば、俺にはわかりぁしなかったのに』。
ボビーは答えた。『確かに君のおっしゃる通りかも知れない。
だがね、私の息子たちは、自分たちが何歳なのか知っているんだよ。しかも、嘘と本当の違いも分かっている』」(「こころのチキンスープ」より)。
さて聖書に「あなた自身を良いわざの模範として示し」と教えられています。
嘘のまかり通るこの時代にあって、正直な模範を歩めたら素晴らしいと思います。
今日も主の恵みがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 201124「南」 

みことばの花 201124「南」 

「彼は北斗、オリオン、/プレアデスおよび南の密室を造られた。」(ヨブ記 9:9 口語訳)

昨日は「北」について私なりの瞑想をしてみました。
では反対方面の「南」はどうか。上記には、「南の密室」という語句が登場します。これを「南の星座」と訳す聖書もあります。
「密室」の原語は、「cheder」と読まれるヘブライ語。「密室」の他、「家、内、奥の間、へや、寝室」の意味もあるそうです。
私は「南の密室」とは、神様の「秘密の部屋」を連想します。これは、神のおられる「天の聖所」を指す言葉なのかも知れません。
いずれにしても、「北」とは異なり「南」は神様と深いつながりをあらわす方角。
他にも、「南風によって地が穏やかになる時、/あなたの着物が熱くなることを」(ヨブ37:17 口語訳)とか、
「神は天に東風を吹かせ、み力をもって南風を導かれた」(詩篇78:26 口語訳)という聖句があります。
南風には、愛の神の風を想像させます。私も神の「南風」に温められ、この「南風」のように、冷えた人の心を温められたらと心から願うのです。

磯部豊喜

みことばの花 201123「北」

みことばの花 201123「北」

「あなたはさきに心のうちに言った、『わたしは天にのぼり、わたしの王座を高く神の星の上におき、北の果なる集会の山に座し、」(イザヤ 14:13 口語訳)

冬というと「北」のイメージが浮かびます。
ところで物の本に、「北」という文字は、人が背中合わせに膝を曲げ手を前に伸ばして立っている姿が文字になったとありました(日本テレビ放送網KK発行)。
「背中」の背の中にも北が入っていますが、「背」は「背く」の背でもあります。
さて、聖書を読みますと「北」は悪魔(サタン)に結びつく言葉の色合いが強い。
上記聖句の「あなた」は「悪魔(サタン)」を指す言葉。彼は「北」が好きなようです。
ところで悪魔(サタン)は神(キリスト)と戦って、天を追放されました。言い換えれば、彼は「敗北」した。
戦って負けることを「敗北」と書きますが、「敗東」「敗西」「敗南」とは書かない。
どんなに彼が誇ろうとも、彼は神には勝てない。ちょうど北風が太陽の温かさに勝てないように。
したがって私は、北向きよりも、南向きに心を置きたい。
批判より支持、欠点より良い点を見、否定より応援の思いを育てたいのです。

磯部豊喜

みことばの花 201122「葬式と結婚式」

みことばの花 201122「葬式と結婚式」

「すなわち、わたしたちは、その死にあずかるバプテスマによって、彼と共に葬られたのである。
それは、キリストが父の栄光によって、死人の中からよみがえらされたように、わたしたちもまた、新しいいのちに生きるためである。」(ローマ 6:4 口語訳)

今日私は、午前に葬式、午後に結婚式の司式をすることになりました。
葬式では「さあ、チーズ(笑顔で)」は禁句。結婚式では「お悔み申しあげます」とは言えない。果たして頭の切り替えが器用に出来るであろうか。
ところで、キリスト教には、葬式と結婚式が同時に進行するようなものがあります。それはバプテスマです。
罪の生活に死に(葬式)、新郎であるキリストを心に迎え新しいいのちに生きる(結婚式)のです。
葬式は悲しく、結婚式は喜ぶのが普通でありますが、葬式を迎えても、やがて命に復活し、天国に凱旋する「神の恵み」がわかれば、それは喜びとなるのです。
そういえば、今日は1122(いい夫婦)の日!
主の恵みが今日もありますように!

磯部豊喜

みことばの花 201121「神の恵み」

みことばの花 201121「神の恵み」

「しかし、神の恵みによって、わたしは今日あるを得ているのである。そして、わたしに賜わった神の恵みはむだにならず、むしろ、わたしは彼らの中のだれよりも多く働いてきた。しかしそれは、わたし自身ではなく、わたしと共にあった神の恵みである。」(Ⅰコリント 15:10 口語訳)

クリスチャン家庭でその子の名に多用される漢字は何かとふと思う時があります。
「愛」「信」「真」「希」…などが予想されますが、おそらく「恵」も上位にランクされると思います。
ヨハネの書簡では「愛」が目に止まりますが、パウロの書簡には「恵」という漢字が頻繁に目に止まります。
上記には「神の恵み」が3つも登場。パウロの実体験が、「神の恵み」に触れることだったのでしょう。
「恵み」とは、それを頂く資格がまったくないものに与えられるものです。何か仕事をしてもらえるものは報酬であり恵みではありません。
私が「今日を生かされている」という事実も「神の恵み」。
この恵みに感謝して生きたいと思います。
ハッピーサバス!

磯部豊喜

みことばの花 201120「大きな報い」

みことばの花 201120「大きな報い」

「しかし、あなたがたは、敵を愛し、人によくしてやり、また何も当てにしないで貸してやれ。そうすれば受ける報いは大きく、あなたがたはいと高き者の子となるであろう。いと高き者は、恩を知らぬ者にも悪人にも、なさけ深いからである。」(ルカ 6:35 口語訳) 

大きな報いとは、私たちの目標ではなく結果のようです。
「夜と霧」という著作で有名な精神科医ヴィクトル・E・フランクルも、「しあわせはけっして目標ではないし、目標であってもならないし、さらに目標であることもできません。それは結果に過ぎないのです」と述べています。
「敵を愛し、人によくしてやり、また何も当てにしないで貸してやりなさい」とイエス・キリストは教えられましたが、その結果として「報いは大きい」と言われます。
大きな報いを目標として生きるか、良き生き方の結果として報いがあると受け取るのかは自由ですが、後者のほうが素敵だと私は思うのです。

磯部豊喜
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11/21(土)ライブ配信 URLです。
安息日学校 URL 11月21日(土)10:00 聖書の学び2020年第4期「教育とあがない」藤田 潔(教団名誉牧師)
https://youtu.be/Nn6C054xvNA
礼拝説教 URL 11月21日(土)11:00 説教題「宅配便を持つ教会」藤田 潔(教団名誉牧師)
https://youtu.be/bDndTFNIKqg