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みことばの花 200406「主は恵みふかく」

みことばの花 200406「主は恵みふかく」

「主は恵みふかく、かつ正しくいらせられる。それゆえ、主は道を罪びとに教え、」(詩篇 25:8 口語訳 )

「主は恵みふかく」という言葉は、わたしの好きな言葉の一つです。
恵みとは、何も持っていない人に一方的に与えられるものです。
その人の働きがあって与えられるものは恵みでなく、報酬です。
主、すなわち私どもの神は、「恵みふかい」。
命も能力も知恵も知識も、自分の努力で勝ち得たと考えている人が多いかも知れませんが、
これらも元をたどればすべてが主から与えられたものに過ぎません。
さらに「恵みふかい」主は、「主の道を罪びとに教え」とあります。
人が正しく歩み豊かに人生を過ごす道を教えてくださるという。
しかも我ら「罪びと」にその道を教えてくださるという。
正しく完全無欠な「義人」に道を示すのではない。
これこそが恵みの中の恵みだと聖書は教えてくれます。
今日もその主の恵みが注がれますように。

磯部豊喜

みことばの花 200405「努力」

みことばの花 200405「努力」

「…あなたがたのだれにも負担をかけまいと、日夜、労苦し努力して働き続けた。」(Ⅱテサロニケ 3::8 口語訳)

急逝されたタレントの志村けんさんの生き方を知りました。
多くの人に笑いを提供された背後にある努力を知りました。
表舞台の影に、時間をかけてネタをつくる作業。
「志村さんの笑いはとてつもない知識量から生み出されたものなのです」と語られる西条昇(江戸川大教授)さんの言葉は心に染みます。
この並々ならぬ努力という裏舞台の時間があって、華やかな表舞台というわずかな時間がある。
これはあらゆることに言えることだと思います。
「日夜、労苦し努力して」とある、上記のパウロの言葉も同様です。
努力を惜しまない人になりたいと思います。
今日も主の恵みがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 200404「成長」

みことばの花 200404「成長」

「まかれると、成長してどんな野菜よりも大きくなり、大きな枝を張り、その陰に空の鳥が宿るほどになる」(マルコ 4:32 口語訳)

新聞の書籍広告に「55歳のハゲた私が76歳でフサフサになった理由」(藤田紘一郎)というのがありました。
一見、一笑してしまいがちなタイトルですが、このタイトル通りであれば、このことで悩む人には福音(よき訪れ)に違いないと思います。
希望というのは、マイナス的なことがプラスに変えられること。
私も説教家の端くれのひとり。牧師としてスタートした頃、聴衆一人の方から「牧師さんの話はさっぱりわかりません」と言われたことがありました。
また昔、元日本テレビのデレクター経験者のOさんからは、「牧師さんを一流の説教家にしてあげましょう」と言われたことがあります。
裏を返せば、「説教下手」ということ。
成長したい、そして、いつの日か「○○才の説教下手の私が○○才で名説教家になった理由」という本を書きたい?
ほど遠い夢ですが…。
ハッピーサバス!

磯部豊喜

みことばの花 200403「主のみこころであれば」

みことばの花 200403「主のみこころであれば」

「むしろ、あなたがたは『主のみこころであれば、わたしは生きながらえもし、あの事この事もしよう』と言うべきである。」(ヤコブ 4:15 口語訳)

私の若い時に、「自分は何になっても良いし、何にならなくても良い」と言った人がいます。
なかなか味のあることをいう人だなと感心したものですが、上記の御言葉は、これに似ています。
「主のみこころであれば、わたしは生きながらえもし、あの事この事もしよう」とありますが、特に前の部分「主のみこころであれば」が良い。
聖書を読むとき「神にゆだねる」という言葉に出会います。
「神にゆだねる」という心の持ち方は、「主のみこころならば」で始まる上記の聖句と深い結びつきがあるように思えてなりません。
とても難しいことですが、「主のみこころであれば、生きるも良し、死ぬるも良し」…そういう心境になれたらと素晴らしいと思います。
今日も主の守りがありますように。

磯部豊喜
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4/4 日 千葉教会ライブ配信 URL を送ります。
安息日学校(SS聖書ガイドの学び)10:00第二期:聖書をいかに解釈するか第一課「聖書の独自性」磯部豊喜
https://youtu.be/fYTefPqDzUs

礼拝12:00「あなたも行って同じように」磯部豊喜
https://youtu.be/XKT6J0eeZik

みことばの花 200402「達し得たところに従って」

みことばの花 200402「達し得たところに従って」

「ただ、わたしたちは、達し得たところに従って進むべきである。」(ピリピ3:16 口語訳)

昨日、新聞のコラムの中に「なりたい自分にならなくても、なった自分で生きたらいい」という言葉がありました。
この言葉の発信者は、漫才コンビ「髭男爵」の山田さんという方ですが、幼い時から「ほめられたい気持ち」が人一倍強かったという。
ですが子育ての際に「ほめられるために行動する子になりかねない」と自戒されたそうです。
人は、「誰かにほめられたい」と思う部分があるでしょう。
ですが「ほめられても、ほめられなくても」背伸びすることなく、淡々と与えられた人生を生きられたらいいと思います。
聖書も「達し得たところに従って進む」ことを勧めています。
目標を持つことも大切ですが、まず自分が自分であるということを大切にして歩みたいものです。
今日も主の恵みがありますように。

磯部豊喜