みことばの花 181031「主の祈り(3)ー我らの主」

みことばの花181031「主の祈り(3)ー我らの主」

「天にいますわれらの父よ、」(マタイ 6:9より)

昨日の新聞の第一面に「独メンケル氏、党首辞任へ」とあり、「21年、政界引退」とも書かれていました。その背景には、メンケル氏が行なった政策に「シリアなどから欧州に押し寄せる難民の受け入れを決め、100万人以上が入国したが、これに反発する声が強まった」とされます。今米国のトランプ氏を筆頭に「母国第一主義」という考え方を持つ人物を各国のリーダーに選ぶと言う動きが世界に見られます。上記の記事に並んで、「ブラジルのトランプが当選」との文言もありましたがこれもその一つでしょう。ところで聖書にある主の祈りの冒頭には、「天にいますわれらの主よ(天にますます我らの主よ)」」と語られています。「私の主よ」ではなく「我らの主よ」です。天の神様の目には、国境も人種もない。キリストの系図を遡(さかのぼ)ると、「…アダム、そして神に至る」とあります。これによれば全人類は、みな一人の祖先アダムから始まっており、本来はみな親戚である兄弟姉妹なのです。このようにすべての人類を結びつける思想が「主の祈り」の冒頭にあるのは考えさせられます。

磯部豊喜

みことばの花 181030「主の祈り(2)」

みことばの花181030「主の祈り(2)」

「天にまします我らの父よ、ねがくはみ名をあがめさせたまえ。み国を来たらせたまえ、みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ、我らの日用の糧を、今日もあたえたまえ。我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく、我らの罪をもゆるしたまえ。我らをこころみにあわせず、悪より救いだしたまえ。国とちからと栄えは、限りなく、なんじのものなればなり、アーメン」(マタイ6:9~15の書き換え)

これが昨日、約束しました「主の祈り」の全文です。これを私たちクリスチャンは、お祈りの後などにお題目のように唱えます。この祈りの言葉には私どもの心の中を暖かくしてくれるものがあります。ですがしばしばこの「主の祈り」についてこのようにも言われます。「主の祈りは最も祈られる祈り、されど最も祈られていない祈りでもある」。これはどういうことかといいますと、回数的には良く祈られている。ですが、心を込めて祈られていない祈りでもある可能性が高いと。この祈りの内容をよく確かめつつ、心のメモリーに入れて置くならば、きっと本当に祈られる日が来るに違いないでしょう。この祈りの中身をじっくりと瞑想してみたいものです。

磯部豊喜

みことばの花 181029「主の祈り」

みことばの花181029「主の祈り」

「だから、あなたがたはこう祈りなさい、天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。…」(マタイ 6:9)

上記は「主の祈り」と呼ばれる祈りの冒頭の部分です。「主の祈り」は、イエス・キリストがその弟子たちに教えられた祈りです。その祈りの一文には多岐にわたって、素晴らしい祈りの内容が含まれているのでこれまで天の神様に祈ったことのない人も、これを唱えることは有意義だとされています。私の担当している千葉教会にはシャローム若葉というディ-サービス老人介護施設が併設されていますが、その職場でも毎朝、朝礼においてこの「主の祈り」が職員の皆様に唱えられています。しかし意味を本当に知って祈られてはいないかも知れません。ところで、千葉教会員のMさんが、「わたしは就寝する前に、この『主の祈り』を唱えてから眠るのです」と話をされたので、私もそれにならうことにしました。就寝前の「主の祈り」、なかなか良いものです。心が天に近づく至福の時となります。明日は、普段唱えられる「主の祈り」の全文を紹介します。

磯部豊喜

みことばの花 181028「愛を学ぶ」

みことばの花181028「愛を学ぶ」

「主は、わたしたちのためにいのちを捨てて下さった。それによって、わたしたちは愛ということを知った。それゆえに、わたしたちもまた、兄弟のためにいのちを捨てるべきである。」(Ⅰヨハネ 3:16

「鉄は熱いうちに打て」とあります。忘れないうちに書き留めたい。昨日、銚子に行って、素晴らしい一文を知りました。ロバート・グラウニングという英国詩人(1812-1889年)の遺された詩の一文です。タイトルは「信仰の道しるべ」となっています。そして内容は、「人生とは、喜びと悲しみ、希望と恐れより生じるすべてをもって、まさに神の愛を学ぶという賞与を得る貴い機会なのだ」。人生には、私たちの心を暖めてくれる日もあるし、心が凍えるような経験をする日がある。しかし、この明暗に包まれる人生を、よくよく吟味すると「神の愛を学ぶという賞与を得る貴い機会」となるという。詩人がこの詩を書かれた背景に、「老ヨハネが弟子たちにキリストの愛を語る場面での言葉」とありました。上記はキリストの愛を語った使徒ヨハネの言葉です。私の人生に起こるいろいろな出来事に背後に、どのような神の愛が語られているかを学習したいものです。今日も主の愛のみ顔を見つめることが出来ますように。

磯部豊喜

みことばの花 181027「気品」

みことばの花181027「気品」

「あなたは人の子らにまさって麗しく、気品がそのくちびるに注がれている。このゆえに神はとこしえにあなたを祝福された。」(詩篇 45:2)

故人になられましたが、岡田眞澄さんというとてもダンディな俳優さんがおられました。実はこの方は再婚をされ、一人の娘さんが生まれました。その岡田氏の愛娘、岡田朋峰(おかだともみ)さんが、先日ミスインターナショナル代表に選ばれたとのことです。朋峰さんが7歳の時に、父を亡くされましたが「父はどんなときにもエレガントで気品を忘れない女性であることを教えてくれました」と話しておられ、確かにそのしぐさに気品(どことなく感じられる上品さ)が漂っています。気品という言葉の反対はガサツ(動作・態度などに落ち着きがなく、丁寧さが欠ける)ということでしょう。果たして私は???(たぶん後者かも…)と自省しますが、気品のある人にはあこがれます。今日は聖なる第七日安息日、キリストから世界最高の気品を学ぶ日でありたいと思います。「キリストの気品が、わたしの生活全体に少しでも影響を与えてくださいますように…」と、祈りつつ教会へ行かせて頂きます。

磯部豊喜

みことばの花 181026「まだ生きている」

みことばの花181026「まだ生きている」

「そしてイスラエルは言った、『満足だ。わが子ヨセフがまだ生きている。わたしは死ぬ前に行って彼を見よう』」(創世記 45:28)

昨日の新聞の第一面、大きく「安田純平さん解放確認」の文字。フリージャーナリストの安田純平さん(44)は、かつてISが台頭していたシリアで2015年に武装組織に拘束されていた映像を見たことがありましたが、拘束されたのは残酷なISではなくある武装組織のグループであったようです。それにしても安田さんのご家族は、拘束されてからの40ヶ月、どんな思いで過ごしておられたのかと思うと心が痛みます。ですがご子息の無事であったとの報道に、そのご両親は「嬉しさで感激しております」とコメント。このご両親の言葉を見て、私は聖書のイスラエル(元の名はヤコブ)という人が、すでに死んでしまったと思っていた愛する息子ヨセフが「まだ生きている」との報せを知った時の様子を思い出しました。愛する人にとって、その人の命は地球の重さよりも重い。実は神の御子イエス様も私の命を重く見てくださる。イスラエルの言葉は、「永遠の命を受けよ」と言われるキリストの思いと重なっているような気がします。

磯部豊喜

みことばの花181025「天の法則」

みことばの花181025「天の法則」

「人を見て恵む者はめぐまれる、自分のパンを貧しい人に与えるからである。」(箴言 22:9)

世の中には、目には見えない法則のようなものがあるようです。それは上記の聖句のような法則です。「人を見て恵むものはめぐまれる」、恵まれない人をみると、すぐにその人を助けたくなる人がいます。その人自身は決して裕福ではない。裕福でないので、貧しい人の心がより身体に染みているのかも知れませんが、この人は貧しい人を見るとすぐに助けたくなるのです。ところが不思議なことに、いつもその人自身も恵まれるのです。誰かを恵むと、恵んだ分以上のものがどこからか舞い込んできます。不思議なのですが、これは天の法則。しかし一方で、他者には目もくれずに、自分のためにだけに投資する人がいます。こういう人は、何にも貯まらない。いつも「ナイナイ」と叫んでいます。不思議ですが、これも天の法則。私は気まぐれに人を恵むことがあるので、私も気まぐれに恵まれる。これも天の法則。本当に上記のみ言葉の通りです。気まぐれではなく、もう少し隣人に尽くす優しい心を持ちたいものだと自戒しています。

磯部豊喜

みことばの花 181024「もう一度」

みことばの花181024「もう一度」

「その時、『あなたは、もう一度、多くの民族、国民、国語、王たちについて、預言せねばならない』と言う声がした。」(黙示録 10:11)

昨日は大再臨運動&大失望のことを書きました。1844年10月22日にキリストの再臨が必ずあると疑わなかった人々は、キリストが期待通りに来られなかったのでとてもがっかりしたに違いありません。人は大きな期待があるとき、その通りにならないと今度は大いに失望します。まさに期待と失望は紙一重。昨日の大再臨運動&大失望が1844年10月22日と私は書きました。10月22日についての説明をしていませんでした。なぜ10月22日なのでしょう。これはダニエル書8:14にあった「聖所は清められる」という言葉から、旧約聖書にある「聖所の清め」の日(贖罪日)とします。この日がユダヤ暦だと7月10日ゆえ、太陽暦に直すと10月22日になる。1844年に再臨を待つ信仰者は、大失望を経験しましたが、神様は上記のみ言葉を加えて言われます。「あなたは、もう一度、…預言せねばならない」と。大失望を乗り越えて、もう一度聖書を学びなおす。この人々がセブンスデー・アドベンチスト教会のルーツになっています。

磯部豊喜