みことばの花 190329「何が重要か」

みことばの花190329「何が重要か」

「わが子よ、知恵を得て、わたしの心を喜ばせよ、そうすればわたしをそしる者に答えることができる。」(箴言 27:11) 

「ハイ、売名です。あなたも売名したら?みんな助かるよ」とは、俳優の杉良太郎さんの言葉です。
東北の被災地で炊き出しのカレーを混ぜている時、リポーターに「それって売名ですか」と訊かれました。
寒空の下、人々が並んで待っている。反論する時間も惜しかった。
…以上の内容が、少し前の新聞の中に記載されていました。
有名な人が人助けするというのは、こういうこともあるのか…と考えさせられますが、
杉良太郎さんの咄嗟に出てきた言葉は、心を打つものがあります。
今「何が重要なのか」を心得ている人の言葉です。
このようにどんと座った心を持てたらいいなあ~と思います。
今日も主の愛と知恵が、私を包んでくださるように祈るのです。
主の恵みが今日もありますように。

磯部豊喜

みことばの花 190328「向上」

みことばの花190328「向上」

「後のものを忘れ、前のものに向かってからだを伸ばしつつ、」(ピリピ3:13)

ものまねタレントのコロッケさんが、お母様に教えられえ支えられた言葉に「あおいくま」という言葉があるとのこと。
それは「焦るな」「怒るな」「威張るな」「腐るな」「負けるな」の頭文字で構成されています。
これをコロッケさんは高校生まで他人に対しての言葉だと思っていました。
でも、ものまねの番組で初優勝して頂点に立ったとき、「負けるな」の意味が分からなくなり、
同時に他の四つも心に落ちてこなくなったという。空しさを感じて悩んだ末、自分に対しての言葉だと気づきます。
「自分に負けるな」は、自分の芸に満足せず、もっと面白くしようと突き詰めることができると受け止めました。
誰かにではなく、自分自身に勝つこと、これが前に向かって進む、向上ということなのでしょう。
今日も主の守りがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 190327「クリスチャンは二重人格?」

みことばの花190327「クリスチャンは二重人格?」

「わたしたちの主イエス・キリストによって、神は感謝すべきかな。
このようにして、わたし自身は、心では神の律法に仕えているが、肉では罪の律法に仕えているのである。」(ローマ7:25) 

上記は感謝できる内容なのでしょうか。
これは二重人格の生き方に見えます。こういう一文を発見。
「聖書は、世俗の生活者を『肉なる人間』と呼び、神の支配のもとにある人間を『霊なる人間』と呼びます。
この意味でクリスチャンは二重人格者にもなるわけです。
クリスチャンは、よく世人から偽善者とみられたり、そういわれたりすることがありますが、
その理由はここに起因するということもできます」(及川吉四郎・キリスト教とはどんな教えなのか(下巻)p143)。
きっと、こういう宿命を背負っているのがクリスチャンなのでしょう。
今日も主の守りがありますように。

磯部豊喜

みことばの 花190326「愛は…誇らず」

みことばの花190326「愛は…誇らず」

「愛は高ぶらない、誇らない。」(Ⅰコリント 13:4)

「イチロー引退 現役28年 日米4367安打」…数日前の新聞の見出しの言葉。
輝く記録を作り続けた鈴木一朗選手(45)が現役引退を発表しました。
数々のインタビューに答える姿、一つ一つを丁寧に語られるイチロー選手を見て清々しいものを感じました。
「思い出の試合は?」と聞かれた時に、「今日の試合以外でしたら…」と前置きをし、
「輝かしい結果を残した試合ではなく、昨年度引退せずにコツコツと練習をすることが出来た一年間を振り返り、この日を迎えたことに感謝」
という姿に心が打たれました。
人間は、自分の輝いた過去に目を向けがちです。
私も過去の働きの栄光を思いだそうと努めてしまう一人です。
しかしこのイチロー選手の姿に、私は「愛は高ぶらず、誇らない」…の聖句を思い出すのです。

磯部豊喜

みことばの花 190325「勝利」

みことばの花190325「勝利」

「すると、長老のひとりがわたしに言った、
「泣くな。見よ、ユダ族のしし、ダビデの若枝であるかたが、勝利を得たので、その巻物を開き七つの封印を解くことができる」。」
(黙示録 5:5) 

「敗北しているにの勝利者」…一昨日(土曜日)の夜、世界フィギュアスケートの羽生結弦選手のフリー演技を拝見しました。
競技結果としてはフリーも2位。1位のネイサン・チェーン選手は申し分のない完ぺきな演技。
しかし羽生選手の演技には点数以上に見る人を感動させるものがありました。
「僕の敗北は死と同じ」と彼は語る。
さて上記の聖句は、キリストの勝利を語ったみ言葉です。
キリストは「ユダ族のしし」と呼ばれる方でしたが、「強いしし」としてでなく、「ほふられた小羊」として勝利したと聖書は記しています。
「ほうられた小羊」は死んだ動物ゆえ敗北のしるしです。
ゆえに真の勝利は勝ち負けを超えるところにあると私には思えるのです。

磯部豊喜

みことばの花 190324「お大切」

みことばの花190324「お大切」

「もし愛がなければ、いっさいは無益である。」(Ⅰコリント13:3) 

英語の聖書が日本語に訳されるとき、始めの聖書には「愛」を「お大切に」…と訳されたといいます。
九州で人気の「うどん屋」の店主が、ある張り紙をしました。
「今日ご来店のお客様に 今日は私事ですが妻が子供を産みましたので、おめでとうを言いたいのでお休みさせて頂きます…」。
日本人には仕事第一を美徳と考える人が多いかも知れませんが、こういう店主の姿にも人間としての温かみを感じます。
人にはいろいろな愛の形があります。
「何を一番、お大切にしているのか」…これをふっと考えさせられる店主の張り紙。
そして上記の聖句が、いつも私の心に迫ってくるのです。

磯部豊喜

みことばの花 190323「光の子」みことばの花190323「光の子」

みことばの花190323「光の子」

「『光のある間に、光の子となるために、光を信じなさい』。
イエスはこれらのことを話してから、そこを立ち去って、彼らから身をお隠しになった。」(ヨハネ 12:36)

今日は「光の子」という言葉に注目してみました。
上記の聖句は、私どもが「光の子」となる秘訣を教えています。
「光の子となるために、光を信じなさい」、すなわち光を信じれば、光の子になれるという。
昨日、「ベトナムのひかり~ボクが無償医療を始めた理由」の主人公のモデル、
眼科医の服部匡志(はっとりただし)氏のことを紹介しましたが、
服部先生が見ていたものは、かつて「人は人を助けるために生きているんや」と言われた父の背中だったとのこと。
人が光の子になるには、お手本が必要です。
今日は第七日安息日、私も「本物の光であるキリストに触れていきたい」と願うのです。

磯部豊喜

みことばの花 190322「世の光」

みことばの花190322「世の光」

「あなたがたは、世の光である。」(マタイ 5:14)

昨日、とても感動的な話を拝見しました。
そのタイトルは「ベトナムのひかり~ボクが無償医療を始めた理由」。
これはNHKで放送された実話に基づくドラマ。
ベトナムで15年以上にわたって、無償医療を続けている眼科医で服部匡志(はっとりただし)さん。
服部先生は、眼科医の不足するベトナム人の叫びに応え、3か月間の約束で日本を離れベトナムに渡った。
始めのうちは国民性の違いから同じ医療者たちから拒否をされたりして困難に出会うこともありましたが、
「ベトナムで目を患っている人の目にひかりが灯り、その笑顔を見たいがために」の一念で励む姿が感動的で私の涙を誘った。
そして今も、日本で眼科医を務める傍ら、ベトナムにも飛び続け無償で「目のひかり」を取り戻す働きを続けているという。
この人の愛の姿に、私は上記のみことばを思い浮かべるのです。

磯部豊喜

みことばの花 190321「神を信じなさい」

みことばの花190321「神を信じなさい」

「神を信じなさい。よく聞いておくがよい。だれでもこの山に、動き出して、海の中に入れと言い、
その言ったことは必ず成ると、心に疑わないで信じるなら、そのとおりに成るであろう。」(マルコ 11:22)

上記はイエス・キリストのみ言葉です。
「神にはできないことがない」という約束を心につかんでさえいれば、上記の約束が真実であることがわかります。
ですが人は、このとおりに素直に信じられません。
奇跡とは全能の神を信じることから起こるご褒美のようなものです。
それゆえにまず、「自分の常識ではなく、あなた様を信じる心を与えてください」と祈り始めたい。

磯部豊喜