聖句カード  (人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。 先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。黙示録21章4節 口語訳)

聖句カード
(人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。
 先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。 黙示録21章4節 口語訳)

みことばの花 190928「愛に根ざし愛を基として」

みことばの花 190928「愛に根ざし愛を基として」

「また、信仰によって、キリストがあなたがたの心のうちに住み、あなたがたが愛に根ざし愛を基として生活することにより、すべての聖徒と共に、その広さ、長さ、高さ、深さを理解することができ、また人知をはるかに越えたキリストの愛を知って、神に満ちているもののすべてをもって、あなたがたが満たされるように、と祈る。」(エペソ 3 :17-19)

ここにキリストの圧倒的な愛の姿が表現されています。
キリストの愛を極めることは難しいでしょう。
これを書いたパウロは、かつてキリスト教を滅ぼすためにその運動の先鋒として励んでいた人物。
ですが復活のキリストに出会い、彼は自分の過ちを知り、キリストに帰依しました。
彼は迫害者である自分を受け入れてくださったキリストの愛の広さを知りました。
その精一杯の表現の一つが上記です。
今日は聖なる第七日安息日、キリストの愛を求めて教会に行きたいと思います。
ハッピーサバス!

磯部豊喜

みことばの花 190927「招きに応える」

みことばの花 190927「招きに応える」

「見よ、おまえたちの家は見捨てられてしまう。」(マタイ 23:38 口語訳)

今日は「選びの大切さ」を考えたい。
昨日の「みことばの花」では、
イスラエル(元ヤコブのこと)が別れ別れになっていた愛する息子ヨセフとの喜びの再会の言葉に触れましたが、
上記はイエス・キリストが言われたみ言葉で、キリストを拒んだエルサレムの人々に語られた嘆きの言葉の一節です。
昔神は預言者を遣わし、最後は御子が来られて熱意をもって天国に入る人々を求め招待されましたが、
それを頑なに拒んだエルサレムの人々に対するみ言葉です。
人を永遠の命に救う天国への門戸は、神の側では常に開かれています。
ただ神はそれを強要はなさらない。
選びは常に自由だからです。
愛の神は常に、愛情をこめて神と天国を選ぶように私を招いておられます。
今日も主の愛がありますように。

磯部豊喜

みことばの花 190926「Live=ライブ」

みことばの花 190926「Live=ライブ」

「そしてイスラエルは言った、『満足だ。わが子ヨセフがまだ生きている。わたしは死ぬ前に行って彼を見よう』。」
(創世記 45:28 口語訳)

昨日、S姉のプロデュースで小さなスナックにて人生初の「賛美ライブ」を行いました。
下手な演奏ですが、ギターの弾き歌いを行いました。
聴衆は約15人くらいでしたが、その多くはノンクリスチャン。
ですが、温かく忍耐深い人たちでした。
私ごときの聖書のショートメッセージを挟みつつ奏でる讃美歌を聴いたり、一緒に歌ってくださいました。
ところで「賛美ライブ」のライブは「Live」と書きます。
これには生演奏という意味があります。
他にも「生きている」といった形容詞でも使われます。
生きていればライブも出来、上記のイスラエルのように愛する人と再会できる。
ですが真の「Live(ライブ)」は、天国での再会です。
主の恵みが今日もありますように。

磯部豊喜

みことばの花 190925「決してあきらめない!」

みことばの花 190925「決してあきらめない!」

「主はみずからあなたに先立って行き、またあなたと共におり、あなたを見放さず、見捨てられないであろう。恐れてはならない、おののいてはならない。」(申命記 31:8 口語訳) 

先日、私の尊敬するS牧師を教会へ招き、「決してあきらめない!」という題の講演を行って頂きました。
聞く人の心を揺さぶるとても素敵な講演でした。
ところで私どもに目を注ぎ「あきらめの悪い方」が私のすぐそばにおられます。
それは上記のみ言葉を語られる「主(神)」です。
「主は…あなたと共におり、あなたを見放さず、見捨てられない」と言われます。
このみ言葉を私へのメッセージとして受けとめたい。
私のことを「決してあきらめない!」お方にいつも守られていると信じられる人は幸いだと思います。
今日も主の愛に包まれてお歩みください。

磯部豊喜

みことばの花 190924「偽り者と闘う」

みことばの花 190924「偽り者と闘う」

「『神を愛している』と言いながら兄弟を憎む者は、偽り者である。
見ている兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することはできない。」(Ⅰヨハネ 4:20 口語訳)

上記のみ言葉は、ときどき私の心にズキンと刺さるみ言葉です。
なぜかというと好きな人とか気の合う人とかはまったく問題はないのですが、
自分の考えと相いれない人とか、何となく折り合えない人の場合「憎む」とまではいかなくても、
受け入れがたい感情がふつふつと湧いてしまうという嫌な感情があるからです。
こういう感情は天の力に対処されたいと願う。キリストの愛は「敵さえも愛する」ものでした。
「敵さえも許す類(たぐい)なき愛」…この言葉が私の脳裏に浮かび、先の嫌な感情の自戒となります。
「愛するとは私の中にある『偽り者』と闘い、その勝利は許すこと」に違いない。

磯部豊喜

みことばの花 190923「愛のベクトル」

みことばの花 190923「愛のベクトル」

「それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、」
(マタイ 28:19 口語訳) 

神の名がここに記されています。
「父と子と聖霊」です。
このみ言葉ゆえ、聖書の神(創造の神)をしばしば三位一体の神と呼ばれる。
三つにして一つなる神はとても理解し難い。
ですが三つのベクトルを持った愛の総称とすると良い。
一つの愛は線の愛。
二つの愛ですと平面の愛、三つの愛は立体の愛。広く深く大きな愛、これが三一の神の愛の姿なのです。
「神は愛」(Ⅰヨハネ4;8)なのですから、わたしはそのように理解するのです。
今日も大きな主の愛に包まれますように。

磯部豊喜

みことばの花 190922「あなたはわたしのもの」

みことばの花 190922「あなたはわたしのもの」

「ヤコブよ、あなたを創造された主はこう言われる。
イスラエルよ、あなたを造られた主はいまこう言われる、『恐れるな、わたしはあなたをあがなった。
わたしはあなたの名を呼んだ、あなたはわたしのものだ。』」(イザヤ 43:1 口語訳)

ヤコブは人の名です。
この聖句は、「ヤコブ」のところに私の名を入れて読むと良い。
昨日の聖句にあるように、「はじめに神は天と地を創造された」(創1:1)とあるお方は、
「わたしはあなたをあがなった」とも言われます。
「あがなう」とは「贖う」という文字。
「わたしはあなたを買い取り、わたしのところへ置く」という意味です。
神から離れ失われた人間にこのように神は優しく語りかけてくださいます。
「あなたはわたしのものだ」という神の呼びかけに「はい、わたしはあなたのものです」応えたいのです。
今週も主の恵みがありますように!

磯部豊喜