みことばの花 180430「よみがえり」

みことばの花180430「よみがえり」

「わたしはよみがえりであり、命である。」(ヨハネ 11:25)

昨日のこと、埼玉県狭山市にある「入間川教会」において、一人の方の葬儀が行なわれました。私のインターン牧師の頃に1年半の間、N先生にはお世話になりました。N先生については2月14日の「みことばの花180214(信頼)」にも書きましたが、聖書の学びに情熱を傾けておられた先生でした。いまN先生は眠りに就いておられます。クリスチャンにとって人の死は眠りです。ふたたび目覚める時が来るので眠り。事実、イエス・キリストご自身が死からのよみがえりました。キリストは十字架に架けられ死なれ墓に納められましたが、3日後に復活しました。まさに上記の言葉のごとくです。上記のみ言葉には続きがあります。「…わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる」(ヨハネ 11:25)。キリストを信じる者は、キリストがよみがえったようによみがえることが出来る。ここに人生の究極の希望があります。イエス・キリストを心から信じ、いえ「信じ続けて」ください。今日も主の恵みがありますように。

磯部豊喜

みことばの花180429 「強くなる秘訣」

みことばの花180429「強くなる秘訣」

「ゆえに、わたしが、きょう、あなたがたに命じる戒めを、ことごとく守らなければならない。そうすればあなたがたは強くなり、…」(申命記11:8)

上記の聖句は、その昔、イスラエル人はカナンと言う場所に入植するにあたって、それを妨害するカナン人(先住民)を追い払わなければなりませんでした。カナンに入るのは、天の神様が支持したことでした。当時のカナン人というのは、とても低俗な宗教を信奉しており(人身供養などの)、彼らに代わって真の宗教を持つイスラエル人をこの地に置きたかったと考えられます。しかし先住民のいるところに入っていくのですから抵抗が激しくなることが予想され、イスラエル人の心が弱ってしまうこともある。そこで主は、彼らが「強くなる秘訣」を教えます。それは実に単純なもので、「きょう、あなたがたに命じる戒めを、ことごとく守れ」ということでした。要は「私と結びついてさえいれば」「私があなたを強くする」と仰せになったのです。「イスラエル(対)カナン+悪魔」では勝てない。しかし「イスラエル+神(対)カナン+悪魔」ならば、絶対に勝利する。「イスラエル+神」の時にイスラエルは強くなれるのです。これは今日も同じだと私は信じています。

磯部豊喜

みことばの花 180428「御旨によって、万物は存在し」

みことばの花180428「御旨によって、万物は存在し」

 「われらの主なる神よ、あなたこそは、栄光とほまれと力とを受けるにふさわしいかた。あなたは万物を造られました。御旨によって、万物は存在し、また造られたのであります」(黙示録 4:11)

またうれしい第七日安息日が巡って来ました。牧師はこの日に礼拝参加者の方々をお迎えしますので、ちょっぴり忙しい。ですが、金曜日の夜、日が沈む光景を眺めて、まず心の中で思うことは、まさに上記のみ言葉です。「今週も罪を犯したかも知れない、わがままで神様の心を痛めることを思ったり、行動したかも知れない」と自省をします。それでいて上記のような心境になれるのは神様の深い愛を信じているからだと思います。ある人は「神様は私のような出来そこないを造られた」と謙遜に?語っていましたが、これも「御旨によって、万物は存在し、また造られた」ことを思うと、決して出来そこないではないと思います。この世には、誘惑者(サタン)がいます。しかし万物更新のときが来たならば、誘惑者はいなくなります。愛と創造の神様だけがおられます。その日まで、毎週安息日を迎える度には、創造の神様を思い、幸いを味わいたいと思います。ハッピー、サバス!!

 

磯部豊喜

みことばの花 180427「鉄②」

みことばの花180427「鉄②」

「チラもまたトバルカインを産んだ。彼は青銅や鉄のすべての刃物を鍛える者となった。トバルカインの妹をナアマといった。」

(創世記 4:22)

昨日は元プロ野球選手の衣笠祥雄さんの逝去の報から、衣笠氏のことを書きとめました。闘将と言われた星野さんもそうですが、昭和を飾った人が亡くなるのはとても寂しい気がします。衣笠氏のニックネームは「鉄人」。そこで「鉄」という言葉を聖書から探し調べてみました。聖書に登場するは「鉄」は興味深い。バビロン王の見た夢の巨像にある足の部分は鉄の国ローマ帝国を現していました(ダニエル2章)。このローマ帝国時代に救い主イエス・キリストは生まれ、このローマによって鉄のついた鞭に打たれ十字架にかけられました(おそらく鉄の釘に打たれて…)。上記の聖句は、聖書に最初に登場する「鉄」。人類最初の「鉄」を作ったトバルカインという人は、傲慢(ごうまん)な人レメクの孫。この鉄製の刃物の登場によって殺された人も多い。ところでもう一つの「鉄」の聖句。「彼は鉄のつえをもってすべての国民を治めるべ者」(黙示録12:5)とありますが、「彼」はキリストを指しています。「鉄」そのものは悪ではない。それを作る人、使う人の心次第なのです。今日も主に心を守っていただいと思います。

磯部豊喜

みことばの花 180426「鉄①」

みことばの花180426「鉄①」

「チラもまたトバルカインを産んだ。彼は青銅やのすべての刃物を鍛える者となった。トバルカインの妹をナアマといった。」(創世記 4:22)

昨日、「鉄人」というニックネームが付けられた元プロ野球選手の「衣笠祥雄」さんがお亡くなりになられました。71歳です。身体が鉄のように頑丈だと言われた選手でした。1970年から連続出場を重ね、1987年には当時の大リーグ記録2130試合を越え、同年現役を引退するまで2215試合に記録を伸ばし、日本のプロ野球記録として残っています。それにしても17年間試合を一度も休まないというのはすごいことです。どんなに試合に出たくても成績が伴わなければ出ることが出来ないのがプロの世界。生涯打率2割7分、504本塁打、1448打点、266盗塁は立派なものです。ところが対巨人戦で西本聖投手から死球を受け、左肩甲骨(ひだりかたこうこつ)を骨折。それでも翌日、代打で登場、江川卓投手の剛速球に対しフルスイングで三振。「一球目はファンのため、二球目は自分のため、三球目は西本君のためフルスイングしました」との言葉を残しています。骨折の原因となった西本選手を労わる心が言葉に見られます。鉄人といわれた人、でも心はとても優しかったという。(明日に続く…)

磯部豊喜

みことばの花 180425「用意された場所」

みことばの花180425「用意された場所」

「わたしの父の家には、すまいがたくさんある。もしなかったならば、わたしはそう言っておいたであろう。あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。」(ヨハネ 14:2)

上記はイエス・キリストの言葉です。「父の家」とは何でしょうか。それは「天国」を指しています。聖書には、天国が場所として描かれています。「あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから」とあるからです。天国は、私たち一人一人にとって理想世界であり理想社会です。そこには死もなく、悩みもなく、悲しみもありません。そこにあるものはあふれる神の愛と永遠の命です。聖書は最後の2章(黙示録21,22章)に具体的な天国の姿を描いています。この地上の世界のことしか知らない私たちには、これは夢物語にしか見えないかも知れません。しかし反対に天国に立ってこの地上世界を眺めてみると夢物語、「本当にあのような暗い世界があるのか」と思えることでしょう。「見ないで信ずる者は、さいわいである」(ヨハネ20:29)という主のみ言葉は、天国についても言えそうです。一緒にキリストが用意された場所、天国を目指しませんか。

磯部豊喜

みことばの花 180424「御言葉により」

みことばの花180424「御言葉により」

 「その時の世界は、御言により水でおおわれて滅んでしまった。」(Ⅱペテロ 36)

 昨日は、ノアの箱舟に関する考古学的発掘と思える一つを紹介しましたが、ロン氏の発掘調査を他の聖書を信じる考古学者が認めているわけではないことも申し上げておきたいと思います。私は考古学的ロマン(夢物語)の一つとして彼の発表内容を転記しました。ですが上記の聖句はロマンではありません。聖書は、繰り返しノアの洪水は確かに起こったと書いています。私は御言葉はロマンを越えていると信じています。ロマンは、「~かもしれない」あるいは「~だったらいいな」という程度のものですが、神様のみ言葉には、「水でおおわれて滅んでしまった」と確信をもって書いています。ノアの洪水が本当にあったこと、ノアが箱舟を造りそれに乗って本当に洪水から救われたことは信じて良いのです。さらにみ言葉には近いうち、世界は水ではなく火によって滅びるとあります(ペテロ3:6、7参照)。決してロマンでない、神様のみ言葉の力を覚えたいと思います。

 磯部豊喜

みことばの花 180423「アララテの山」

みことばの花180423「アララテの山」

「箱舟は七月十七日にアララテの山にとどまった。」(創世記 8:4)

聖書を信じる人々にとってワクワクさせる聖句です。1960年に、東トルコのアララテ山地の一角に舟の形をした物があることが明らかにされたものの、当時の研究家たちはその場所を1日半探索しましたが、表面的な調査と言うこともあって何も見つけることが出来ませんでした。しかし17年後の1977年、ロン・ワイヤットがトルコ政府の許可を得て、徹底した調査を数年間かけて行ないました。金属探知機、表面下レーダースキャナー、実験室での検査、さらに科学的分析などを用いた調査は、驚くべき結果をもたらしたという。穴の開いたいくつものバケツ形の石の錨が箱舟と思える場所の近くから発見、金属探知機は等間隔で置かれた鉄板の規則的な模様を示し、そこに巨大な建造物の残骸があることを確認。また近くには石化されたゴフエルの木(口語訳ではいとすぎの木)も発見されたのです。レーダーは船体と船底はかなり良い状態で保存され、なお空洞の部屋があることを示しているとのことです。これらからロンはノアの箱舟は本当にアララテ山にあったと確信を持つに至ったといいます。

磯部豊喜

みことばの花 180422「ここに愛がある」

みことばの花180422「ここに愛がある」

「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛がある。」(Ⅰヨハネ 4:10)

「わたしは神様を愛している」と言い切れる人は、おそらくあまりいないと思います。私も牧師ですから「神様を第一に愛したい」と願うのですが、ひょっとすると本当に愛しているのは神様よりも、まだまだ自分自身かも知れません。上記の聖句を書かれたヨハネも「わたしたちが神を愛したのではなく」と書いています。むしろ「神がわたしたちを愛して下さって」と語り、さらに「わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった」。「あがない」とは、「失ったものを買い取る」という意味があります。御子の命(十字架の血)で、永遠の命を失った私どもを買い取って天国にふさわしい者にしてくださるというのです。まさに無償の愛、対象に向かって流れる愛です。ヨハネはこの事実に感動し、「ここに愛がある」と言います。今日も主の愛が注がれますように。

磯部豊喜