みことばの花 191031「勝利①」

みことばの花 191031「勝利①」

「しかし感謝すべきことには、神はわたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたちに勝利を賜わったのである。」
(Ⅰコリント 15:57 口語訳) 

「勝利を賜わった」とありますが、「勝利」という題のこんな信仰の詩があります。
「あなたが人に忘れられたり、おろそかにされたり、あるいは故意に無視されたりしても、
自分がはずかしめられた事や見落とされたことを喜んで心にほほえむことができる時、それが勝利である。
あなたの善い点も非難され、希望は妨げられ、あなたの趣味は悪く言われ、あなたの助言は無視され、あなたの意見が嘲笑されても、
忍耐強く、愛の沈黙を守って、すべてに耐える時、それが勝利である。…」
これにはさらに続きがあります。
また明日その続きを書かせて頂きます。
主の恵みが今日もありますように。

磯部豊喜

みことばの花 191030「生きてきて良かった」

みことばの花 191030「生きてきて良かった」

「時に、イスラエルはヨセフに言った、『あなたがなお生きていて、わたしはあなたの顔を見たので今は死んでもよい』。」
(創世記 46:30 口語訳)

一昨日、「ピア~まちをつなぐもの」という、「在宅医療・介護/多種類連帯/看取り」がテーマの映画を拝見しました。
出演俳優さんたちの熱演もあってか涙を誘う内容でした。
死にゆく人に向き合う人たちの姿が描かれていました。
決して一人寂しく死の旅路をさせない、
チームで人の死に寄り添う、そういう温かなドラマでした。
人は必ず死にますが「生きてきて良かった」と笑顔で人生を終えるのと、
人生の悲しみを背負って人生を閉じるのでは大きな違いがあります。
上記は「今は死んでも良い」と語るイスラエル(ヤコブのこと)の言葉。
死んでいたはずの愛する息子ヨセフとの再会を果たした時に語った言葉です。
「生きてきて良かった」と自ら語れる人、私が接する人にもそのように語って頂ける者になりたいものです。

磯部豊喜

みことばの花 191029「木の命」

みことばの花 191029「木の命」

「…わが民の命は、木の命のようになり、わが選んだ者は、その手のわざをながく楽しむからである。」(イザヤ 65:22 口語訳)

今日も天国に関する描写のひとつになる聖句です。
「鶴は千年、亀は萬年」と言われますが、これは事実ではありません。
ですが犬猫よりは長生き。自然の鶴は20~30年(動物園では50~80年)だそうです。
亀は40~60年が普通。ですが種類によっては250年以上という記録もあります。
ところで聖書が語る「木の命」はというと、
有名な屋久島の縄文杉は推定樹齢2000~7200年(科学的計測値としては2170年)とされています。
「木の命」は決して死なない天国での「永遠の命」を例えています。

磯部豊喜

みことばの花 191028「熊」

みことばの花 191028「熊」

「雌牛と熊とは食い物を共にし、牛の子と熊の子と共に伏し、ししは牛のようにわらを食い、」(イザヤ 11:7 口語訳)

石川県の県庁所在地金沢市に熊(つきのわ熊)が出没しており困っているようです。
熊は木登りが得意で、杉の木を何と15メートルも登っているとか。
こんな市内に熊が入っているのは珍しいとのことですが、熊に襲われる人が出ないように願います。
この地上では熊が人や家畜を襲う事があります。
上記のみことばは、天国の描写のひとこまではないかと思われます。
今の世界、天災は広がり、熊の生活圏も広がって来ています。
ですが天国の熊は「雌牛と」同じものを食べるとのこと。
つまり肉食動物も草食動物になるという約束です。
このような平和で安心した世界に行けると良いですね。
被災による涙のない世界へ行けたら幸いです。
聖書の告げる天国についての「みことば」が心に染みてきます。
今日も主の恵みがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 191027「水」

みことばの花 191027「水」

「神よ、しかが谷川を慕いあえぐように、わが魂もあなたを慕いあえぐ。」(詩篇 42:1 口語訳)

水害がまた起きました。千葉と福島に…。
今朝の新聞の見出しには、「10人の死者、一人不明」とありました。
千葉では台風15号で直接に亡くなった人はいませんでした(台風後の屋根修理などで亡くなられた人はいた…)。
ですがこの大雨は人の命を奪いました。
昨日、私は銚子へ行き、その帰路に何台かの車が乗り捨てられている所を通過。
昨日、仮に私もこの道に進んでいたらその仲間になっていたに違いない。
ところで水害によって断水したり停電になったりします。
水はまわりにあふれるほどにあるのに、飲み水が来ない。
天の命の水も同様な気がします。
天の命の水は聖書の御言葉。
聖書を手にしている人は多くいます。
しかし心と信仰をもって読まれていない。
そのために人の魂は渇き切っています。
上記の御言葉のように天の命の水を求める心を持ちたいものです。
今日も主の守りがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 191026「世から出て世に入る人」

みことばの花 191026「世から出て世に入る人」

「あなたがたは、地の塩である。もし塩のききめがなくなったら、何によってその味が取りもどされようか。
もはや、なんの役にも立たず、ただ外に捨てられて、人々にふみつけられるだけである。」(マタイ 5:13 口語訳)

聖書に登場する「世」という言葉。
キリスト者は「世的な精神」には警戒をする必要があります。
「世」の汚れに染まってはならない。
ですが一方、「世」にいる人々から離れて生活することは決して勧められてはいません。
今は世的な価値観を持っている人であっても、神様にとって大切な価値ある存在です。
キリスト者は「世の価値観」とは無縁な人ですが、「世捨て人」ではない。
「地の塩である」ことが期待されます。
キリスト者とは「世から出て世に入る人」です。天の味付けをなすために。
今日は第七日安息日、まず私自身天の味付けに染まりたいものです。
ハッピサバス!

磯部豊喜

みことばの花 191025「冷たいか熱いか」

みことばの花 191025「冷たいか熱いか」

「わたしはあなたのわざを知っている。あなたは冷たくもなく、熱くもない。むしろ、冷たいか熱いかであってほしい。」
(黙示録 3:15 口語訳)

今年、日本列島に上陸した台風はこれまで5つ。例年は1~3程度。
そのせいなのかどうかは分かりませんが、今の気温は「暑いか、寒いか」と感じる。これは私だけでしょうか。
我が家ではようやく、衣替え。半袖生活から急転回で今はコートまで着用。
「暑いか、寒いか」から上記の聖句を思い出しました。
こちらでは「冷たいか熱いか」ですが、神がキリスト者に願う心の有りようを描いています。
「冷たいか熱いか」の言わんとすることは、生き方を指す言葉。
いい加減でなまぬるい生き方をするのではなく、私の生き方の旗色を鮮明に、ということなのでしょう。

磯部豊喜

みことばの花 191024「世から出たもの」

みことばの花 191024「世から出たもの」

「すべて世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、持ち物の誇は、父から出たものではなく、世から出たものである。」
(Ⅰヨハネ2:16 口語訳)

ここに語られる「世」とは、この世的なことを指しています。
リビングバイブルでは「すべて世的な事柄―性欲におぼれたり、ほしいものを何でも手に入れたがったり、
財産や地位を鼻にかけたりする悪い願望―は、神様から出たものではないからです。
それらはみな、不正な世の生み出したものです。」と訳しています。
「世」に相対する言葉は「天」ということでしょうか。
では天にあるものは何か、「愛、喜び、平安、忍耐、親切、善意、誠実、柔和、自制」(ガラテヤ5:22のRB訳)の心。
「天」にあるものを常に求めたい。
今日も主の恵みがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 191023「一つの家族」

みことばの花 191023「一つの家族」

「五旬節の日がきて、みんなの者が一緒に集まっていると、」(使徒 2:1 口語訳) 

日本ラグビーチームのワールドカップが終わりましたが、ワールドカップは、まだ準決勝、決勝と続きます。
ところでラグビーチームには「一つの家族」という言葉があります。
彼らは個々としてではなく家族として意識しゲームに臨みます。
さて、上記の聖句は「一つの家族」としての姿が、キリストの弟子たちにもみられたことを書いています。
「みんなの者が一緒に集まっていると」…この日何が起こったのか。
一同に聖霊(神様の霊)が豊かに注がれて、お互いへの愛情は深まり、キリストのように生きることが全員の関心事になりました。
その結果、大きな宣教活動が世界に展開されました。
「一つの家族」は良い言葉です。
今日も主の恵みがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 191022「真の勝者」

みことばの花 191022「真の勝者」

「主はおのが民を喜び、へりくだる者を勝利をもって飾られるからである。」(詩篇 149:4 口語訳)

日本ラグビーチームのワールドカップが終わりました。
日本代表の戦いは初のベスト8で終了しましたが、ラグビーの世界では歴史的な躍進を遂げたことで、
多くの日本に住む人々は勇気を得たようです。
ラグビー強国の南アフリカを本気にさせ、3-26で敗けたものの、彼らは勝者に勝る敗者になったように見えました。
点差が離れても試合を最後まで捨てなかった姿に感動しました。
そしてベスト8で彼らは決して満足していない。
すでに4年後を見据えているようです。
こういう姿を見て、試合は敗北したものの真の勝者の風格を感じました。
真の勝者と書きましたが、真の勝者は常に「へりくだる」ことと深く結びついていると思います。
試合に勝ってもおごりがあれば敗北です。
主の守りが今日もありますように。

磯部豊喜