みことばの花 200630「抵抗力」

みことばの花 200630「抵抗力」

「それだから、悪しき日にあたって、よく抵抗し、完全に勝ち抜いて、堅く立ちうるために、神の武具を身につけなさい。」(エペソ 6:13 口語訳)

今朝の新聞の第一面に「世界の死者50万人 感染者1000万人」とあり「コロナ新興・途上国で猛威」との記載もありました。
わずか2日で8千人もの死者が出ています。
国内のここ三日間の感染者数が92人、113人、110人という状況は気になりますが、死者0というのが慰めです。
医療現場が良い対応をしてくださっているお陰かと思いますが、新型コロナの最高の良薬は免疫力です。
つまり細菌が入って来ても、抵抗力さえ強ければ大丈夫ということ。
新型コロナウィルスを悪魔の力に置き換えるならば、免疫力は何か。上記の聖句にはそのことが「神の武具」という表現で記されています。
この「神の武具」こそ「免疫の力」。
新型コロナに関しては、軽い運動とか十分な睡眠が良いとされます。
明日より、心を襲うウィルスについての「抵抗力」を考えてみたいと思います。

磯部豊喜

みことばの花 200629「キリストを眺める者の特徴」

みことばの花 200629「キリストを眺める者の特徴」

「主は正しくいまして、正しい事を愛されるからである。直き者は主のみ顔を仰ぎ見るであろう。」(詩篇11:7 口語訳)

私の好きな讃美歌の歌詞の一つを紹介します。
「眺めよイエスよ、仰げよ御顔を、世の栄えうせゆきぬ、み恵みの光に」。
聖書を読んで気づくことがあります。
それはキリストの弟子と呼ばれる人や預言者たちが、誰一人として「自分には罪がないとか清くなった」とか主張する者がいないということです。
むしろ皆、自分たちの性質の罪深さを告白しています。
そしてキリストの義(正しいこと)を告白し、このお方に絶対的な信頼を置きます。
事実、私たちがキリストに近づけば近づくほど、自分の醜さ、汚れた心の中が見えてきます。
それと同時に、自己をほめたり、誇りや自惚れが影を潜めるようになる。
これが主の御顔を眺める人の特徴となるのです。
今日も主の恵みがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 200628「本当の自分」

みことばの花 200628「本当の自分」

「心はよろずの物よりも偽るもので、はなはだしく悪に染まっている。だれがこれを、よく知ることができようか。」(エレミヤ17:9 口語訳)

今日とても素敵な讃美歌を入手しました。
タイトルは「わたしは弱いのです」。

わたしは弱いのです。そして少しもキリストに似ていません。
このようなわたしですが、どうかお救いください。
主よ、わたしの心を、お受けください。
わたしはこれをささげることはできません。
これは、あなたのものです。どうぞ清く保ってください。
これを、わたしが清く保っていることはできません。
どうかわたしを練り、形造り、あなたの清い聖なる雰囲気の中にひきあげて、
あなたの豊かな 愛の流れが、わたしを通って流れるようにしてください。

(キリストの実物教訓139)

上が賛美歌詞の内容です。
上記の御言葉にあるように、本当の自分を見つめて、主イエスを求めて祈る心ほど美しい生き方はないと思うのです。

磯部豊喜

下記はその讃美歌のユーチューブです。どうぞお聴きください。讃美歌手の鈴木美加さんの歌です。
https://youtu.be/vIvh-iKkb3s

みことばの花 200627「変わらない真実」

みことばの花 200627「変わらない真実」

「変らない真実をもって、わたしたちの主イエス・キリストを愛するすべての人々に、恵みがあるように。」(エペソ 6:24)口語訳) 

今日は礼拝日、新型コロナが残したもの…を瞑想したいと考えています。
この度の新型コロナは、私どもの生活に大きな影響を与えています。
悲しいかな新型コロナで経営が破綻した企業もあれば、逆に上向きになった企業もあります。
ところで「コロナ離婚」なる言葉を耳にします。
コロナによる不景気で生活苦になった夫婦はかわいそうですが、自粛のために夫婦が一緒に過ごす時間が増え、
お互いの嫌な所が目につき始めたという夫婦もあり、かえって愛情が深まった夫婦もあります。
上記の聖句には「変わらない真実」という言葉があります。
真の愛はこの「変わらない真実」を土台としています。どんな状況に置かれても変わらない。
少なくともイエス・キリストの愛は変わらぬ愛。この愛を見つめるために教会があります。
ハッピーサバス!

磯部豊喜
・・・・・・・
6/27(土)ライブ配信 URLを送ります。どうぞご都合がよければ覗いてみてください。
安息日学校(聖書の学び)10:00 聖書をいかに解釈するか(最終回)  ⑬「神の言葉によって生きる」 磯部豊喜
https://youtu.be/WafOlDt8QGw
礼拝説教11:00 「災禍から学ぶ」 磯部豊喜
https://youtu.be/yTh82k5Ay-M

みことばの花 200626「人生の選択権」

みことばの花 200626「人生の選択権」

「耳のある者は、聞くがよい。」(黙示録13:9 口語訳) 

上記の短い聖句は、キリストがよくお語りになられた御言葉です。決して信仰は強制しない。
ですが自分で選ぶ意志を求められる言葉です。
昨日は終末の話をし「キリストを人生の友とする者に希望がある」と書き添えましたが、
こういうことを語りますと「クリスチャンでなければ救われないのですか?」と問う人が現れます。
クリスチャンになるかならないかは本人の自由です。
あるお寺の小僧が高邁な和尚さんを困らせようと、捕まえた小鳥を両手の中に握り「この鳥は生きているでしょうか、死んでいるでしょうか」と質問。
和尚さんは答えた。「それはあなたの手のうちにある」と。
人生の選択権は常にわが内にあります。

磯部豊喜

みことばの花 200625「大地震」

みことばの花 200625「大地震」

「また大地震があり、あちこちに疫病やききんが起り、いろいろ恐ろしいことや天からの物すごい前兆があるであろう。」(ルカ21:11 口語訳)

今朝5時前に、千葉県で震度5弱(旭市)の地震がありました。
千葉県北東沖が震源とのこと。ニュースでは「2~3日にもっと大きな地震が来るかもしれないので注意してください」との言葉が流れていました。
確かに私の住む千葉市でもかなり強く長い時間揺れていました。昨日、上記の聖句を扱ったばかりです。
昨日は地震について触れませんでしたが、この聖句の冒頭には「また大地震があり」と言うみ言葉があります。
地震、疫病、ききん…これらが世界の終りの前兆だという。
キリストは続いて他にも前兆を幾つか述べていますが、最後の勧めは「…これらの事が起こりはじめたら、身を起こし頭をもたげなさい。
あなたがたの救いが近づいているから」(同21:28 口語訳)とまとめています。
世界の終りの次に、救いがあると語る。
キリストを人生の友とする者に希望があると教えるのです。
今日も主を見上げて歩みたい。

磯部豊喜

みことばの花 200624「物すごい前兆」

みことばの花 200624「物すごい前兆」

「また大地震があり、あちこちに疫病やききんが起り、いろいろ恐ろしいことや天からの物すごい前兆があるであろう。」(ルカ 21:11 口語訳)  

昨日のニュースで「シベリアの気温が38度になり、永久凍土が溶けている」と聴きました。
シベリアでのこれまでの最高気温は20度だそうです。
永久凍土が溶けるとどうなるのか、有機物が温められ、分解され、最終的には温室効果ガスの二酸化炭素(CO2)とメタンとして放出されるとのこと。
さらに温暖化が進むということになります。
ここ近年のことですが、サウジアラビアの砂漠に大雨が降り、川が流れ花が咲き、雪とは無縁の地中海沿岸の国が大雪に見舞われたりということもありました。
今新型コロナが騒がれていますが、先月にアフリカではイナゴの大軍が発生し、これは飢饉をもたらしますので心配です。
昔イエス・キリストが予告された地球の未来が今来ているような気がします。
「物すごい前兆」とありますが、聖書を見つめ人生を考える機会になれば幸いです。
今日も主の守りがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 200623「赤」 

みことばの花 200623「赤」 

「主は言われる、さあ、われわれは互に論じよう。たといあなたがたの罪は緋のようであっても、雪のように白くなるのだ。
紅のように赤くても、羊の毛のようになるのだ。」(イザヤ 1:18 口語訳)

「あなたの好きな色は何色?」と聞かれましたら何と答えるでしょう。「赤」と答える人はいるでしょうか。
ところで上記の聖句は罪を赤と結びつけ、罪が消されることを白としています。
私が思うには罪は赤ではなく黒のような気がします。罪は「どす黒い」からです。
ですが赤は命に関わる血の色。血を命の象徴とする…ととれば「罪は緋のようで」「紅のように赤くても」という言葉に納得します。
ところでこの罪を象徴する赤が白くなるという。神が人の真っ赤な罪を消して真白に変えて下さるという。
聖書に「血を流すことなしには、罪のゆるしはあり得ない。」(ヘブル9:22 口語訳)とあります。
キリストが十字架にかかり血を流して死んでくださった。神の御子の死が人の罪を消してくださると約束します。
これは私の命にかかわる重要な真理の光です。

磯部豊喜

みことばの花 200622「ほめられても、そしられても」

みことばの花 200622「ほめられても、そしられても」

「ほめられても、そしられても、悪評を受けても、好評を博しても、神の僕として自分をあらわしている。・・・」(Ⅱコリント6:8 口語訳) 

人はほめられると嬉しくなるものです。ですがほめ方も難しい。
たとえば私のような小さな説教家は、「最近はいい話をするようになりましたね」と言われると、「ではこれまでは駄目だったのか」と感じてしまう。
こういうほめ方だったらどうだろう。「最近は、以前にもましていい話をしますね」。これならばそうか…と、ほっとします。
ですがこういう些細なことで、左右されるのでなく、上記のパウロの言葉は、はるか高みにおける生き方を語っています。
「ほめられても、そしられても、悪評を受けても、好評を博しても」、…つまり人から何を言われても動じない。
「神の僕(しもべ)として生きる」という人生の焦点がはっきりしているので、人の評価に左右されないと語るのです。
こういう生き方が出来たら、本望だと思います。
今日も主を見上げて動ぜぬ一日を過ごしたいと思います。

磯部豊喜