みことばの花 200130「必要に応える神」

みことばの花 200130「必要に応える神」

「主よ、わたしが呼んでいるのに、いつまであなたは聞きいれて下さらないのか。
わたしはあなたに『暴虐がある』と訴えたが、あなたは助けて下さらないのか。」(ハバクク 1:2 口語訳)

祈りは聞かれると答えたいのですが、祈りには自分の思うようには聞かれないことがあります。
上記の預言者ハバククのように、正しい訴えを神様に捧げているのに願通りに答えが返って来るとは限りません。
そうなると祈りは、感謝でなく嘆きに変わってしまいます。
昨日でしたか。「神は願ごとはすぐに答えないかもしれないが必要には答えてくださる」という言葉を聞きました。
私の願い事が正しい訴えの内容でも、神にはお考えがあるようです。
そしていつの日か、最も良い時に必要に応えてくださる、これが私どもの神様だというのです。
今日も主の恵みがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 200129「金のように」

みことばの花 200129「金のように」

「しかし彼はわたしの歩む道を知っておられる。彼がわたしを試みられるとき、/わたしは金のように出て来るであろう。」
(ヨブ 23:10 口語訳)

先日、ヨブは孤立していたことを書きました。
上記はそのヨブの言葉の一部です。
彼は周りの人々から責められている中で、彼が心底から求めていたのは、「彼(神)」です。
この章の2~4節には「きょうもまた、わたしのつぶやきは激しく、彼の手はわたしの嘆きにかかわらず、重い。
どうか、彼を訪ねてどこで会えるかを知り、そのみ座に至ることができるように。
わたしは彼の前にわたしの訴えをならべ、口をきわめて論議をするであろう。」とヨブの思いが述べられています。
人生の試みに遭う時、人は悲観的になります。
ですがヨブは、訴えるべき方を知っていて、この試みも自分を金のようにすると希望を告白します。

磯部豊喜

みことばの花 200128「ねたみ」

みことばの花 200128「ねたみ」

「あなたは他の神を拝んではならない。主はその名を『ねたみ』と言って、ねたむ神だからである。」(出エジプト 34:14 口語訳)

この聖句に触れる人は「え~」と驚くことでしょう。
天の神の名が「ねたみ」というのですから。
そこで、別の聖書では「ねたみ」と訳されるこの箇所を「熱情」(新共同訳)としています。
ですが私個人は「ねたみ」と訳す口語訳聖書は、考える必要を与えてくれるのでこれも良いと思う。
「ねたみ」という言葉は神の御品性を考えると理解し難い言葉。
ですが次の御言葉と合わせると納得します。
「それとも、『神は、わたしたちの内に住まわせた霊を、ねたむほどに愛しておられる』と聖書に書いてあるのは、
むなしい言葉だと思うのか。」(ヤコブ4:5 口語訳)。
神の「ねたみ」は人間のねたみと異なり、「その愛の激しさ」を表現します。
今日も主の深い愛が注がれますように。

磯部豊喜

みことばの花 200127「天が落ちかかろうとも」

みことばの花 200127「天が落ちかかろうとも」

「このゆえに、たとい地は変り、山は海の真中に移るとも、われらは恐れない。」(詩篇 46:2 口語訳)

私の住む千葉教会は、4階建ての鉄骨造りだと思いますが、なぜだか大きな車が近くを走るたびにグラグラと揺れます。
地盤が緩(ゆる)いのでしょうか?ですが、これは私の心にも言える。何かが起きるとグラグラと揺れる。
ゆえに「不動の心を持ちたい!」、と願うのです。
さて次の言葉を見ました。

「世界で最も欠乏しているものは人物である。それは、売買されない人、魂の奥底から真実で、正直な人、
罪と罪とよぶのに恐れない人、磁石の針が南北を指示して変わらないように、良心が義務に忠実な人、
天が落ちかかろうとも正しいことのために立つ人。―そういう人である」(エレン・G・ホワイト『教育』p54)。

揺れやすい心の私があこがれるいい言葉だと思います。
今日も主の支えがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 200126「くちびるを制する」

みことばの花 200126「くちびるを制する」

「言葉が多ければ、とがを免れない、自分のくちびるを制する者は知恵がある。」(箴言10:19 口語訳) 

御(ぎょ)し難(がた)きもの、その一つは感情、御し難きもの、その一つはくちびる…。
心で思ったことを後先考えずに何でもしゃべる人がいます。
これは他人ごとではないのです。
私自身、そうであるのではと反省しきりです。特に身近な人に対して…。
傷つけたくはない、でも振り返ってみると傷つける、あるいは傷つけそうな危うい言葉を語っている自分がいます。
こういうとき「沈黙は金」。
感情で語りたくなるとき、これから語ることが相手の益になるかどうかを吟味したい。
上記の御言葉は、わたしの心にグサグサと刺さります。
刺さって良いのだと思います。真の知恵ある生き方、すなわち「自分のくちびるを制する者」となるために。
今日も主の恵みがありますように。
ともすると災いをもたらす我がくちびるが主によって守られますように。

磯部豊喜

みことばの花 200125「災間」

みことばの花 200125「災間」

「たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。
あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。」(詩篇 23:4 口語訳)

こんな一文が数日前の新聞に。「東日本大震災の後、『災後』という言葉が使われるようになった。
…あまり知られていないが、『災間』という言葉も生まれた。
…私たちはいま巨大災害の後を生きているのではなく、災間を生きている。
『いつとは知れず、しかし確実に近い将来起こるはずの大きな災害までの、
ほんのつかの間の猶予期間を生かされている』のだと…」(朝日「天声人語」2020.1.19)。
災間というのは初めて聞く言葉ですが、いつ私どもは災いに会うか分かりません。
上記は、そういう弱い人間が記憶しておきたい聖句。
今日は第七日安息日、上記の御言葉のある「あなた」を想いたい。
ハッピーサバス!

磯部豊喜

みことばの花 200124「プレアデス」

みことばの花 200124「プレアデス」

「彼は北斗、オリオン、/プレアデスおよび南の密室を造られた。」(ヨブ9:9 口語訳) 

昨日はオリオンについて触れたので、今日はプレアデスについて触れてみたい。
プレアデスは、百科事典では「おうし座の散開星団」と紹介される。
和名は周知の昴(すばる)です。
中島みゆきさん作曲・作詞の「地上の星」にも、谷村新司さん作詞・作曲の歌名にも「昴(すばる)」は登場します。
肉眼では6,7個、双眼鏡で観測すると数十個の青白い星の星団に見える。
これらの星団はまとまっているので「すばる(統ばる)」とか「すまる(統ます)」とも呼ばれ
「統一されている」という意味を持つという。
「一つに集まっている」という名の星団ですが、人はなかなかこのようにはならない。
昨年「ワンチーム」という言葉が流行りましたが、わたしのまわりはどうでしょう。
創造の神は造られた大自然の中にいろいろな教訓を用意しておられる気がします。

磯部豊喜

みことばの花 200123「オリオン」

みことばの花 200123「オリオン」

「あなたはプレアデスの鎖を結ぶことができるか。オリオンの綱を解くことができるか。」(ヨブ 38:31 口語訳)

昨日は月に触れましたが、次の見出しの言葉に触れました。
「オリオン座が崩れる?ベテルギウスに異変。
冬を代表するオリオン座の1等星ベテルギウスに異変が起きている」。
ベテルギウスは昨秋から急に暗くなり、明るさが3分の1になった。
この星は、明るさが変わる変光星ですが、過去50年間で最も暗い。
すでに寿命を迎えている不安定な星でいつ超新星爆発が起きてもおかしくない。
年老いてぶくぶく膨らんだ大きさは太陽の約1千倍。
もし太陽系にあったら地球や火星も飲み込み、木星のあたりにまで達すると言う。
燃え尽きると大爆発するとは天文学者の観察。
そういえば「その日には、天は燃えくずれ、天体は焼けうせてしまう。」(Ⅱペテロ3:12 口語訳)
という聖書の預言が現実味を帯びているように私には思えるのです。

磯部豊喜