みことばの花 201231「密②」

みことばの花 201231「密②」

「神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいて下さるであろう。罪人どもよ、手をきよめよ。二心の者どもよ、心を清くせよ。」(ヤコブ 4:8 口語訳)

昨日は、避けるべき密について考えてみました。しかし一方で、深めて行きたい「密」もあります。上記はその一つではないかと思います。
「神に近づきなさい」と勧められています。「でも~触らぬ神に祟りなし、と言われているのでは…」と考える人もあるでしょう。
ですが聖書の神は、私どもが心を開いて近づくことを喜んでくださるお方です。
「彼らは日々わたしを尋ね求め、義を行い、神のおきてを捨てない国民のように、わが道を知ることを喜ぶ。
彼らは正しいさばきをわたしに求め、神に近づくことを喜ぶ。」(イザヤ58:2 口語訳)とも書かれています。
今、避けなくてはならない「密」もありますが、深める「密」もあることを覚えたい。
「信密(信頼を密に)」「希密(希望を密に)」「愛密(愛を密に)」(※私の造語=Ⅰコリント13:13に基づく)という言葉などはいかがでしょうか。
さて、今日は大晦日。まずは一年の悪しき思いをカシャッ(PC音)とゴミ箱に入れたい。

磯部豊喜

みことばの花 201230「密①」

みことばの花 201230「密①」

「それは、偶像に供えたものと、血と、絞め殺したものと、不品行とを、避けるということである。これらのものから遠ざかっておれば、それでよろしい。以上。」
(使徒 15:29 口語訳)

先日、今年の漢字は「密」ということで決まり発表されました。「秘密の談合」とか、コロナ感染予防として「三密を避ける」などに使われた「密」。
「密を避ける」べきことが聖書にも多く書かれています。上記はその一例です。
上記はキリスト信仰を清く守るために「避ける」べき内容が記されていますが、私どもが健全な人生を過ごすためには、避けなければならないことがたくさんあると思います。
人の悪口を言うとか、不必要に怒ることとかは避けたいし、心を堕落させるものも避けたい。この種の戦いは常にあります。
「これらのものから遠ざかっておれば、それでよろしい。以上。」

磯部豊喜

みことばの花 201229「主の最善を信じて」

みことばの花 201229「主の最善を信じて」

「イエスは言われた、『よくあなたに言っておく。今夜、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないというだろう』。」(マタイ 26:34 口語訳)

昨日の「みことばの花」の締めくくりに、「主イエスは、この弟子の弱さをすでに見抜いておられ、その裏切りを予見しておられました。
全知の主の前に、私どもは心までも丸裸なのです。」という一文を添えました。
上記聖句は弟子のペテロの行動を正確に予告された主のみ言葉です。
人はしばしば自分の行動さえ予知出来ずにいますが、主イエスには読み取られている事例です。
私は明日の事どころか今日さえどうなっているのか、何をしているのか正確には見当がつきかねます。
予定通りに終える場合もあれば、予期しないことが起こることもあります。
それゆえにもっと謙虚になって、「あなたのみ心がなりますように」と祈りたい。
主の最善を信じて今日の一日のページをめくりたいと思います。

磯部豊喜

みことばの花 201228「鶏が鳴いた」 

みことばの花 201228「鶏が鳴いた」 

「ペテロはまたそれを打ち消した。するとすぐに、鶏が鳴いた。」(ヨハネ 18:27 口語訳)

千葉教会に住んで5年になります。それなのに近くに鶏を飼っている家があることを知ったのはつい先日。
しかもこの鶏、朝になると「コッケラコッコー」と鳴いています。私の耳に聞こえるのは「コケコッコー」ではないのです。
それで鶏が近くに住んでいるのに気づかなかったのか。いえ私がボーと過ごしているのが原因なのでしょう。
今朝もけたたましく鳴いていました。この声を聴きながら起き上がったのですが、同時に思い出したのが上記の聖句です。
キリストの弟子の筆頭と言われたシモン・ペテロが主を裏切り「私とあの人は関係がない」と主イエスとのつながりを打ち消したとき、「すぐに、鶏が鳴いた」のです。
人間、追い詰められると、弱音の虫が頭を出して心無いことを語ってしまうことがあります。
主イエスは、この弟子の弱さをすでに見抜いておられ、その裏切りを予見しておられました。
全知の主の前に、私どものは心までも丸裸なのです。

磯部豊喜

みことばの花 201227「ラストスパート」 

みことばの花 201227「ラストスパート」 

「だれがヤコブの群衆を数え、/イスラエルの無数の民を数え得よう。わたしは義人のように死に、/わたしの終りは彼らの終りのようでありたい」。」(民数記 23:10 口語訳)

さて今週は、いよいよ2020年のカウントダウン週。コロナで始まりコロナで終わる衝撃的な一年が間もなく終わります。
このような空気の中で、年末ラストスパートの一週間などと、活きの良いことなど言っていられない気がします。
実は明日、私が昨日記したあの眠りにつかれた知人F氏の葬儀を仕切ることになります。
死ほど人生を語るものはありません。上記は旧約聖書バラムという預言者の言葉です。
彼は神を知る預言者でありながらその欲深さのために人生を台無しにした人。それでいて上記のような思いを吐露(とろ)した人。
「義人のように死に、わたしの終りは彼らの終りのようでありたい」…こういう願いを持つことは良いだと思う。
ですが私自身は後半部を次のように換えたい。「わたしの生き方は彼らのような生き方でありたい」と。
人生のラストスパートも含めて人生を真剣に考えたいと思う。
主の愛が今日も注がれますように。

磯部豊喜

みことばの花 201226「明日は」

みことばの花 201226「明日は」

「見よ、あなたがたは喜び楽しみ、牛をほふり、羊を殺し、肉を食い、酒を飲んで言う、『われわれは食い、かつ飲もう、明日は死ぬのだから』。」(イザヤ 22:13 )口語訳)

この聖書にある言葉は、あまり好きな言葉ではありません。希望を失っている人の言葉だからです。
ですがこのように語る人の命の受け止め方は、責めることは出来ません。実は今週の日曜日、私は一人住まいの知人宅を訪ねました。
この知人をサポートしている方からの連絡を受け訪ねたのですが、無念なことにその知人は部屋の片隅で命を落としていました。
人の命の定め、それは誰も知ることが出来ません。
ところで河野進さんの詩の中に「また」というタイトルの詩があります。
「また会えると思うから 言葉も態度も ついそまつになる 明日は どうなるか 分からないのに ごうまんさ おろかさ」。
毒気を放って終わるのでなく、良い終わり方が出来たらと思う。そして永遠の明日に結びつく日々を過ごせたらと思う。
今日は聖なる第七日安息日、心の中の毒気を処理して頂き、神の愛の空気を一杯吸いたいと願う。
ハッピーサバス!

磯部豊喜

みことばの花 201225「望みを与える言葉」

みことばの花 201225「望みを与える言葉」

「あなたを恐れる者はわたしを見て喜ぶでしょう。わたしはみ言葉によって望みをいだいたからです。」(詩篇119:74 口語訳)

今、各国の首相が語る言葉が注目されています。新型コロナ対策をどのようにしてアッピールするかがその話題です。
以前は力強く「新型コロナとの戦いをアッピールしていた」フランスのマクロン大統領。ご自分が感染してしまい、優しい語り口調に変えられました。
すると国民は、大統領の言葉を受け入れるようになっていると言います。厳しい口調の必要な場合もあるでしょう。
ですが一方で、国民目線に合わせて語るのはとても効果的のようです。
ところでイエス・キリストの語り口調はどうだったのか、と考えることがあります。
イエス・キリストの語り口調の特徴は、その場その場によって異なっていたと考えられますが、その基本は人に寄り添う語り口調ではなかったかと思います。
人の罪を譴責する場合にも涙があふれていたといいます。
望みを与える優しい言葉を語る者になりたいものです。

・・・・・・・
12月26日(土)ライブ配信 URL です。
安息日学校 URL 12月26日(土)10:00 SS聖書の学び13課「天国、教育、永遠の学び」 磯部豊喜
https://youtu.be/VtGZRg5817g
礼拝説教 URL 12月26日(土)11:00 説教題「主が来られるときまで」 磯部豊喜
https://youtu.be/wkiSSWoBzes

磯部豊喜

みことばの花 201224「クリスマスの役割…幼な子」

みことばの花 201224「クリスマスの役割…幼な子」

「イエスはますます知恵が加わり、背たけも伸び、そして神と人から愛された。」(ルカ 2:52 口語訳)

今日はクリスマスイブです。ここ幾日かを用いて「クリスマスの役割」を紹介させて頂きましたが、その役割中での本命は、「幼子イエス」です。
このお方を抜きにクリスマスを語ることが出来ません。
父ヨセフ、母マリヤ、ベツレヘム近郊の羊飼いたち、東から来た博士たち…どの方々も、純粋で素晴らしい心を持つ人々でしたがこれもみなイエス・キリストに比すならば、色褪せます。
なぜなればイエス・キリストは罪なき神の御子であり、全人類の救い主となられたお方だからです。
ヨハネがその福音書の中に「この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。」(ヨハネ1:4 口語訳)と述べられたお方は、世界にただ一人。
幼少時代に「神と人から愛された」イエスこそ、クリスマスの主役です。
この事実を覚えたい、語りたい。メリークリスマス!

磯部豊喜

みことばの花 201223「クリスマスの役割・・・博士④」

みことばの花 201223「クリスマスの役割・・・博士④」

「そして、家にはいって、母マリヤのそばにいる幼な子に会い、ひれ伏して拝み、また、宝の箱をあけて、黄金・乳香・没薬などの贈り物をささげた。」(マタイ 2:11 口語訳)

もし人生の最大の発見があるとしたら、神の御子イエス・キリストを見いだすことです。
東の国から来た博士たちは、神の御子を見いだしました。そして非常に喜び、用意していたささげものを捧げました。
「黄金・乳香・没薬」これらが「宝の箱」に入っているとありますので、どれも非常に高価なものであることが分かります。
これらの贈り物は役に立ったのか…などと考えるのですが、ヨセフとマリヤは幼な子を連れて、神の御告げを受けてヘロデ王が刺客を送ったベツレヘムを急ぎ立ち、エジプトに逃れます。
このエジプトでの生活を支えたのがこれらの宝物ではないかと察することが出来ます。
そう考えると、これは実にタイムリーな捧げもの。
「人の贈り物は、その人のために道をひらき、また尊い人の前に彼を導く」(箴言18:16 口語訳)とある捧げもののようです。

磯部豊喜

みことばの花 201222「クリスマスの役割・・・博士③」

みことばの花 201222「クリスマスの役割・・・博士③」

「彼らはその星を見て、非常な喜びにあふれた。」(マタイ2:10 口語訳)

博士たちを導いた星は、ベツレヘムのある場所でピッタと停止しました。
こうして博士たちは、父ヨセフ、母マリヤ、そして後にキリストと呼ばれる幼な子イエスに出会うのです。
求め、行動を起こし、捜しあてた博士たちの喜びは、言葉では言い表すことが出来ません。
かつて私は人生を送る意味が分からずに放浪していた時がありました。
少しばかり哲学書を手にし読んだこともありましたが、そこで人生の意味を見いだすことはありませんでした。
人生に意味を見いだせないと感じていた私は刹那的な生き方、パチンコ、競馬などに無駄な金銭と時間を使ったこともあります。
しかし聖書を学び始めてイエス・キリストを知りました。
その時の喜びは博士たちのように今でも続いています。

磯部豊喜