みことばの花 190217「敵と和らぐ」

みことばの花190217「敵と和らぐ」

「人の道が主を喜ばせる時、主はその人の敵をもその人と和らがせられる。」(箴言 16:7) 

敵と和解する秘訣、それは第一に主(神様)との関係です。
敵に対して、「あなたの敵を愛よ」「あなたはあなたを迫害する者のために祈れ」(マタイ5:44参照)と主は教えられました。
主との関係とは、主の教えを心から受け入れる時に、築かれます。
主が私に教えてくださったように生きる。
そうすれば敵を敵としてでなく、むしろ味方に変えることが出来るということなのでしょう。
天国とは敵のいない世界です。
これはこの地上では、実に難しいことかも知れませんが、
主との和解こそが、敵との和解に発展する可能性が広がるということでしょう。
今日も主の恵みと愛がありますように。

磯部豊喜

みことばの花 190216「心という顔」

みことばの花190216「心という顔」

「水にうつせば顔と顔とが応じるように、人の心はその人をうつす。」(箴言 27:19)

鏡のない時代は、自分の顔を知るためにはどのようにしていたのかと考えることがあります。
肖像画なのか、井戸水の表面なのか。
今は精巧な鏡があるので自分の顔がどんな顔なのかをはっきりと知ることが出来ます。
しかし自分の心はどうでしょう。
上記に「人の心はその人をうつす」とありますが、リビングバイブルではここを次のように訳しています。
「人のほんとうの心はどんな友だちを選ぶかでわかります」。
なるほど…と思いました。確かに自分自身の心の顔を映すのはその友達なのかも知れません。
今日は第七日安息日、ここに集まる人の顔こそ、私の心の顔を映す鏡かも…。
私の顔は友の心の顔、友の顔は私の心の顔。
素晴らしい交わりの一日を持ちたいと思います。

磯部豊喜

みことばの花 190215「わたしは神である?」

みことばの花190215「わたしは神である?」

「人の子よ、ツロの君に言え、主なる神はこう言われる、あなたは心に高ぶって言う、
『わたしは神である、神々の座にすわって、海の中にいる』と。
しかし、あなたは自分を神のように賢いと思っても、人であって、神ではない。」(エゼキエル 28:2)

自分自身を「わたしは神である」と呼ぶ人がいると聖書に書かれています。
上記は、その最たるものでツロの君のことが描かれています。
彼は心高ぶり「わたしは神である…」と自己申告しました。
こういう告白に対して創造主は敏感です。
「あなたは…人であって、神ではない」と言われます。
自分を神とする人の特長。それは自己主張が強い人。自分の人生は自分のものだから自分勝手に生きて当然と考える。
ですが人はあくまで人であって神ではない。神を神とする人こそ、健全な人であると私は信じています。
常に主を見上げて日々を謙虚に過ごしたいものです。
今日も主の恵みがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 190214「試練と同時に」

みことばの花190214「試練と同時に」

「あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。
神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、
試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。」(Ⅰコリント 10:13)

トップアスリートの一人池江璃花子(いけえりかこ)選手が白血病であるとご自分で公表されて後、
彼女のツイッタにこういう言葉が書き込まれたという。
「私は、神様は乗り越えられない試練は与えない、自分に乗り越えられない壁はないと思っています」。
これをみて何と素敵な選手だろうと思うと同時に、私の頭に浮かんだのが上記のみ言葉です。
「試練と同時に、それに耐えられるように、のがれの道も備えて下さる」との約束です。
池江選手に神様の癒しがあるように心から信じて祈り求めたい。

磯部豊喜

みことばの花 190213「月のLOVE」

みことばの花190213「月のLOVE」

「ヨハネの子シモンよ、あなたはこの人たちが愛する以上に、わたしを愛するか」(マタイ 17:5) 

上記は弟子のペテロに言われた主イエスのみ言葉です。
「愛するか」という問いは、このときのペテロばかりではなく、常に私の心にも迫ってきます。
「主を愛するとは、目の前の人を愛すること…」と分かってはいても、相手によっては、そのようになかなかいかないことも事実です。
とろこで、誰が見つけたかわかりませんが、
月の表面にアルファベットの「LOVE」の4文字が浮かび上がっているように見える地形があるといいます。
ほぼ中央に「V」、下部に「L」と裏返しの「E」、「O」はたくさんあるクレータの一つ。拡大するとくっきりと見える。
このように「LOVE」は、地球の人の心のみならず宇宙にも書き記されているのでしょうか。
今日も「愛する」ことを求めて歩みたい。
「主よ、愛されることよりも愛する者とならせてください」。

磯部豊喜

みことばの花 190212「今」

みことばの花190212「今」

「わたしはきょう、泉のところにきて言いました、
『主人アブラハムの神、主よ、どうか今わたしのゆく道にさいわいを与えてください。」(創世記 24:42)

若き女性映画監督の山戸結希さ(30歳)のことを知りました。
この人が、「これからどんな映画を撮り続けたいですか」の質問に、次のように答えています。
「常に最新作を一番愛しています。一番愛せる最新作でなければ、絶対に撮らないと決めています。」
私も説教家ですが、今の説教を一番愛せるメッセージとして語ることができれば…とこの若い女性映画監督から教えられました。
今を最新にして最高のものとして生きる、そういう生き方が出来たらと思います。
ダラダラと過ごしがちな者ですが、「今日が私の最高で最新作…」という思いで過ごせたら少しはいいかも思います。
そこで、「主よ、どうか今わたしのゆく道にさいわいを与えてください」と祈りたい。

磯部豊喜

みことばの花 190211「孤児とはしない」

みことばの花190211「孤児とはしない」

「わたしはあなたがたを捨てて孤児とはしない。」(ヨハネ 14:18)

昨日、「僕は、23年前に電話ボックスの中にへその緒がついたまま置かれていた赤ちゃんだった」という新聞記事が載っていました。
17歳になって、父に本当の子ではないと言われ、母子手帳から自分のルーツを知った。
そしてたどり着いたのが、彼の名付け親であり、その人が見つけたという電話ボックスのことを知った。
「立派に成長なさって」と聞き、生きてほしかったんだ、という人の思いに触れたという。
上記は、いかにして生まれようとも、励ましてくださるキリストのみ言葉です。
主こそ私どもの魂の親なのです。

磯部豊喜

みことばの花 190210「主張」

みことばの花190210「主張」

「そのとき、彼らもまた答えて言うであろう、
『主よ、いつ、あなたが空腹であり、かわいておられ、旅人であり、裸であり、病気であり、獄におられたのを見て、
わたしたちはお世話をしませんでしたか』。」(マタイ 25:49)

昨日の続きです。
これは左側にいる人々の主張です。
他者に対する善行は、王に対する善行だということを彼らは聞きましたが、左側の人々に対する王の評価は低い。
「あなた方は、私に何もしれくれなかった」と王は語る。
これに対して左側の人々は、「そんなことはありません」と主張。
彼らの記憶は全開。その記憶は正しかったのかも知れない。
しかし王は「わたしにしてくれなかった」という。この真相は何か。
自分の善行を記憶し、それを誇っているという驕(おご)りが問題なのかも知れません。
讃美歌の一節に「与えて心にとめぬ、まことの愛の人」とあります。
真の善行とはきっと記憶されないものなのでしょう。

磯部豊喜

みことばの花 190209「記憶不足?」

みことばの花190209「記憶不足?」

「そのとき、正しい者たちは答えて言うであろう、
『主よ、いつ、わたしたちは、あなたが空腹であるのを見て食物をめぐみ、かわいているのを見て飲ませましたか。
いつあなたが旅人であるのを見て宿を貸し、裸なのを見て着せましたか。」(マタイ25:37,38)

今日の聖句は「覚えていない」という話。本人に記憶がなくても相手は善行をしてもらったと言う。
これはたとえ話ですが、右側にいる人々に向かって、王はその善行をたたえます。
けれどもその人々は王様に善行をしたなどと言わない。
嘘なのか、記憶不足なのか。いえそれは嘘でも記憶不足でもない。
彼らが施した相手が王ではなかったということです。
実は日常生活の中で目前にいる人に対する善行こそ、王(キリスト)に対するものだった。
これは日常の生き方の大切さを教えているのかも知れません。

磯部豊喜

みことばの花 190208「人事表」

みことばの花190208「人事表」

「彼は地の果までもみそなわし、/天が下を見きわめられるからだ。」(ヨブ 28:24)

「みそなわし」という言葉があります。
これは私の持っている小さな国語辞典にはない言葉です。
そこで新共同訳聖書を参照しますと「神は地の果てまで見渡し/天の下、すべてのものを見ておられる」とあります。
「みそなわし」とは「見渡す」とか「見下ろす」という意味です。
先日、次年度牧師人事表が配布されました。
私には今回より【磯部豊喜】と【】が付いています。
【】は名誉牧師と呼ばれるそうですが、身の引き締まる呼び名です。
私に関して言えば、引退後居残り牧師のほうが気が楽なのです。
とはいえ、主の御目に見渡されていることは確実ゆえ、心を引き締めなくてはと…。
今日も主の恵みがありますように。

磯部豊喜