みことばの花 201211「長く生きる」

みことばの花 201211「長く生きる」

「あなたの父と母を敬え。これは、あなたの神、主が賜わる地で、あなたが長く生きるためである。」(出20:12 口語訳)

ネットで発見したニュースの内容です。昨年5月、小学3年生の息子が登校するのを渋り始めた。
母は看護師として息子と顔を合わすことが難しく祖母が面倒を見ている。集団行動が苦手、すぐ手が出てしまう。息子は発達障害ではないか、と疑った。
暴言や暴力が増えてきたが、学校に行きたくないと言う息子を何とか毎日送り出していた。
…その息子が今年、学校で出された子供へのアンケート「今の自分を見つめよう」の質問欄の一つ「自分のいいところ」に、
「生きてる」と書いてあったのを見、母は思わず涙して、息子を抱きしめたという。
子供が「長く生きる」ことほど親にとって嬉しいことはない。上記の聖句を思い出しました。
今日も主の守りがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 201210「生かされる②」

みことばの花 201210「生かされる②」

「アダムにあってすべての人が死んでいるのと同じように、キリストにあってすべての人が生かされるのである。」(Ⅰコリント 15:22 口語訳)

昨日、取り上げた聖句の解説を私なりにしてみたいと思います。ここには二人の名が記されています
一人は人祖アダムで、あと一人は神の御子キリストです。
前者のアダムは、神様の前に罪を犯し、この世界に死をもたらした張本人で、私どもはその子孫です。
それゆえ「すべての人が死んでいる」とあります。この聖句を見て、「アダム」ほど自分の行為を悔やんだ人はいないと思う。
ドミノ倒しのように、人はアダム以来、罪とその結果である死の定めを受け継いでいます。
ですがそのドミノ倒しをストップしてくださった方がおられる。それがキリストです。彼は罪を犯さず口にも一点の偽りもなかった。
人はこのキリストを私の救い主として受け入れるならば誰でも「永遠の命に生かされる」のです。
今日も主の恵みがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 201209「生かされる①」

みことばの花 201209「生かされる①」

「アダムにあってすべての人が死んでいるのと同じように、キリストにあってすべての人が生かされるのである。」(Ⅰコリント 15:22 口語訳)

昨日12月8日は、79年前(1941年)に日米開戦(真珠湾攻撃)の行われた日ですが、
空母蒼龍の艦載機の搭乗員として参戦した、吉岡政光さんのことが新聞に取り上げられていました。
吉岡さんは現在102歳。当時23歳ということになります。あの真珠湾攻撃の体験者が今も生きておられたことに、驚きと人の命の不思議を感じます。
吉岡さんが戦争体験を話し始めたのが2年前という。
「戦死した人たちが気の毒で、私みたいにのうのうと100歳過ぎまで生きていて、悪いなと思っていますよ」、
そして「今でもいつ戦争になるか、そんな気がしますから、よっぽど外交をしっかりやらないと。
国民がしっかりして、みんなと仲良くするよう努力しなくちゃいけないと思いますね」。
この記事を見て、人には役割があって生かされていると思いました。
そして上記の聖句のように、「キリストにあってすべての人が生かされる」というみ言葉が私の心に染みるのです。

磯部豊喜

みことばの花 201207「やりとげる」

みことばの花 201207「やりとげる」

「だから今、それをやりとげなさい。あなたがたが心から願っているように、持っているところに応じて、それをやりとげなさい。」(Ⅱコリント 8:11 口語訳)

今朝の新聞第一面に「はやぶさ2カプセル帰還」とありました。
「小惑星探査機『はやぶさ2』が地球の重力圏に帰還し、小惑星『リュウグウ』の砂が入っているとみられるカプセルを送り届けた」とのこと。
そのカプセルの名は「玉手箱」だそうですが、それならば探査機の名前は「はやぶさ2」でなく「浦島太郎」にしてはどうかなどと勝手に思いました。
『はやぶさ2』は、「玉手箱」を地球に投下して後、新たな探索の旅へ出たそうです。こ
の日本のプロジェクトチームが、これを「やりとげた」ことは本当にすごいことだと思います。
聖書に中にも「やりとげさない」と連呼されている箇所があります。
初心貫徹、「やりとげる」というのは響きの良い言葉です。
今日は「やりとげる」を心に刻みたい。

磯部豊喜

みことばの花 201206「野菜」

みことばの花 201206「野菜」

「あなたが入って行って得ようとしている土地は、あなたたちが出て来たエジプトの土地とは違う。そこでは種を蒔くと、野菜畑のように、自分の足で水をやる必要があった。」(申命記 11:10 口語訳)

上記は聖書の中に最初に「野菜」という言葉が登場する箇所です。これは私にとって意外でした。
「野菜」は、聖書冒頭の創世記にすでに記述されているに違いないと考えていたからです。
類似聖句はあります。「種を持つ草」(創世記1:29 口語訳)とか「野の草」(同3:18 口語訳)とか「地の産物」(同4:3 口語訳)です。
しかし「野菜」という記述で登場するのは上記です。ところで私はかつて「野菜」を好まない子供でした。
しかし「八百屋」という仕事を自営で行った時より「野菜」が大好きになりました。
この「野菜」ですが、食べる順序を工夫すると良いと、「心と体のホッとサプリ」という本より教えてもらいました。
「野菜」を食事の最初にとると良いと言う。この順序は糖尿病の患者さんへの食事療法として始まったそうです。
野菜は血糖値の上昇が少なくインスリンの量をコントロールしてくれるとのこと。
試してみませんか。
今日も主の恵みがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 201205「非常に良い地」

みことばの花 201205「非常に良い地」 

「イスラエルの人々の全会衆に言った、『わたしたちが行き巡って探った地は非常に良い地です』」(民数記14:7 口語訳)」(民数記 14:39 口語訳)

昨日は、アフガニスタンの人々のために人生をささげたにもかかわらず、襲撃されて亡くなられた中村哲さんの一周忌を迎えたとの報道がなされていました。
これは「非常」に悲しむべき出来事でした。中村哲さんは、医者としての仕事ばかりでなく、悪い土地を灌漑し、非常に良い地に変えようと励んでいました。
ところでイスラエルの人々は、エジプト奴隷から解放されて、乳と密の流れる地カナンを目指していました。
そしてその手前に来た時に、イスラエルのリーダーのモーセはカナン偵察のために各部族から12人を選びます。
10人は否定的な報告でしたがヨシュアとカレブはそのカナンを「非常に良い地です」と報告します。
このカナンは、聖書では「天国」を象徴しています。天国はカナン以上に「非常に良い地」です。
今日は聖なる安息日。「非常に良い地を」目指して、皆様と共に進んで行きたいと願っています。
ハッピーサバス!

磯部豊喜

みことばの花 201204「非常①」

みことばの花 201204「非常①」

「アブラムは家畜と金銀に非常に富んでいた。」(創世記 13:2 口語訳)

今朝のニュースに「大阪府吉村知事、医療非常事態宣言」という文字を見ました。
そして大阪のシンボルタワーの「通天閣」とか「太陽の塔」などに赤色の照明が灯されたようです。
新型コロナ感染はますます深刻度を増してきています。
この「非常事態」という言葉から、聖書にある「非常」という単語を調べてみました。
その数の多いこと。上記は聖書の最初の書「創世記」に登場する「非常」です。
こいう内容の「非常」ならば悪くはないのですが、最後の書「黙示録」に登場する「非常」は、災害に関するありがたくない内容です。
「また一タラントの重さほどの大きな雹が、天から人々の上に降ってきた。人々は、この雹の災害のゆえに神をのろった。
その災害が、非常に大きかったからである」(黙16:21 口語訳)。
今世界を包んでいるのは、後者の「非常」のようです。「非常」とは「はなはだしいこと、普段と異なる事」。
アブラハムの場合のような祝福が「金銀」とまでは行かなくても、私たちの「心身」に訪れることを祈りたい。

磯部豊喜

みことばの花 201203「強くするために」

みことばの花201203「強くするために」

「わたしは主である。わたしのほかに神はない、ひとりもない。あなたがわたしを知らなくても、わたしはあなたを強くする。」(イザヤ45:5 口語訳)

「新型コロナを無くせば神への信仰は深まるのに…」というご意見を頂きました。
「愛の神はおられる」と言っても、この世界はそれを疑わせる出来事だらけ。
「本当に愛の神がおられるならば…」と言いたくなる心は理解できます。
ですが、このような現実には、何かは分かりませんが神の深いみ心があると私は受け止めます。
人生には嵐はないほうが良いと思います。しかし嵐も困難もないと人間はどうなるのか。おそらく何も成長しないような気がします。
苦難の中に置かれる時、人は強くされます。事実、風雪に見舞われた樹木は鋼のように強い。
人生の困難、試練…それらは、人間を人間らしくしてくれるのかも知れない。
痛みの分かる優しい人にしてくれるに違いないと私は思うのです。

磯部豊喜

みことばの花 201202「勤労」

「そして、あなたがたに命じておいたように、つとめて落ち着いた生活をし、自分の仕事に身をいれ、手ずから働きなさい。」(Ⅰテサロニケ 4:11  口語訳)  

先日ラジオに、水木しげるの漫画ゲゲゲの鬼太郎の「歌」が流れていました。
そこには「楽しいな~楽しいな~○○〇にゃ学校も試験も何にもない」とあったような。
この歌詞を耳にして「本当にそれで楽しいのか」と思いました。
ところで聖書の語る天国はどういうところなのかを考えました。天国は「仕事も、勉強もない」所なのだろうか。
ところが聖書に記された天国らしい描写には、必ずしも「天国は何もしないところ」ではないことがわかる。
無限の知識を得るための学びがあるらしいし、「彼らは家を建てて」「ぶどうを植えて」(イザヤ65章 口語訳)とかを見ると、仕事もある。
ですが、きっとその仕事は心から楽しめるものなのだと思う。
もし何もすることのないとしたら、それは反対に苦痛かも。
さて上記には、「仕事に身をいれ、手ずから働きなさい」とある。これも人生を楽しむ一つだと私は思う。

磯部豊喜

みことばの花 201201「恵みを数える」

みことばの花 201201「恵みを数える」

「わがたましいよ、主をほめよ。そのすべてのめぐみを心にとめよ。」(詩篇 103:2 口語訳)

聖歌という歌集の中にこういう題の歌があります。題は「のぞみも消えゆくまでに」。

「のぞみも消えゆくまでに、世の嵐に悩むとき、数えてみよ主の恵み、なが心は安きを得ん。
数えてみよ主の恵み、数えてみよ主の恵み、数えてみよ一つずつ、数えてみよ主の恵み」。

これは歌詞の一番ですが、この中に「数えてみよ主の恵み」とあります。
ややもすると恵みを数えるよりも、悲しいこと、辛いこと、嫌なことを、数えすぎてはいないか…と私は自問します。
それよりも「主の恵みを数える」ことのほうが、私の心の衛生には良いに違いない。
朝目覚めて、夜就寝するまで、今日も生かされていた、今日もあの人と会えた、今日もこういうことが出来た、今日も…と感謝の種をかき集めてみる。
この種はきっと、明日、明後日、いえ一年後に芽吹くに違いない。
「すべてのめぐみを心にとめる」習慣を身につけたいものです。

磯部豊喜