みことばの花 200312「再臨」

みことばの花 200312「再臨」

「これらのことをあかしするかたが仰せになる、『しかり、わたしはすぐに来る』。アァメン、主イエスよ、きたりませ。」(黙示録 22:20 口語訳)

中国で謎の呼吸器疾患の集団発生したのは昨年12月中旬のこと。
この正体が新型コロナウイルスと分かってから、約3か月を経て、何と日本時間12日午前2時現在で113カ国・地域で12万人以上が感染し、
すでに4500人を超える方々が亡くなられています。
ついにWHO(世界保健機構)のテドロス事務局長は「パンデミック(世界的大流行)と見なせる」と表明。
ただ一人から始まったと思える新型コロナがこんなに拡大するとは誰が想像できたでしょう。
聖書には明日の事は書いていませんが、確実な未来のことは書いています。
そのラストメッセージこそ上記の御言葉。「わたしはすぐに来る」。
私とはイエス・キリストの事。イエス・キリストの再臨の約束です。
私どもアドベンチスト教会は、この日にスポットをあてて、生活するのです。
失望ではなく希望を刈り取るために!主の恵みが今日もありますように。

磯部豊喜

みことばの花 200311「押しのける者」

みことばの花 200311「押しのける者」

「あなたがたはおのおの隣り人に気をつけよ。どの兄弟をも信じてはならない。
兄弟はみな、押しのける者であり、隣り人はみな、ののしって歩く者だからである。」(エレミヤ 9:4 口語訳) 

上記はエレミヤが神の視界をもって人間観察をしている言葉。
人の「心根(こころね)」というものが記されています。
その実態は「押しのける者」。
実に悲しむべき観察の内容ですが、自分を客観的に観察するとき、これはあながち否定できない気がします。
旧約聖書の重要人物の一人に「ヤコブ」という人がいます。
ヤコブは双子として誕生しましたが、兄エサウのかかとをつかんでいたことから「かかと」と同じ語源からきているヤコブという名前がつけられました。
この同じ語源には「だます」という意味もありました。
ヤコブはその名のように、兄を「押しのけてだました」ことがありました。
それでも彼は後に「イスラエル人」の先祖となる「イスラエル」という名に変えられます。
これはまさに神のみわざです。
人の希望はここにあります。

磯部豊喜

みことばの花 200310「新しく造られることこそ、重要」

みことばの花 200310「新しく造られることこそ、重要」

「割礼のあるなしは問題ではなく、ただ、新しく造られることこそ、重要なのである。」(ガラテヤ 6:15 口語訳)

新幹線の設計がこれまで何度も変わって来ています。
でも思い出深いのは何といっても初代0系。「団子っ鼻」と呼ばれたもので、故三木忠直(みきただなお)氏がその発明者とされます。
その三木氏は太平洋戦時中には陸上爆撃機「銀河」、ロケット特別機「桜花」などの設計を担当。
終戦後、特攻機を設計して若者たちを死に追いやった罪責観から、
戦後、クリスチャンであった母と妻の勧めで渡辺善太牧師の門を叩きキリスト教信仰を求め、バプテスマを受けクリスチャンになりました。
生まれ変わった三木さんは、戦後は武器の設計ではなく人の役に立つものをと新幹線設計者となったという。
新しい人生のターニングポイント(転換期・岐路)が人に用意されているというのは素晴らしいことだと思います。
未来は変えることが出来る!

磯部豊喜

みことばの花 200309「異端騒動」

みことばの花 200309「異端騒動」

「さて、この男は、疫病のような人間で、世界中のすべてのユダヤ人の中に騒ぎを起している者であり、また、ナザレ人らの異端のかしらであります。」
(使徒 24:5 口語訳

キリストが昔「異端者」と呼ばれていたことをご存知でしょうか。
そうユダヤ教を信じる人々の立場からみればキリストは「異端者」。
上記に「疫病のような人間」といわれた人がいます。
ユダヤ教からの改心後、キリストに命をささげたパウロです。
パウロがキリストを語るたびに異端騒動がおきました。
昨日の朝刊に、「世界で10万人超、死者3519人」と新型コロナウイルス感染者数が発表されていました。
死の恐れがあるこちらの感染は好ましくありません。
ですが、キリストの示された愛の福音は、「異端呼ばわりされても」広まったことは、素晴らしいことでした。
こちらには確かな永遠の命の希望があるからです。
この愛の主キリストを広く届けたいと私は願うのです。
今日も主の愛と恵みがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 200308「ライブ説教」

みことばの花 200308「ライブ説教」

「御言を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても、それを励み、あくまでも寛容な心でよく教えて、責め、戒め、勧めなさい。」(Ⅱテモテ4:2 口語訳)

昨日は、新型コロナウイルス感染予防の集会自粛要請を受け止め、安息日集会を控えて、その代わりにライブ説教配信を行いました。
限定公開ではありましたが、約40人の方々がアクセスしてくださったようで、語る側としてはとても励まされました。
上記はパウロがテモテに宛てたメッセージの一文です。
「時が良くても悪くても…」、今は「良い時代?」「悪い時代?」どちらでしょうか。
集会を休会にすることは無念なことでしたが、
こういう方法でも「御言葉を宣べ伝える」ことができる環境があるということはまだ「良い時代」なのかも知れません。
それにしても初めての体験、心には冷や汗が流れました。
主の守りが今日もありますように。

磯部豊喜

みことばの花 200307「キリストの祈り」 

みことばの花 200307「キリストの祈り」 

「わたしがお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、彼らを悪しき者から守って下さることであります。」(ヨハネ 17:15 口語訳)

イエス・キリストは深い愛の人でしたが、同時に熱い祈りの人でした。
上記はキリストの長い祈りの中の一文です。
私はこのキリストの祈りが、その時の弟子たちに対する祈りの言葉であったことを知っています。
ですがこの祈りの言葉は、時代を超えて、キリストを求める人たちをも含んで捧げられていることを信じます。
この地上に生活する限り、罪に誘う激しい誘惑があります。
「何でこんなことをしてしまったのだろう」と悔いることもあるでしょう。
ですがそのような時、「あっ、私はキリストに祈られている」と思い起こすことは大切です。
もし私が心の片隅で少しでも「イエス様助けて!」と声なき思いを発するならば、このみ言葉は成就するに違いありません。
ハッピーサバス!良き安息日をお過ごしください!

磯部豊喜

※本日、午前11時から11時45分頃まで、安息日礼拝説教「私には夢がある」をライブ中継する予定です。
10時から10時45分頃までは聖書の学び「ダニエル書9章」も行う予定です。
SDA千葉キリスト教会のホームぺージを開き、下記を押すと参加することが出来ると思います。どうぞ試しにアクセスしてみてください。

こちらでアクセスできます。⇒https://youtu.be/QbRUZgRrNHA

みことばの花 200306「人間の美点」

みことばの花 200306「人間の美点」

「彼らは神の栄光を/草を食う牛の像と取り替えた。」(詩篇 106:20 口語訳)

次のようなメッセージに触れました。
「人間が持っている美点は皆、神の賜物である。
…彼らがどんな人間で、どんな行為をしようとその誉は神にだけ帰すべきである。
彼らは、ただ、み手の中にある器に過ぎない。
…聖書の歴史のすべての教訓が教えているように、人間を賞賛し、高めることは危険である」(AA・71章より)。
人は「神様の栄光」をたたえるよりも自分の栄光をたたえる傾向があるように思います。
上記の聖句のように偶像を神に取り替えたりするのも人間です。
最も始末の良くないのが、自己賞賛。
各分野においてすぐれた才能を発揮できる人がいます。
しかし人に才能を授けたお方こそが讃えられるのが大切だと私は考えています。
「人間の持っている美点は皆、神の賜物」…、ここを抑えてさえいれば、人は安全な気がいたします。
主の恵みが今日もありますように。

磯部豊喜

※明日午前11時から11時45分頃まで、新型コロナウイルス対策として安息日礼拝説教「私には夢がある」をライブ中継する予定です。10時から10時45分頃までは聖書の学び「ダニエル書9章」も行う予定です。SDA千葉キリスト教会のホームぺージを開き、下記を押すと参加することが出来ると思います。どうぞ試しにアクセスしてみてください。

こちらでアクセスできます。⇒ https://youtu.be/QbRUZgRrNHA

みことばの花 200305「復活を信じる」

みことばの花 200305「復活を信じる」

「その後、イエスは十一弟子が食卓についているところに現れ、彼らの不信仰と、心のかたくななことをお責めになった。
彼らは、よみがえられたイエスを見た人々の言うことを、信じなかったからである。」(マルコ 16:14 口語訳)

キリストは死からよみがえりました。
しかしキリストの十字架が、現在の私たちとどういうつながりがあるのかという疑問以上に、これを大きな疑問として持たれる人がいるかも知れません。
ですから上記の記録は、その時の人間の姿をありのままに描いていると思えます。
「彼らは、よみがえられたイエスを見た人々の言うことを、信じなかった」とあります。
死んだ者が復活する…これは死で終る人の概念からすると信じがたいこと。
ですが聖書の記録は解釈ではなく事実をそのまま書いています。聖書を記録した人が、実際に見たことや体験した人からの情報を書いています。
これを信じるか信じないのか、その選択は自由です。
私は信じたほうが私の人生にとって良いと受け止めています。

磯部豊喜

※明日午前11時から11時45分頃まで、新型コロナウイルス対策として安息日礼拝説教「私には夢がある」をライブ中継する予定です。10時から10時45分頃までは聖書の学び「ダニエル書9章」も行う予定です。SDA千葉キリスト教会のホームぺージを開き、下記を押すと参加することが出来ると思います。どうぞ試しにアクセスしてみてください。

こちらで⇒https://youtu.be/QbRUZgRrNHA

みことばの花 200304「バプテスマ」

みことばの花 200304「バプテスマ」 

「それとも、あなたがたは知らないのか。キリスト・イエスにあずかるバプテスマを受けたわたしたちは、彼の死にあずかるバプテスマを受けたのである。」
(ローマ6:3 口語訳)

3月になると思い出すことがあります。
それは私自身のバプテスマです。私がバプテスマを授けて頂きましたのは今から45年前の3月1日です。
この日は私にとって人生の大きな節目の日となりました。
バプテスマは日本語では洗礼と訳されていますが、私個人は浸礼とか沈礼(磯部の造語)とかが適当な言葉だと考えます。
聖書によるバプテスマは全身を水の中に入れる出来事だからです。
全身を沈める理由は、頭から足の裏まで人間は罪人(イザヤ1:6 口語訳 参照)で綺麗なところがない。
その罪に死に、イエス・キリストの義に生まれ変わるというのがバプテスマ。
これは儀式ですが、上記の御言葉と共にそこに込められる意味を、日々に思い起こして歩みたいと願うのです。

磯部豊喜

みことばの花 200303「敵を愛し」

みことばの花 200303「敵を愛し」

「しかし、あなたがたは、敵を愛し、人によくしてやり、また何も当てにしないで貸してやれ。
そうすれば受ける報いは大きく、あなたがたはいと高き者の子となるであろう。…」(ルカ6:35 口語訳 ) 

敵というのは普通、戦う相手のことです。
ただ敵にもいろいろな敵がいます。政敵、スポーツで戦う相手、自分と意見の合わない人…。
ところで次は大劇作家シェークスピアの喜劇の中の一文です。
<「だってさ、友だちはおれをほめあげてばかにするが、敵は正直にばかだといってくれる。
…つまり敵によっておのれを知り、友だちによっておのれを欺くってわけだ」>(小田島雄志訳)。
立場の異なる敵の存在は人を強くし成長させてくれる、自分の姿を真に見つめる役割を果たすという。
ところでキリストは、さらに一歩踏み込んで「敵を愛し」と教えています。
難しいことですが、心に刻みたい御言葉です。

磯部豊喜