みことばの花 200321「失望に終らない」

みことばの花 200321「失望に終らない」

「聖書は、『すべて彼を信じる者は、失望に終ることがない』と言っている。」(ロ-マ 10:11口語訳)」 

聖書の不思議…聖書を読んで書いたものが、聖書として認知されています。
上記の御言葉は、パウロが書いた言葉ですが、これが後に聖書に加えられました。果たしてパウロは知っていたのでしょうか。
さて、パウロの引用している旧約聖書の箇所は、イザヤ18:16だと思われます。
「それゆえ、主なる神はこう言われる、『見よ、わたしはシオンに/一つの石をすえて基とした。これは試みを経た石、堅くすえた尊い隅の石である。
「信ずる者はあわてることはない」。』」とあります。
信仰は練習です。
彼、すなわち「試みを経た石、堅くすえた隅の石」(十字架で苦しめられた後に復活した)イエス・キリストに学ぶ者は、「あわてず、失望に終らない」。
今日は第七日安息日、主への信頼を深めたいと思います。
ハッピーサバス!

磯部豊喜

みことばの花 200320「わたしは独りではない!」

みことばの花 200320「わたしは独りではない!」

「わたしは、あなたがたを捨てて孤児とはしない」(ヨハネ14:18 口語訳)

私が「みことばの花」の配信を始めたのは2015年9月11日のことでした。
そのトップバッターとして選んだ聖句が上記の聖句です。
先日、TVチャンネルの切り替中にワンピースという人気漫画をチラッと覗いてみました。
そうしましたらそのキャラクター君(名前は知りません)が「僕は一人で生きていけないことに自信がある」というような言葉を語っていました。
なかなかいい言葉だと思いました。
人はやはり誰かを必要としている。
そういう時に、上記の主イエスの御言葉はとても励みになります。
主は「わたしは、あなたを捨てて孤児とはしない」…と語ってくださる。
何と嬉しい言葉でしょうか。
この一言を誰もが信じられたらどんなに良い事かと私は思います。
わたしは独りではない!

磯部豊喜

みことばの花 200319「サン・イク」

みことばの花 200319「サン・イク」

「むしろ、あなたがたの間で、ちょうど母がその子供を育てるように、やさしくふるまった。」(Ⅰテサロニケ 2:7 口語訳) 

今日は3月19日。この数の好きな学校があります。それは私どもの姉妹機関である「三育学院大学」「三育小・中・高」の教育機関です。

当初より知・徳・体の三育を教育の柱としてきました。
この「サン・イク」ファンは、自動車ナンバーも「・319」を所有しています。
ところで「三育」という漢字を「三盲」と読み違えて、これを三重苦の人の学校だと考えた人があった。
三重苦には罪はない。ですがよく考えると、悲しいかな人は「悪知恵、悪徳、悪体」三重悪の可能性があります。
ゆえに三方面のアクを克服する、真の愛を学ぶ必要を感じます。
「三育」、すなわち愛するための知識、愛という徳、愛するための体力を育てる。
これが人に大切な気がします。
主の愛が今日もありますように。

磯部豊喜

みことばの花 200318「とがをおおう愛」

みことばの花 200318「とがをおおう愛」

「憎しみは、争いを起し、愛はすべてのとがをおおう。」(箴言 10:12 口語訳)

インターネットにマスクの装着の仕方が紹介されていました。
その基本は、鼻を包む上の部分をしっかりおおうこと、口と頬の境をしっかりとおおうこと…。
要は隙間を作らないように「おおうこと」です。
これをしっかりとしていませんと、マスク装着の意味がないということでした。
この「おおう」は、漢字では「覆う、被う」と書きますが、
辞書には「それを隠すように一面にかぶせる、雨・ほこり・人目などからさえぎろうと、上・まわりに物をかけてふさぐ、一面に広がって全体を包む」
(岩波)、と解説。
ところで、上記の聖句には「愛はすべてのとがをおおう」とあります。
「とが(咎、科)」は、他人が非難するのももっともな、欠点や過ち、けしからぬ行いのこと。
人の欠点や過ちを見てそこを突きたくなるのが普通の人間の姿。
人の過ちをも飲み込む、こういう愛は私には乏しい。
それゆえ私は、もっと神の愛に触れ、本物の愛を学びたいと願うのです。
今日も主の恵みがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 200317「愛は、見捨てない」

みことばの花 200317「愛は、見捨てない」

「弟子たちは皆イエスを見捨てて逃げ去った。」(マルコ 14:50 口語訳)

真の愛の特徴の一つは「見捨てない」ことだと思います。
誰かが「世界を敵に回しても、わたしはあなたを見捨てない」と言ってくださるならどんなに励まされることでしょう。
詩篇記者は「わたしが年老いた時、わたしを見離さないでください。
わたしが力衰えた時、わたしを見捨てないでください。」(詩篇71:9 口語訳)という嘆願を神に捧げました。
私を愛してくださるお方は、私を見捨てないと信じてこう祈りました。
ところで人はどうでしょうか。
上記には、キリストの弟子たちの悲しむべき忘恩の姿が赤裸々に記録されています。
キリストは実にその弟子たちから見捨てられたことがありました。
ですがキリストは、私たちを決して見捨てないお方。
この方を今日も信頼して歩みたいと思います。

磯部豊喜

みことばの花 200316「光の天使…本物と偽物」

みことばの花 200316「光の天使…本物と偽物」

「しかし、驚くには及ばない。サタンも光の天使に擬装するのだから。」(Ⅱコリント 11:14 口語訳) 

「本物と偽物は紙一重」といわれます。
サタンとは神の敵であり、実在する元天使長です。
といっても聖書をよく知らない人は、何のことだかピンとこないかも知れません。
サタンは私たちと決して無関係の存在ではありません。
常に人の心に種々の誘惑を運んで来ます。
「正しい者」と見せかけて実は「偽りの父」です。
いかにしてこれを見分けることが出来るのか。
これを見極める手立ては一つ。
常に本物を見続けることです。
ダイヤモンド鑑定士は常に本物を見続けているそうです。
では人生のダイヤモンドは何か。
私はそれが聖書の御言葉であり、御言葉が指し示すイエス・キリストの姿だと信じています。
何かをする時、「イエスさまだったら、どうなさるか」を念頭において生きることが出来たらどんなに素晴らしいかと思います。
「今日、本物を見つめて歩めるように…」。
これを日々の祈りとしたい。
主の守りが今日もありますように。

磯部豊喜

みことばの花 200315「聞く側」 

みことばの花 200315「聞く側」

「そしてサラは言った、『神はわたしを笑わせてくださった。聞く者は皆わたしのことで笑うでしょう』。」(創世記 21:6 口語訳)

ご承知のように、ここ2週間ほど安息日集会(土曜日)のメッセージをライブ配信させて頂いています。
当教会の心強いスタッフの方々が悪戦苦闘して助けてくださっているのですが、昨日は配信状況が不安定でした。
今週は原因が分かったので良くなると思います。
ところで今回受信側の皆様の格闘の姿も教えて頂きました。
途切れ途切れのメッセージを聞き逃しまいと、耳を傍たてて途切れた言葉を頭の中で埋め合わせて視聴された方、
自分のスマホの状態が問題かと思い、手で振りながら視聴してくださった方…、聞く側も努力してくださったことに感動しました。
これでしたら私の緊張変顔も耐えなくては…と上記の御言葉を眺めつつ慰められています。
続けて笑いつつご視聴下されば幸いです。
今日も主の恵みがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 200314「努めて祈り」

みことばの花 200314「努めて祈り」

「万物の終りが近づいている。だから、心を確かにし、身を慎んで、努めて祈りなさい。」(Ⅰペテロ 4:7 口語訳)

昨日と同じ聖句です。
イエス・キリストがその弟子たちに繰り返し教えられたことの一つは、「努めて祈りなさい」「絶えず祈りなさい」ということでした。
これは常にひざまずいて祈るべきだという意味ではありません。
祈りを私の魂の呼吸としてささげなさいということです。
私がどこへいても、沈黙の願いを神にささげるということです。
祈りは、私がクリスチャンであろうがそうでなかであろうが、差別なき天とのパイプになるものです。
誰でも祈ることは出来る。
昔ニネベの人々は異教徒でしたが、「ニネベは滅びる」というヨナのメッセージに心を打たれて祈った。
その結果、都市は救われたと聖書にあります。
天の神を見上げて祈ってみませんか?
ハッピーサバス!

磯部豊喜
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本日3月14日のライブ配信(午前10時からダニエル書の学び、11時から説教「時を知る民」)のURLです。過去のものはSDA千葉教会HPから見ることも出来ます。

https://youtu.be/z4n5CnLvF-k

みことばの花 200313「万物の終わり」

みことばの花 200313「万物の終わり」

「万物の終りが近づいている。だから、心を確かにし、身を慎んで、努めて祈りなさい。」(Ⅰペテロ 4:7 口語訳)

「クラスター」「パンデミック」「無観客試合」…新型コロナウイルスの感染拡大と共に、これまで知らなかった言葉が次々と飛び出して来ます。
この中で一番最近知ったのは「パンデミック(英語:pandemic)」ですが「パン=すべて」と「デミック=人々」で、ギリシャ語が語源になっているようです。
「パンでミックスする」と言えば覚えやすい。
ところで「すべての人々」を包み込む、終りの預言が聖書の中にあります。
上記はその一つ。
「万物」を包み込む「終り」が来ることを聖書は明言します。
この度の新型コロナウイルスの登場も、「万物の終りが近づいている」一つのしるしなのかも知れません。
いよいよ努めて祈り、天との距離を縮めたいと私は願うのです。

磯部豊喜

※明日も10時からSSガイド(聖書)と11時から「時を知る民」という題で安息日礼拝説教を千葉教会ホームページよりライブ発信する予定です。アクセス番号は後程お知らせいたします。