みことばの花 200302「怖いのは過剰な恐怖心」

みことばの花200302「怖いのは過剰な恐怖心」

「あなたはにわかに起る恐怖を恐れることなく、…それを恐れることはない。」(箴言3:25 口語訳)

新型コロナウイルスは世界中で感染拡大していますが、
イタリヤ・ミラノの高校のドメニコ・シキラーチェ校長が学校のホームページ上で生徒に向けたメッセージが話題になっています。
まず社会生活や人間関係を「汚染するもの」こそが最大の脅威、
「目には見えない敵からの脅威を感じている時は、仲間なのに潜在的な侵略者と見なしてしまう危険がある」と指摘しています。
ミラノでは休校が8日まで延期されることが決まり、「こんな時こそ良い本を読んでほしい」「集団の妄想に惑わされず、
冷静に、十分な予防をしたうえで普通の生活を送ってほしい」と呼びかけています。
恐怖心は、人の心を揺さぶります。
過剰な恐怖心にとらわれず、主を見あげて、しなやかな思いで祈りつつ今の状況を冷静に乗り越えたいものです。
主の守りが今日もありますように。

磯部豊喜

みことばの花 200301「いたずらに」

みことばの花 200301「いたずらに」

「わたしは心を清く保ち/手を洗って潔白を示したが、むなしかった。」(新共同訳/詩編 73:13)

昨日、送りました聖句の別の訳を今日は送ります。
「まことに、わたしはいたずらに心をきよめ、罪を犯すことなく手を洗った。」(口語訳/詩篇 73:13)
と書いた昨日の聖句とは、読んだイメージが違うかもしれません。
気になるのは「いたずらに」という言葉です。それは「空しさ」を強調する意味で書かれています。
「私が今までしてきたことは、無駄だったのでしょうか。きよくあろうと苦しんだ日々は何だったのでしょうか」(リビングバイブル)
と分かりやすく訳す聖書もあります。
人は清くあろうと願い生きても、それが理解されないということがあります。
むしろ正しく生きようとすればするほど苦しい立場に置かれるということもあります。
しかし最後には心を清く正しく生きようとする者が勝利をするのだと、このみ言葉は教えています。
今日も主の守りがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 200229「手を洗う」

みことばの花 200229「手を洗う」

「まことに、わたしはいたずらに心をきよめ、罪を犯すことなく手を洗った。」(詩篇 73:13 口語訳)

「手を洗う回数が日ごとに増えていく。悩ましいのは、どれくらい洗えば新型コロナウイルスを防げるか、確信が持てないことだ。
…感染症の予防に手洗いが有効なことを知らない人はいまい。しかし医学史をさかのぼれば、そんな常識が広まったのは19世紀も半ば以降のことだ。
ハンガリー生まれの産科医ゼンメルワイス(1818~1865年)が提唱するまで、医師の間にも手洗いの習慣はなかった。」
(朝日新聞「天声人語」2020年2月28日参照)
このゼンメルワイスは当時、産科医の手洗いを勧めたゆえに「産科医たちをまるで殺人者呼ばわりをしている」と非難を受けたそうです。
これは開拓者の宿命でしょう。
さて、手洗いは大切。しかしそれと共に心の手を洗うことも上記の御言葉のように大切な気がします。
ハッピーサバス!

磯部豊喜