みことばの花 181215「天国の希望」

みことばの花181215「天国の希望」

「どうか、望みの神が、信仰から来るあらゆる喜びと平安とを、あなたがたに満たし、
聖霊の力によって、あなたがたを、望みにあふれさせて下さるように。」(ローマ15:13) 

クリスチャンには希望があります。
そしてその希望の一つは、人生の終わりが来ても、第二の人生のステップを歩める(復活して天国で住める)という希望です。
ですがこれがクリスチャンの究極の希望なのかと考えていたとき、「天国の希望という言葉が強調しているのは、
まだあなたが地上にとどまっている間でさえ享受できる恵みのことだ。
この希望は、逆境の闇のときでも、あなたに霊的な活力を与え続けてくれる。
あなたの道を明るく照らし、あなたのわたし(神)への意識を高めてくれる」
(サラ・ヤング著「わたしは決してあなたをひとりにしない」p365)という一文に出会いました。
さて、今日は第七日安息日。教会へ集まり、神様の恵みというふところの中へ飛び込んでみませんか。
第七日安息日は、希望の世界である「天国」において永久に守られる日であると聖書にあります。
今は不十分かもしれませんが、天国生活のひとかけらでも地上で味わうことができると私は信じています。
「人々がわたしにむかって『われらは主の家に行こう』/と言ったとき、わたしは喜んだ」(詩篇 122:1)。

磯部豊喜

みことばの花 181214「心」

みことばの花181214「心」

「主はわが力、わが盾。わたしの心は主に寄り頼む。
わたしは助けを得たので、わたしの心は大いに喜び、歌をもって主をほめたたえる。」(詩篇 28:7)

寺田心(こころ)という10才の男の子をご存知でしょうか。私は昨日この男の子のことを知りました。
イタリヤで開催されたミラノ国際映画祭2018において「最優秀主演男優賞」に選ばれた少年です。
出演した映画は「ばあばはだいじょうぶ」での子役。この賞の受賞者としては、史上最年少だそうです。
映画監督は寺田心君のことを天才だと評価しています。
当の本人は「びっくりした」と答え、「ずっと俳優をするのですか」との質問に、「僕は動物も好きだから、
そういう仕事もしてみたい。
ドイツは動物の殺処分はゼロだからそういう仕組みを学びたい」などと答えていました。
受け答えがしっかりしており、語る内容もその名のように「心(こころ)」根(ね)が良い。
さて私の心は、今どんな思いで満たされているでしょうか。
落ち込む心、マイナスの心に自分自身を引き下げてはいまいか。
さて、上記の詩篇記者の「心」は「わたしの心は主に寄り頼む」「わたしの心は大いに喜び」とうたう。
主に寄り頼む…これこそが神を知る人の心の姿勢。これが人生の逆境を乗り越える力になるでしょう。
私の心は、マイナス解釈をしていないか、それともプラスの解釈をするのか、それも心模様でしょう。

磯部豊喜

みことばの花 181213「やさしい言葉」

みことばの花181213「やさしい言葉」

「いつも、塩で味つけられた、やさしい言葉を使いなさい。
そうすれば、ひとりびとりに対してどう答えるべきか、わかるであろう。」(コロサイ 4:6)

ここに「やさしい言葉」というのが書かれています。「やさしい言葉」とはどういうものか。
リビングバイブルでは、「あなたがたの会話が、良識的であり、善意にあふれるよう心がけなさい。
そうすれば、相手の一人一人に適切な答えができます」と訳されています。
「会話が…善意にあふれるように」と書かれています。「善意」は天からの授けものです。
「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、」(ガラテヤ5:22)と書かれています。
善意の反対は悪意。「あの人はこういう人だ」と引き下すような解釈をして語る言葉が悪意。
「いいえ、そうではない。こういう良い所もあるよ」と解釈するのが善意。
果たして私はどちらの言葉が多いだろうか、前者もあるな~と内省します。
特に相手から受けた仕打ちのような態度に対して善意で受け止める心は実に難しいですが、
これを育てる訓練が必要な気がします。
相手の良い所を見つめる目を持ちたい。人には必ず良い面がある。どんな悪人にも100%悪に染まっている人はいない。
1%でも良いところがあると信じて関わろうとするならば「善意」が生まれるでしょう。
そして「善意にあふれた」「やさしい言葉」を語れる人になりたいものです。

磯部豊喜

みことばの花 181212「隠れたこと」

みことばの花181212「隠れたこと」

「…すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう。」(マタイ 6:4) 

今日もフィギュア選手のことを書いてみたい。
昨日書きました紀平梨花選手の陰に隠れてしましたが、あと二人の日本人選手にも注目したいのです。
それは坂本花(か)織(おり)選手と宮原知子(さとこ)選手です。
この二人もフィギュアの最高峰であるGP(グランプリ)ファイナルの中に残って見事な演技をされたと思います。
この二人の選手はショートとフリーの合計点をそれぞれ坂本(211.68)、宮原(201.31)と200点越えを行っています。
これも女子のフィギュア競技としては立派な成績です。
ですが坂本さんのコメントは、「表彰台にあがったら、たぶんフワフワした状態で全日本(選手権)に臨むことになっちゃう。
そうしないための神様からのお告げなのかな」と素敵な自己観察。
また宮原さんは「気持ちの部分が一番足りなかった。全日本(選手権)まで、もう日がない。
ひたすら自信をつけてしっかり練習するしかない」とのコメント。二人とも前を見据えています。
上記聖句のようにこういう「隠れた事」が、「天の父に報われるときが来るに違いない」と私は思いました。
この二人のように隠れた事(自己内省)を、大切にして歩みたいものです。

磯部豊喜

みことばの花 181211「翼をはって」

みことばの花181211「翼をはって」

「しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。
走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない。」(イザヤ40:31)

彗星のごとく現れて、今世界中で注目されている人がいます。
フィギュアスケト選手の紀平梨花(きひらりか・16才)さんです。
今年、韓国の平昌(ピョンチャン)で行われた冬季五輪で金メダルを獲得したアリーナ・ザギトワ選手を筆頭に、
優れた選手層の上をいく成績を残され、ショートとフリーの合計点233.12は見事なものでした。
あの銀盤に花が咲くような舞を披露しました。しかしその後のコメントがいい。
2022年北京五輪五輪の金メダルに向けてどれだけ近づいたかと聞かれたとき、「10%くらい」と答え、
「まだ3年以上あるし、けががあってもダメだし、まだまだ色んな危険が迫っている」と、
年下のジュニアクラスには4回転を出来る選手たちがいることを意識して応えています。
決して今の成績に浮かれてはいないのです。銀盤を舞う少女たちの熾烈(しれつ)な戦いの空気を感じます。
私は銀盤どころか縄跳びさえもヨタヨタしてしまいますが、上記の聖句のように「わしのように翼をはって、
のぼることができる」との希望を持っています。
「主を待ち望んで者は新たなる力を得」は、今、私の大いなる希望なのです。

磯部豊喜

みことばの花 181210「導き」

みことばの花181210「導き」

「あなたはそこにもいまし/御手をもってわたしを導き/右の御手をもってわたしをとらえてくださる。」(詩編 139:10)

今朝、スマホを開いて私の目に飛び込んで来たものに、「今日は3億円事件の日」とありました。
東京都府中市で起きた3億円強奪事件は1968年12月10日でした。
今から丁度半世紀(50年)になります。となると私が14歳の時になる。
当時3億円といえば、当時一般の初任給は3万円程度でしたから相当の貨幣価値があったこになります。
私の記憶では、「これだけあれば一生贅沢な生活ができる」と報じられたことは忘れません。
この事件は未解決事件として記録されています。しかし神様を知った今、これは未解決ではない。
天の記録にはしっかりとメモリーされている、と受け止めることが出来ます。
聖書のみ言葉には「あなたはそこにもいまし」とあります。
神様の目は、この地上で起こるすべてがお見通しです。
ですがこの神様が一番心を傾むけてくださるのは、おそらく3億円事件がどうだということよりも、私ども一人一人です。
深い関心を注いでいてくださるのは私やあなたです。
主は「御手をもってわたしを導き、右の御手をもってわたしをとらえてくださる」とあるのですから。・・・・・・・

磯部豊喜

みことばの花 181209「パシュル」

みことばの花181209「パシュル」

「その翌日パシュルがエレミヤを足かせから解き放した時、エレミヤは彼に言った、
『主はあなたの名をパシュルとは呼ばないで、「恐れが周囲にある」と呼ばれる。』」 (エレミヤ 20:3)

パシュルは、旧約聖書に登場する神の人で預言者エレミヤに反対した、ユダヤ教の祭司で
神殿の管理者でした(同20:1参照)。
エレミヤが、神様の御言葉を率直に取り次いだとき、彼は預言者エレミヤを打ち叩き、
足枷までつけてその言動を拘束しようとしました。
翌日には足枷を解いてエレミヤを解放しましたが、エレミヤはこのパシュルについて預言をします。
その預言が上記。「あなたはパシュルという名だが、もうそのような名で呼ばれることよりも
「恐れが周囲にある(おびえながら生きる者)」と呼ばれるという。
パシュルだけでなくその友人たちも恐れつつ生きなくてはならない。
人は自分で蒔いた種は刈り取らねばなりません。
一方、このパシュルとは違ってその人がそこにいればホットする、心が和やかになれる、
こういう人は素敵です。
あなたと会えて私の人生は、豊か(心が)になった、と隣人に言われる人になれたら素晴らしいですね。
今日も主の愛を見つめて歩みたい。

磯部豊喜

みことばの花 181208「原点回帰」

みことばの花181208「原点回帰」

「またこの地の民らがたとい品物または穀物を安息日に携えて来て売ろうとしても、
われわれは安息日または聖日にはそれを買わない。
また七年ごとに耕作をやめ、すべての負債をゆるす。」(ネヘミヤ10:31)

創造主を心から信じる人々のライフスタイルの原点は、古代イスラエルに見られます。
上記は紀元前5世紀頃に、ペルシャ帝国の支配の下、
ユダの知事としての役割を果たしたネヘミヤの物語です。
今日に置き換えるならば天の神様を信じる敬虔なクリスチャン知事がユダの指導者に
選ばれたということです。
ネヘミヤは、当時のペルシャ帝国の王様の好意を得、かつてバビロン帝国によって滅ぼされた
ユダの首都エルサレムの再建を果たし、ユダヤ人のエルサレムへの帰還を進めます。
彼の目指すところは、ユダという国の単なる復興ではありませんでした。
国が復活しても、国民がどのような生き方をするかが彼の関心事でした。
国というものは、国民によって構成されます。
であるならばどういう国民であることがふさわしいのかを追求することが大切。
ネヘミヤは、この国の原点に返る「原点回帰」の政策を訴えます。
それはこの国の人々が創造主に帰ること。そこで創造主の置かれた、
安息日(聖日)を深く意識することによって神様を心に留めるように訴えたのです。
ユダヤ人ばかりでなく人間としての原点回帰もまた、世界の第七日安息日を覚えることだと
私は信じます。

磯部豊喜

聖句カード (ここにわたしがおります。わたしをおつかわしください) 

わたしわたしはまた主の言われる声を聞いた、
「わたしはだれをつかわそ うか。だれがわれわれのために行くだろうか」。
その時わたしは言 った、「ここにわたしがおります。わたしをおつかわしください」。
(イザヤ6章8節 口語訳)