みことばの花 181019「天に宝を蓄える(2)」

みことばの花181019「天に宝を蓄える(2)」

「むしろ自分のため、虫も食わず、さびもつかず、また、盗人らが押し入って盗み出すこともない天に、宝をたくわえなさい」(マタイ 6:20)。

「天に宝を蓄える」生き方とはどのようなことでしょう。考えてみませんか?…という言葉で昨日の「みことばの花」を閉じました。上記のみ言葉をよく吟味しますと、「むしろ自分のため」という言葉が冒頭に。天の宝を手に入れるのは、「わたしのため」ということなのでしょう。「人はどんなに財産を持っていても、最期は1畳程度の空間しか手に入らない」と言われます。これは棺の大きさを指しています。しかしこの棺さえも、火に焼かれて消えてしまいます。ですが天に蓄える宝は不滅だと言う。神様が守ってくださるからです。火も洪水も滅ぼすことの出来ない宝とは何でしょうか。それは「品性」でしょう。どのような信仰や希望や愛を持つのか。これが大切な気がします。「キリストの恵みによって人の心の中に、天のことを思わせる言葉や行い、またキリストのような品性を築こうとつとめるあらゆる努力などが宝を天の積むのです」(「思いわずらってはいけません」p117)という言葉は、銘記(めいき)しておきたい一文です。

磯部豊喜

みことばの花 181018「天に宝を蓄える」

みことばの花181018「天に宝を蓄える」

「あなたがたは自分のために、虫が食い、さびがつき、また、盗人らが押し入って盗み出すような地上に、宝をたくわえてはならない。」(マタイ 6:19)

「積水ハウス巨額被害、『地面師』グループ逮捕」という事件が起きました。積水ハウス(大阪市)が東京品川区の土地購入代金を、地主に成り済ました「地面師」グループら数十人のうち、羽毛田正美容疑者(63)と不動産会社の実質経営者生田剛容疑者(46)ら男女数人が逮捕されました。その被害額がなんと55億円だといいますから、まれにみる巨額搾取事件です。事件は昨年3~6月のことですので、騙し取られた55億円がどこへいったのか、警視庁は「地面師グループのお金の流れを調べている」とのことです。お金が積水ハウス側に無事に戻るといいのですが…。この事件を知って、上句のキリストのみ言葉を思い出しました。悲しいかな「盗人」らの出現は後を絶たない。この続きのみ言葉にも心を留めたい。「むしろ自分のため、虫も食わず、さびもつかず、また、盗人らが押し入って盗み出すこともない天に、宝をたくわえなさい」(マタイ6:20)。「天に宝を蓄える」生き方とはどのようなことでしょう。考えてみませんか?

磯部豊喜

みことばの花 181017「隠す」

みことばの花181017「隠す」

「彼は答えた、『園の中であなたの歩まれる音を聞き、わたしは裸だったので、恐れて身を隠したのです』。」(創世記 3:10)

上記の聖句は、「主なる神は人に呼びかけて言われた、『あなたはどこにいるのか』(創世記 3:9)と呼びかけられた時の、人(アダム)の返答です。神様のいいつけに反すること(神様に禁じられた善悪を知る木の実を食べる行為)をしてしまった人の心を襲ったのは「恐れ」でした。そしてもう一つのことは、「隠れる」行為。世界最初の「隠れん坊」がここに描かれています。しかしゲームでの「隠れん坊」とは意味がまったく違っていました。ここにあるのは「恥の文化」。昔から日本人は、「そんなことをしたらお父さんやお母さんが恥ずかしいでしょう」と言って、子どもに、恥の文化を摺(す)りこんで来たような気がします。昨日紹介した英国のユージェニー王女とは大違いです。「見よ、わたしは盗人のように来る。裸のままで歩かないように、また、裸の恥を見られないように、目をさまし着物を身に着けている者は、さいわいである。」(黙示録16:15)というみ言葉がありますが、私の恥を覆う神様に信頼し「恥じの文化」を乗り越えていけると良いですね。

 

磯部豊喜

みことばの花 181016「傷の後」

みことばの花181016「傷の後」

「…トマスは彼らに言った、『わたしは、その手に釘あとを見、わたしの指をその釘あとにさし入れ、また、わたしの手をそのわきにさし入れてみなければ、決して信じない』」(ヨハネ 20:25)

昨日、イギリス王室のユージェニー王女とジャック・ブルックスバンク氏との結婚式が行なわれたことが報道されていました。はじめはボンヤリと聞き流していましたが、この度の結婚式には一つの特徴があったことに注目。それはユージェニー王女のウエディングドレスの着こなしです。ベールもつけずに背中の開いたウエディングドレス姿。王女はあえて背中を見えるように着ていた。その理由は、幼いときに傷ついた数十センチもする手術痕(しゅじゅつこん)が背中に残っていたのですが、その傷の姿を公表することでした。多くの人々の目にそれが止まり、その勇気が称賛されたという。人は自分の傷の部分を隠したがるものですが、この王女は、この姿でメッセージを送ったのです。傷があってもいいじゃない、これが私なのだから…と。ところでキリストも傷を受けられたお方でした。その傷は復活後にもそのまま残っていたことを聖書は書いています。この傷の痕(あと)は人類救済(永遠の死から永遠の命へ)の道を開いた記念碑であることはいうまでもありません。

磯部豊喜

みことばの花 181015「待たれる喜び」

みことばの花181015「待たれる喜び」

「だれも彼を軽んじてはいけない。そして、わたしの所に来るように、どうか彼を安らかに送り出してほしい。わたしは彼が兄弟たちと一緒に来るのを待っている。」(一コリント 16:11)

昨日、讃美歌の歌詞を書きました。これは日本基督教団出版讃美歌(旧)の517番です。この517番の最後の3番の歌詞はこうです。「3.まよう子らのかえるを 主はいま待ちたもう、つみもとがもあるまま、きたりひれふせ、『かえれやわが家に 帰れやと主は今呼びたもう』」。私どもには帰る家があるので、人生にまよえる者よ、帰ってきなさいと訴えられています。しかもその家には、私を待っていてくださる方があるという。私は人生に迷える一人でしょうか。もしそうならば絶対に私は待たれています。上記の聖句は愛する人を待つ著者の心が描かれていますが、実は私どもを天の国よりずっとずっと待っていてくださるお方がおられます。私どもを永遠の住まいに導くために、この世界に来られ、私の罪の身代わりとなって自ら十字架を背負い、命を投げ捨ててくださった神の子イエス・キリストと天の神様です。この神様に「わたしは待たれている」。であるならば、「わたしは待たれている!」と喜びをもって今日、唱えてみてはいかがでしょう。

磯部豊喜

 

みことばの花 181014「帰る家」

みことばの花181014「帰る家」

「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。」(マタイ 11:28)

昨日より仙台教会へ講演会に行ってきました。私にとってインターン時代に遣われた懐かしい教会です。あのインターン時代から数えると約35年もの歳月が経ちました。新幹線が走っているとはいえ、千葉教会~仙台教会へは3時間以上かかります。この帰路において思いました。「帰る家があるっていいなあ~」と。ところで私たちの人生において最終的に帰る家があります。それは私の重荷を置くことの出きる家。このような讃美歌を思い出しました。「1.『われに来よ』と主は今、やさしく呼びたもう。などて愛の光を避けてさまよう、『かれや、わが家に帰れや』と主は今呼びたもう。2.つかれはてし旅人、重荷をおろして、きたりいこえ、わが主の愛のみもとに。、『かれや、わが家に帰れや』と主は今呼びたもう」。人生は決して楽な旅ではない。疲れ果てることもあります。ですが重荷を下ろす場所がある。それは主の愛のみもとだと。主の愛のみもとこそ、重荷を下ろせるところ。どうぞ主の励ましがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 181013「破れを繕う者」

みことばの花181013「破れを繕う者」

「あなたの子らは久しく荒れすたれたる所を興し、あなたは代々やぶれた基を立て、人はあなたを『破れを繕う者』と呼び、『市街を繕って住むべき所となす者』と/呼ぶようになる。」(イザヤ58:12)

糸と針、決して上手ではありませんが、私は時々これらを駆使して靴下、下着などの破れを繕うことがあります。これまでで一番多く修繕したものといえばおそらく靴下でしょう。靴下はとても破れやすく、すぐに親指が頭を出します。ところで上記のみ言葉には「破れを繕う者」というのが出てきます。こればいったい何か?聖書は続いてこう書いています。「『もし安息日にあなたの足をとどめ、わが聖日にあなたの楽しみをなさず、安息日を喜びの日と呼び、主の聖日を尊ぶべき日ととなえ、これを尊んで、おのが道を行わず、おのが楽しみを求めず、むなしい言葉を語らないならば、その時あなたは主によって喜びを得、わたしは、あなたに地の高い所を乗り通らせ、あなたの先祖ヤコブの嗣業をもって、あなたを養う』。これは主の口から語られたものである」(イザヤ58:13,14)。安息日が、人々の心から消えてしまっているのでこれを繕えと語っているようです。今日は第七日安息日、私が神を求めて教会へ行くことは、「破れを繕う者」になるのかも知れません。

磯部豊喜

みことばの花 181012「こわれる」

みことばの花181012「こわれる」

「わたしたちの住んでいる地上の幕屋がこわれると、神からいただく建物、すなわち天にある、人の手によらない永遠の家が備えてあることを、わたしたちは知っている。」(Ⅱコリント 5:1)

一昨日のことです。わたしのスマホが壊れてしまいました。ここのところスマホに変な宣伝が多く入ってきていたので初期化したいと願っていたところでした。そのような中で、車の中にある小物置場に水がこぼれていたことを知らずにそこにスマホを置いてしまった。スマホを少し水没させてしまったようです。それで壊れてしまいました。どこにも連絡が出来なくなり、不便を感じました。どなたの電話番号も分からない。連絡先はスマホ以外にもメモをしておけば良かった…と思っても後のまつり。さて、保険に入っていたので同機種ですが交換をしてもらいました。スマホはまったく同じもの。ただし中身に関してはすべてが残ったのではありません。2016年までに登録している電話番号の方は外部スマートメディアにメモリーをしてあったので復帰しました。これを見て、私という「地上の幕屋」もこわれる時が来る。しかしキリスト者の身体は私のスマホのようにリニューアルされるという。ただし問題は中身。しっかりと大切なものはメモリーして置くことが大切だと学びました。

磯部豊喜