みことばの花 200919「人の徳を高める」

みことばの花 200919「人の徳を高める」

「すべてのことは許されている。しかし、すべてのことが益になるわけではない。すべてのことは許されている。
しかし、すべてのことが人の徳を高めるのではない。」(Ⅰコリント 10:23 口語訳)

「すべてのことは許されている」とはどいうことでしょう。それはおそらく選択の自由を指す言葉。
愛すること、憎むこと。信じること、信じないこと。犯罪に手を染めること、犯罪に加わらないこと。
金銭を自分のために使うこと、人のために使うこと教会で説教を聞くこと、聞かないこと。…これらはすべて人に与えられた自由選択です。
ただし、これが犯罪に関わる事となると社会はそれを許さないので人は用心します。
聖書は「すべてのことが益するわけではない」と書く。続けて「しかし、すべてのことが人の徳を高めるのではない」ともいう。
結論をいうと、選択の自由は「人の徳を高める」ことを選択しなさいと教えているようです。
今日、安息日礼拝(またライブ配信礼拝)に出席するのは、この選択の一つ。
心を豊かに養う選択は第七日安息日のみならず、日々行いたいと自分の心に言い聞かせたいのです。

磯部豊喜

みことばの花 200918「罪と死はひとりの人から」

みことばの花 200918「罪と死はひとりの人から」

「女がその木を見ると、それは食べるに良く、目には美しく、賢くなるには好ましいと思われたから、その実を取って食べ、また共にいた夫にも与えたので、彼も食べた。」(創世記 3:6 口語訳

「ひとりの人によって、罪がこの世にはいり、また罪によって死がはいってきた」(ローマ5:12 口語訳)と聖書は、人類祖先の罪のことを書いています。
「ひとりの人」とは誰なのか。罪を犯した順番からいくと人祖アダムの妻エバです。
ところが夫アダムを聖書は「ひとりの人」として説明しています。
「アダムにあってすべての人が死んでいるのと同じように、キリストにあってすべての人が生かされるのである」(Ⅰコリント15:22 口語訳)。
「エバにあって」とは書いていない。「アダム」を「ひとりの人」と定めています。エバはアダムの分身だからでしょうか。
いずれにしてもアダム自身も罪を犯したのは事実。あってはならぬ出来事がこの世界に起きました。聖書は死をもたらした罪の恐ろしさを記しています。
「しかし、罪の増し加わったところには、恵みもますます満ちあふれた」(ローマ5:20 口語訳)は希望の約束です。
恵みとは、神がその独り子(キリスト)を賜わったこと。私どもを罪と死から救うために…。
これに勝る天の恵みは他にありません。
今日も主の恵みがありますように。

磯部豊喜
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9/19(土)ライブ配信 URL です。※過去のライブ配信はSDA千葉教会HP(http://sda-chiba.org/)にあります。
安息日学校(聖書の学び) URL 9月19(土)10:00  ☆2020年第三期 12課「伝えるに値するメッセージ」 磯部豊喜
https://youtu.be/BU_qb-XTmqc
礼拝説教 URL 9月19(土)11:00 ☆説教題「12の門と土台」磯部豊喜 ※やがて来る天国という世界を覗いてみます。
https://youtu.be/zSydyrIDKfw

みことばの花 200917「待つ」

みことばの花 200917「待つ」

「この幻はなお定められたときを待ち、終りをさして急いでいる。それは偽りではない。
もしおそければ待っておれ。それは必ず臨む。…」(ハバクク 2:3 口語訳) 

「本当に神がおられるならば、どうしてこういうことが私に起こるのだろう」という疑問の声が聞こえます。
人生の問題に遭遇し、八方塞がりを経験するとなおさらそうです。そのようなとき、上記の御言葉を瞑想したい。
それは待つ必要。人は神のなされることを、すぐに理解することは難しい。現在の新型コロナの登場にしてもそうです。
これは悪魔の仕業だと片づけることは出来るかもしれませんが、そう解釈すると、では神は何をしておられるのかとなる。
そこで私は神が許されたこの背後に意味があるに違いないと受け止め、いつか分かる時が来ると信じ、「待つ」人生を生きたいと思う。
主の恵みがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 200916「神はいない…」

みことばの花 200916「神はいない…」

「愚かな者は心のうちに『神はない』と言う。…」(詩篇 53:1 口語訳) 

ある方からこういう一文を頂戴しました。「自分の人生に希望が持てず、やり直すには遅すぎる。私の人生は失敗作だとつくづく思います。
これまでの生き方のツケが回って来ただけなのですが。私には、神様はいない…という結論になりました」。
私はこの一文をくださった方が、上記の聖句にあるように愚かな者であるとは思いません。このように書きながらも十分に神を意識しておられるからです。
この人の本音は、「愛の神がいることを期待しているけれど、それを私は感じることができない」と語っておられる…のだと私は受け取りました。
事実、もし神(聖書が記す「創造の神」)がいなければ、人も動植物も存在しない。
しかも実に精巧な仕組みを持つこれらの存在を考えると、偶然にそれが出来たとは考えにくい。…と、私自身はこのように受けとめます。
そしてさらに、神の御言葉、聖書があるのも神の存在を確かに実感する助けとなっています。
今日も主の恵みがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 200915「上を向いて」

みことばの花 200915「上を向いて」

「しかし、彼は聖霊に満たされて、天を見つめていると、神の栄光が現れ、イエスが神の右に立っておられるのが見えた。」(使徒 7:55 口語訳)

韓国のアイドルグループBTSの新曲が、アメリカで真の人気をはかると言われる米ビルボード・シングルチャートの1位になり韓国人アーティストでは初の快挙とのこと。
この賞は特別に栄えあるものでアジア出身歌手では57年前に坂本九さんの「上を向いて歩こう」以来だといいます。
当時の米国では「SUKIYAKI(すきやき)」というタイトルに名を変えて人気を得ました。
さてこの「上を向いて歩こう」から、私が思い出したのが上記の聖句です。
これはステパノというキリスト信者が、ユダヤ人たちに迫害され石打ちにあった時の描写です。
死を直前にして、ステパノがとった行動は「上を向き、天を見つめること」でした。
こうして彼は天の王の王イエスを見たのです。人生の苦しみ、悲しさを越える生き方のお手本がここにあります。
「上を向いて(天を見つめて)」歩いてみませんか。

磯部豊喜

みことばの花 200914「~のために」

みことばの花 200914「~のために」

「だから、飲むにも食べるにも、また何事をするにも、すべて神の栄光のためにすべきである。」(Ⅰコリント10:31 口語訳) 

今朝、聖書の中から「~のために」という言葉を調べてみました。この言葉は、数えきれないほどありました。
人の生活には暗黙のうちに「~のために」行っていることが、あふれるほどにあるということでしょう。
朝目覚めるところから「~のために」が始まります。ただここで考えたいのは、それが「自分のために」行うのか、「誰かのために」行うのか。
自分の行動の一つ一つは果たして「何のために」行っているのか。
「~のために」を区別して数えてみると、自分のためにが大半を締めるような気がします。
生活上仕方がないことですが、少しでも意識して「隣人の祝福のために」行えたら素晴らしいことだと思います。
上記の聖書の言葉は、イエスに出会って生き方がまったく変えられたパウロの言葉です。
彼は常に「神の栄光のために」を意識する人でした。
私も「何事をするにも、すべて神の栄光のために」と言い放つ、そういう生き方に近づけたらとなお幸いと思うのです。

磯部豊喜

みことばの花 200913「土作り」

みことばの花 200913「土作り」

「ほかの種は良い地に落ちて実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。」(マタイ 13:8 口語訳)

毎朝の犬の散歩コースで、気になる家の庭。そこには大きなプランタンがいくつも置かれ、立派な茄子やピーマンが大きく実っています。
今朝、その家のご主人が水を撒いていましたので挨拶をし、声をかけさせて頂きました。
「こんなに立派な野菜をどのようにしてお作りになられたのですか」。この方から土作りや水やりや野菜の管理など、いろいろと聞かせて頂きました。
特に土作りを中心に、味の良いものを作るために取り組んでいることが分かりました。
固くて実りの小さい野菜のなる私のプランタン畑とは雲泥の違い。
10年間失敗の果て、培養土に鶏糞、その他いろいろと試み、このようなプランタンが完成したとのことです。
土作りが野菜成長の鍵。お話を聞き、同様に私の心の成長にも、心にどんな栄養を与えるか。
「これが鍵だな~」、と深く教えられその方の家を後にしました。
今週も心の土作りに励みたいと思います。

磯部豊喜

みことばの花 200912「狂う」

みことばの花 200912「狂う」

「そして、イエスのところにきて、悪霊につかれた人が着物を着て、正気になってすわっており、・・・」(マルコ 5:15より 口語訳)

コロラド州デンバーの気象状況を聞いてびっくりしました。猛暑の後に雪が降ったというのです。前日は摂氏30度以上、ところがその翌日は3度。
まさにいま地球は狂っています。いえ狂っているのは地球だけではない。その住民も…。
社会貢献をしていた有名人が違法大麻を扱って逮捕されたり、航空機に乗った人が機内が暑いからといって身勝手にも非常扉を開けて翼の上を歩いたり。
地球も地球人も何か変です。
ですが、狂った者でさえ正気に導くイエス・キリストこそ、この地球と地球人を癒すお方は他にはいないと私は固く信じるのです。

磯部豊喜

みことばの花 200911「レッツ・ロール」

みことばの花 200911「レッツ・ロール」

「わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。」(Ⅱコリント12:10より 口語訳)

今日は9.11。2001年のこの日、アメリカ同時多発テロ事件が発生しました。
ハイジャックされた旅客機の、うち3機は世界貿易センタービルやワシントンの国防総省に衝突。死者約3千人、負傷者は6千人以上。
あと一機(ユナイテッド航空93便)は乗客の反撃によって「Let‘s Roll(さあ、やろう)」の合図に墜落。
テロリストの目標とされた場所(米国議会議事堂かホワイト・ハウス)に行けなかった。
そのテロリストに立ち向かった乗客のリーダーは敬虔なクリスチャン(トッド・ビーマー)という。
彼らは亡くなったが、この出来事は多くの人々を危険から救ったという。クリスチャンは人の目には弱く見えるかも知れません。
ですが自分の弱いことを知っている人は、主を見上げて強くされる。
今日も主の恵みがありますように。

磯部豊喜
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9/12(土)ライブ配信 URLです。
安息日学校(聖書の学び) URL 9月12(土)10:00  第三期SSガイド 11課「イエスの物語を伝える」 磯部豊喜
https://youtu.be/sEFqAdhKLYo
礼拝説教 URL 9月12(土)11:00 説教題「ユダにはなるまじー副題:なぜイエスの弟子イスカリオテのユダは主を裏切ったのか?」 磯部豊喜
https://youtu.be/XzP_ZU9O6yU

みことばの花 200909「悲しみの人」 

みことばの花 200909「悲しみの人」 

「彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。
また顔をおおって忌みきらわれる者のように、彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった。」(イザヤ 53:3 口語訳)

私どもの人生は、悲しいことがあまりにも多いと思います。
ある人は愛する夫、他の人は妻に先立たれたり、また「親の心、子知らず」で、大きくなった子からは連絡も途絶えてしまったり…。
自分自身も予期しない難病にかかったり、末期がんの宣告を受けたり…。
そのような悲しみを背に負う私どもの傍に、その悲しみを共に負い涙してくださるお方がいるというのはとても心強いことです。
さて、上記はメシア預言と言われる聖句の一節です。こういうメシアが人類のために登場すると聖書は予告するのです。
「彼は…悲しみの人で、病を知っていた」。この聖句は、イエス・キリストにおいて見事に成就しました。
確かにイエスは「悲しみの人」でした。主は私の悲しみ、あなたの悲しみ…全部ご存知です。
このお方を見上げて今日も歩きたいと思います。

磯部豊喜