みことばの花 200908「共にいて欲しいお方」

みことばの花 200908「共にいて欲しいお方」 

「わたしはあなたと共にいて、あなたがどこへ行くにもあなたを守り、あなたをこの地に連れ帰るであろう。
わたしは決してあなたを捨てず、あなたに語った事を行うであろう」。」(創世記 28:15 口語訳)

一昨日の土曜日に私が向かった遠出先は静岡教会。静岡には4年間ほど滞在し今から21年前に離れた地です。
ですがその後数回、行ったことがありましたが、今回は約10年ぶり。当初の訪問予定は6月2日でしたが新型コロナのために9月5日に変更。
3ヶ月を経ても、新型コロナはまだ変わらず。煩わしい新型コロナですが、この予防制限の中で旧交を温めることが出来ました。
新型コロナは当初、空気中にピラニアが舞っているような感覚に襲われましたが、
新型コロナも賢くて、人が死ぬと自分も死ぬので、最近は極力「With人」として生きているような…。
ですが私の共生したいのは上記の聖句にあるお方です。
このお方は、「どこへ行くにもあなたを守り」「決してあなたを捨てず」と語ってくださいます。

磯部豊喜

みことばの花 200907「眠ることもできない」

みことばの花 200907「眠ることもできない」

「わたしのことを言えば、昼は暑さに、夜は寒さに悩まされて、眠ることもできませんでした。」(創世記 31:40 口語訳)

ここに「眠ることもできません」とあります。
ヤコブは旧約聖書に登場する人ですが、ヤコブの妻たち(レアとラケル)の父に対し、これまでの思いを赤裸々に訴えた言葉です。
私も昨日は別の立場で「眠ることもできません」という体験をしました。
ヤコブの場合は心身の苦労故、「眠ることもできません」と語ったのですが、
私は遠出をしその帰路、高速道路を運転しましたので「眠ることもできません」となりました。
高速道路はパーキングが少ないところもあり、そこで睡魔が襲ってくると悲惨です。
何度となく「えい!」とホッペをひっぱたき、次のパーキングエリアまで頑張りました。
さて聖句のヤコブのように人生には「眠ることを許さない」事があります。
そのために人は疲れ果てる。そういう時、どう乗り越えていけるのか。そのカギはヤコブが紹介しています。
「神はわたしの悩みと、わたしの労苦とを顧みられて…」。
私の悩みや労苦を顧みてくださるお方を知ることは何と心強い事でしょう。

磯部豊喜

みことばの花  200906「信じます!」

みことばの花  200906「信じます!」

「では、なんと言っているか。『言葉はあなたの近くにある。あなたの口にあり、心にある』。
この言葉とは、わたしたちが宣べ伝えている信仰の言葉である。」(ローマ 10:8 口語訳 )

「信仰の言葉を語ることと、不信の言葉を語るのとどちらが良いでしょうか」と語りたくなる人がいます。
「信じます!」と言えばよいのに、「信じられません!」と語ることが優秀な人の言葉であるかのように錯覚してしまっている人がいます。
人は一度口に出すと、その口の虜になってしまう恐れがあります。
上記に「わたしたちが宣べ伝えている信仰の言葉である」とありますが、分かりやすく言いますと、「はい、信じます!」と答えることです。
イエスは「よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。」(マタイ18:3 口語訳)と言われましたが、
幼な子の特長の一つは「信じます!」と素直に言えることではないかと思います。
今日も主の恵みがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 200905「口に出すもの」

みことばの花 200905「口に出すもの」

「だから、わたしたちはイエスによって、さんびのいけにえ、すなわち、彼の御名をたたえるくちびるの実を、たえず神にささげようではないか。」(ヘブル 13:15 口語訳)

「口に出す言葉は、自分自身に戻って来る」は至言です。心に思ってしまうことは止めようがありません。
ですがそれを口に出すか、出さないかは選ぶことが出来ます。
マイナスな思いに囚われても、口から出す言葉ではそれをプラスの言葉に変える。
こういう言葉を組み立てる匠になれたらどんなに良い事でしょう。
「なんと短気な人」と思うとき「情熱的だね」と言う。「やるが気ない」と思う時、「慎重なんだ」と言う。
「辛い」と思う時「これも良い経験だ」と語る。「不満いっぱい」と思う時、「賛美してみよう」と言う。
口に出すものを注意しよう。そうすればきっと明るく生きれるに違いない。
今日は聖なる安息日(サバス)、ハッピーサバス!と語ってスタートするのです!

磯部豊喜
・・・・・・・
9/5(土)ライブ配信 URL です。今回のメッセンジャーは、千葉教会の吉田敏英長老です。
安息日学校(聖書の学び) URL 9月05(土)10:00 第3期10課「関りを持つための刺激的な方法」 吉田敏英
https://youtu.be/NB9m4gisMuM
礼拝説教  URL 9月05(土)11:00 説教題「恵みの安息日」 吉田敏英
https://youtu.be/qXB5y3G2pQ0

みことばの花 200904「祈りと感謝」

みことばの花 200904「祈りと感謝」

「キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。あなたがたが召されて一体となったのは、このためでもある。いつも感謝していなさい。」(コロサイ 3:15 口語訳)

次のような一文を見ました。
「感謝と賛美の精神ほど心身の健康を増進するものはない。憂鬱、不満な気持ちや思想に抵抗することは祈ることと同じように積極的な義務である。
…つねにつぶやき、快活な喜びは罪であるかのように思っているクリスチャンと称する人々は、真の宗教を持っていない。
…苦痛のために精神が鈍ることもしばしばあるかもしれないが、そのときには何も考えないように努めなさい」(ミニストリー・オブ・ヒーリング/昭和50年版p228-229))とあります。
さて、上記の御言葉に「キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい」とあります。
また「いつも感謝していなさい」とあります。新型コロナが収束せず、超大型台風が接近する中、先のことに不安を感じてしまう昨今ですが、
そのような心を励ますには、祈りと感謝の心が大切だと教えています。
もっと祈りをもって始め、感謝することを拾い集めて今日を過ごしたいと思います。
今日も主の恵みがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 200903「時は夜」

みことばの花 200903「時は夜」

「ユダは一きれの食物を受けると、すぐに出て行った。時は夜であった。」(ヨハネ13:30 口語訳)

9月になり日中は相変わらず暑いですが、夜が涼しくなり、夜の散歩は心地よくなりました。
ところで夜というと時間的な夜と、精神的な夜があるような気がします。
上記の聖句は、時間的な夜と精神的な夜とが同時に重なっているように私には読めます。
この聖句に登場するユダという人は、キリストの12人の愛弟子の一人でしたが、銀貨30枚でキリストの敵に手渡す約束をしていました。
その約束を果たすために、一きれの食物を受けると、すぐに出て行きました。
「時は夜であった」と書かれていますが、ユダの心の闇がいかに暗かったかを指しています。
人の心に自己賞与とか貪欲、不信という誘惑が襲って来ます。これが聖書の教える敵(サタン)の闇のわざです。
このような誘惑に勝利するとき、「時は夜」が「時は朝」に変わることでしょう。
心に闇を追い払う光を見つめ、真の人生の価値を選択できたらと思います。

磯部豊喜

みことばの花 200902「守護天使」

みことばの花 200902「守護天使」

「これは主があなたのために天使たちに命じて、あなたの歩むすべての道で/あなたを守らせられるからである。」(詩篇 91:11 口語訳)

昨日台湾で起きたニュースで、3歳の女の子が凧揚げ大会で大きな布製の凧に絡まれて空高く舞った姿がカメラに撮られていました。これは偶然の出来事。
最後は凧に包まれて落下するところを大人に受け止められて助かったので、よかったのですが、人はこの女の子のように危険な目に巻き込まれることがあります。
私たちが人生を送る上で、危機一髪で守られていることが数限りなくあると思います。
天国に行ったならば、私の守護天使に出会うと言われます。
その時、「これこれ、しかじか~の時、私はあなたの傍にいましたよ」という天使に声をかけてもらえるかも知れません。
そういう天使の守りが今日もありますように。

磯部豊喜

みことばの花 200901「使命」

みことばの花 200901「使命」

「そしてわたしは法律にそむくことですが王のもとへ行きます。わたしがもし死なねばならないのなら、死にます。」(エステル 4:1下 口語訳) 

今日は「使命」という単語が私の脳裏に浮かび離れません。使命は「命を使う」と書きます。命を懸けて自分を捧げることを指すのでしょう。
「使命」なき人というのは、命を捧げる何かを持っていない人。
さて、上記の御言葉はペルシャの王妃の一人、エステル(ユダヤ人)の言葉です。
ユダヤ人を憎む敵が、ユダヤ人を撲滅する策を練っていました。その知らせを受けたエステルの決意が上記の言葉。
ペルシャでは王妃とはいえ、王に望まれないで近づくことは、命がけの行為です。
今ユダヤ人たちの運命は、この王妃にかかっていました。幸いにエステルは王に受け入れられ、その望みを聞かれ、ユダヤ人たちは滅びずにすみました。
神の御子イエス・キリストも「使命」に生き、十字架で死なれ、死から復活しました。私たちが永遠に滅びないために。
「使命」に生きる人は、生き方が美しい。これは私の一つのあこがれです。足元にも及ばぬ我が身ですが…。

磯部豊喜

みことばの花 200831「実行」

みことばの花 200831「実行」

「だから、彼らがあなたがたに言うことは、みな守って実行しなさい。
しかし、彼らのすることには、ならうな。彼らは言うだけで、実行しないから。」(マタイ 23:3 口語訳)

語ることと、それを実行することは全く違うと思います。不思議なことかも知れませんが、人は正しいことを語ることは出来ます。
愛を議論しつつ、争う。許しましょうと言って、許さない人をさばく。奉仕しましょうといって、奉仕しない人を責める。
しばしばこういう矛盾を見ることがあります。果たして私はどうか…と自問することがあります。
実行は語ることより大切。実行しないならば、語らないほうがましなのですが、それが出来ないのがまた人間。語る言葉に責任を持てたら幸いです。
今日も主の守りがありますように。

磯部豊喜