みことばの花 190414「自己肯定」

みことばの花190414「自己肯定」

「こうして、あなたは安らかに自分の道を行き、あなたの足はつまずくことがない。」(箴言 3:23)

今朝、心の温められる一文がありました。
「おかあさんのせなか」という寄稿文ですが、タレントの副島淳さんの記事です。
淳さんの母は、19歳で未婚のまま彼を産みました。相手は黒人系の米国人。
小学校4年生の時に同級生からからかわれるようになり、
自分が他の子どもと違うことを知り、
「なんで僕を産んだの?」「お父さんはどこにおいるの?」と母に怒りをぶちまけたという。
「そんなの知らないよー」が母の応え。
いじめられていたとき、母から「周りと違うことはいつか武器になる。
みんなに注目されて、キャーキャーって、言われるようになるよ」。
こういう母に育てられ、彼は今その個性を生かしているようです。
みことばに「安らかに自分の道」を行きなさい」とある。
自己肯定は、人生につまずかないエネルギーとなると教えられます。

磯部豊喜

みことばの花 190413「雪よりも白く」

みことばの花190413「雪よりも白く」

「ヒソプをもって、わたしを清めてください、わたしは清くなるでしょう。
わたしを洗ってください、わたしは雪よりも白くなるでしょう。」(詩篇 51:7)

今日も「雪」を扱いたい。
神様の愛に包まれて、主イエス様が私の心の中に入ってこられて、
私の心が雪のように白くなったならばどんなにうれしいことでしょう。
旧讃美歌の歌詞を思い出します。
「イエスよ、こころに宿りて われを宮となしたまえ、けがれにそみしこの身を 雪より白くしたまえ。
わが罪を洗いて、雪よりも白くしたまえ?」(日基讃美歌521番①)。
今日は聖なる第七日安息日です。
キリストを自分の心にお迎えする一日であれば素晴らしいと思います。
キリストの恵みに触れて、人生の目標である品性が清くなるための一日となって頂けたらと今日も願うのです。
「み顔をわたしの罪から隠し、わたしの不義をことごとくぬぐい去ってください。
神よ、わたしのために清い心をつくり、わたしのうちに新しい、正しい霊を与えてください」(同51:9,10)と。

磯部豊喜

みことばの花 190412「なごり雪」

みことばの花190412「なごり雪」

「たといわたしは雪で身を洗い、/灰汁で手を清めても、あなたはわたしを、みぞの中に投げ込まれるので、
/わたしの着物も、わたしをいとうようになる。」(ヨブ 9:30,31)

4月だというのに今年は東京に「なごり雪」が降りました。
「なごり雪」というと、歌手のイルカさんの名曲を思い出します。
「…♪季節外れの雪が降ってる、東京で見る雪はこれが最後ねと…なごり雪も降るときを知り…♬」。
それにしても桜と雪のコラボは実に珍しい光景です。
ところで聖書に登場する「雪」は、人の心を清める役割を表現しています。
ゆえに「なごり雪」は、なかなか清くならない人の心に降る天(神様)の涙の結晶のような気がするのです。
罪深きわが心、今日も聖なる雪をもって覆ってください!主の守りが今日もありますように。

磯部豊喜

みことばの花 190411「逆転」

みことばの花190411「逆転」

「こうして、あなたがたは、神に愛されている子供として、神にならう者になりなさい。」(エペソ 5:1)

「おばあちゃんは、犬を散歩しているのではなく、おばあちゃんが犬に散歩をしてもらっているんだよ」。
これを孫から聞いたAさんが、その感動を私に話してくださいました。
このように視点を変えてみると、他にも多くこのようなことがあるように思います。
例えば、私があの人の世話をしていると思えることでも、実は私があの人から世話をされているということ。
信仰の世界も同様です。私が神様を信じているように見えて、実はその前に神様から信じられているということ。
私が神様を愛しているというよりも、上記のみことばのように「神に愛されている」ということ。
おそらく、この事実に気づくことがキリスト信仰なのでしょう。
このような逆転発想は、素敵なことだと思います。

磯部豊喜

みことばの花 190410「おのが日を数える」

みことばの花190410「おのが日を数える」

「われらにおのが日を数えることを教えて、知恵の心を得させてください。」(詩篇 90:12)

「18歳と81歳の違い」という一文を発見。
①道路を暴走するのが18歳、逆走するのが81歳。
②心がもろいのが18歳、骨がもろいのが81歳。
③偏差値が気になるのが18歳、血糖値が気になるのが81歳。
④恋に溺れるのが18歳、風呂で溺れるのが81歳。
⑤何も知らないのが18歳、もう何も覚えないのが81歳。
⑥自分探しの旅をするのが18歳、出かけたまま分からなくなり皆に探されるのが81歳。
⑦嵐というと松本潤を思うのが18歳、鞍馬天狗の嵐寛寿郎を思い出すのが81歳。

…果たして、私はどちらの感覚に近いのか??
最近「おのが日を数える」ようになりました。
こういう時こそ、「知恵の心を得させてください」と祈るのです。

磯部豊喜

みことばの花 190409「王を友に」

みことばの花190409「王を友に」

「心の潔白を愛する者、その言葉の上品な者は、王がその友となる。」(箴言 22:11)

「王様を友人にできる」秘訣がここにあります。
韓国時代劇ドラマには、王様がよく登場します。
物語の解説によれば、訳アリの一般平民の女性が王様と親密になり、やがて王妃に…そういう筋書きのものが多いようです。
聖書の中にもエステル王妃物語は、その類のものでもありますが、こちらは脚色なしの実話で興味深い内容です。
王と友とする秘訣は、その女性が単に外見が美しいということばかりではなく、上記の聖書のみ言葉が、そのままあてはまります。
人が人に引かれるには、「心の潔白さ」「言葉の上品さ」がカギ。
雲一つない空を快晴といいますが、今日の空は快晴で清々(すがすが)しい。
上品な言葉は、潔白な心があって出てくる言葉でしょう。
一点の曇りなき生き方は難しいですがこれを目標にし、「真の王なるキリストを友」にと願うのです。
今日も主の恵みがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 190408「志」

みことばの花190408「志」

「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです。」(ピリピ 2:13・新改訳)

東京の自宅に一か月めくり聖句がかざしてあります。
その中に上記の聖句を見ました。
見つめているうちに「志」にくぎ付けられました。
「志」とは「武士の士に心」と書きます。「
士」は先日扱いました「十字架」と「一」を合わせた「土曜日の土」に似ています。
そこで「志」を「キリストの十字架の心」と読みました。
確かに十字架は、人の幸せのために示されたキリストの真心の表明です。
人を永遠の滅びから救い出すために、主が歩まれた「これしかない」道でした。
自らが命を削り、人に真の命と喜びを与える、これが「十字架の心」。
私もこの「志」をもって他者への真の利益のために生きることが出来たらと願うのです。

磯部豊喜

みことばの花 190407「わたしに立ち返れ」

みことばの花190407「わたしに立ち返れ」

「わたしはあなたのとがを雲のように吹き払い、あなたの罪を霧のように消した。
わたしに立ち返れ、わたしはあなたをあがなったから。」(イザヤ44:22) 

知り合いの方の猫「ミユ」がいなくなった。
毎日「ミユちゃん、帰っておいで!」と叫んだ。
すると1週間後に戻ってきた。たっぷりと飼い主に甘えたその夜、命のともしびが消えたという。
この方の体験から、遠くにいる私たち人間に語りかける神の声も同様に、「わたしに立ち返れ」です。
厳しく躾けるから「立ち返れ」ではない。
あなたが必要だから「帰っておいで」なのです。
素直にこの主の御声を受け止めてみませんか。

磯部豊喜