みことばの花 210203「重荷を負って苦労している者は」

みことばの花 210203「重荷を負って苦労している者は」

「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。」(マタイ11:28 口語訳)

人間関係という蜘蛛の巣にかかり、お辛い状態に置かれているSさん。この方に、どんな言葉を送れば良いのだろう。
上記の御言葉と次のような一文を送りました。【「辛い」という字は、十字架の上に立つと書きます。一人で重荷を背負うと人生は辛い。
ですが、Sさんの傍には、目には見えないお方がおられて、その方が一緒にその重荷を背負ってくださっておられます。
この方に、荷を背負ってもらいつつ生活すると「幸せ」になります。「幸せ」の「幸」には十字架と十字架の中に立つがあります。
つまり、一人で重荷を負う状態は「辛い」のですが、イエス・キリストと共に十字架を負うと「幸せ」になります。
「幸」の上の十字架はわたしの負う重荷、その荷を背負う私をさらに背負って立ってくださる十字架のキリストがおられます。…】
私と私の重荷を背負ってくださる主がおられることは感謝です。

磯部豊喜

みことばの花 210202「キリスト復活の目撃者」

みことばの花 210202「キリスト復活の目撃者」

「わたしが最も大事なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことであった。
すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死んだこと、」(Ⅰコリント15:3 口語訳)

昨日「パウロの中心メッセージが十字架と復活」だと書きましたが、上記聖句箇所にもそれが記されています。
「キリストの復活はパウロだけの体験ではないか」と思う人もあるかもしれません。ですがパウロは続いてこのようにも書いています。
「そして葬られたこと、聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえったこと、ケパに現れ、次に、十二人に現れたことである。
そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れた」(Ⅰコリント15:4~6 口語訳)。
キリストが復活されたことを味わった体験者がパウロ一人ではなかったことが分かります。
キリストの復活は、パウロという一人の秘密体験ではないのです。
そしてこのキリストの復活という事実は、キリスト者の死後の復活を約束します。
ここにキリスト者の究極の希望があります!
今日も主の守りがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 210201「パウロの証④―中心メッセージ」

みことばの花 210201「パウロの証④―中心メッセージ」

「すなわち、キリストが苦難を受けること、また、死人の中から最初によみがえって、この国民と異邦人とに、光を宣べ伝えるに至ることを、あかししたのです」(使徒 26:23 口語訳)

上記をリビングバイブルでは次のように訳されています。
「私が話しているのは、キリストは苦しみを受け、死人の中から最初に復活して、ユダヤ人にも外国人にも光をもたらす、ということだけなのです」(同上23節)。
回心後のパウロの中心メッセージがここに述べられています。それはキリストの苦難と死、そして死からの復活です。
彼はよみがえったキリストを目撃しました。そのことによって人生の意味と目的が分かった。
「生きることはキリストであり、死ぬことは益である」(ピリピ1:21)のだと。
キリストと結ばれる人にとって死は「一巻の終わり」ではなく、死は「第二巻の始まり」の序章に過ぎません。
パウロの中心メッセージである「死と復活」には大いなる希望があります。
今日も主の恵みがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 210131「パウロの証③―任命」

みことばの花 210131「パウロの証③―任命」

「さあ、起きあがって、自分の足で立ちなさい。わたしがあなたに現れたのは、あなたがわたしに会った事と、
あなたに現れて示そうとしている事とをあかしし、これを伝える務に、あなたを任じるためである。」(使徒 26:16 口語訳)

これはパウロに語られて復活の主の言葉です。上記の続きをさらに紹介しましょう。
「心配はいらない。あなたを、ユダヤ人からも外国人からも守ろう。あなたは外国人のところに派遣するのですから。
人々の目を開き、自分の本当の姿に気づかせ、罪を悔い改め、悪魔の暗やみから出て、神様の光の中に生きるようにするために。
わたしを信じる信仰によって、彼らは罪の赦しを受け、きよくされたすべての人たちと共に、神様の相続財産を受けるようになるのだ。」(リビングバイブル・使徒26:17、18)
キリストはパウロを任命するにあたり、彼がその役割を果たすまで、彼を守ることを約束されるのです。

磯部豊喜

みことばの花 210130「パウロの証②―キリストとの出会い」

みことばの花 210130「パウロの証②―キリストとの出会い」

「それから、いたるところの会堂で、しばしば彼らを罰して、無理やりに神をけがす言葉を言わせようとし、彼らに対してひどく荒れ狂い、ついに外国の町々にまで、迫害の手をのばすに至りました。」(使徒 26:11 口語訳)

上記はパウロの弁明の続きです。かつての迫害者がいかにして賛同者になったのか。上記の続きはこうです。
「ところが、何もかも祭司長たちから任され、そのつもりでダマスコに向かう途中、あれは、ちょうど正午のころでしたが、
太陽よりもまばゆい光が、天から私と連れの者たちを照らしたのです。私たちはみな、その場に倒れました。
その時です。私は、ヘブル語でこう語りかける声を聞いたのです。
『パウロ、パウロ(※原語はサウロ)。なぜわたしを迫害するのか。そんなことをしたら、自分が傷つくばかりだよ。』
『あなた様は、いったいどなたです?』と私は尋ねました。
すると主は言われたのです。『わたしかね、わたしは、あなたが迫害しているイエスだ。』」(リビングバイブル・使徒26:12~15)。
復活のキリストは迫害者パウロをこうして選び、味方へと導かれたのです。かつてキリスト教信仰を否定していた、私も同様です。
ハッピーサバス!

磯部豊喜
・・・・・・・
1月30日(土)ライブ配信 URL を送ります。
安息日学校 URL 1月30日(土)10:00 聖書の学び 2021年第1期(イザヤ―わが民を慰めよ)第5課「いと高き平和の君」磯部豊喜
https://youtu.be/W0DzMTmRKKA
礼拝説教  URL 1月30日(土)11:00 説教題「永遠に続くもの」磯部豊喜
https://youtu.be/xldVM1YIMk4

みことばの花 210129「パウロの証①・・・弁明」 

みことばの花 210129「パウロの証①・・・弁明」 

「アグリッパはパウロに、『おまえ自身のことを話してもよい』と言った。そこでパウロは、手をさし伸べて、弁明をし始めた。」(使徒 26:1口語訳)

迫害者サウロは伝道者パウロに変えられました。パウロ自身の弁明の言葉をリビングバイブルより紹介します。
「私はタルソで生まれ、エルサレムで、ユダヤ教徒として徹底した訓練を受け、それにふさわしく生きてまいりました。
また、ユダヤのおきてと習慣を守ることでは、最も厳格なパリサイ派の一人でした。。」(4、5節)「死人の復活を信じることが犯罪でしょうか。
神様が人間を復活させることは、そんなに信じがたいことでしょうか。かつて私は、ナザレのイエスの弟子は撲滅すべきだと堅く信じていました。
ですから、祭司長たちの手先になり、エルサレムでクリスチャンを片っぱしから投獄し、裁判の時には、死刑に賛成の票を投じました。
また、クリスチャンに、キリストを冒涜することばを吐かせるためには手段を選ばず、拷問を加えることもしばしばでした」(8~11節)。
この続きは明日に致します。
今日も主の恵みがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 210128「入れ替わる人生」

みことばの花 210128「入れ替わる人生」

「相当の日数がたったころ、ユダヤ人たちはサウロを殺す相談をした。」(使徒 9:23 口語訳)
 
「昨日の味方が、今日は敵」という出来事が、サウロ(パウロ)の生涯について記されています。
彼が復活されたイエス・キリストに出会うまでは、彼がかつて所属していたグループに今度は彼自身が追われ、命を狙われる立場になってしまったのです。
殺害する側が殺害される側に入れ替わる。それでも回心後のサウロは、イエス・キリストを伝えることをやめません。
本当のことを知ると、命の危険にさらされてもそれは隠すことはできないのです。
当時、キリスト者になるということは、それは命がけのことです。私は若い頃、キリスト信仰者ではありませんでしたが、
キリストを信じる者が、ローマの円形劇場などでライオンの餌食になったことなどを知り、どうしてそのようなことが出来るのか一つの疑問でした。
命を超えた真の命に触れる、愛を超えた大きな愛を知る。これが人を変えるのだと後に分かりました。

磯部豊喜

みことばの花 210127「イエスこそ神の子」

みことばの花 210127「イエスこそ神の子」

「サウロは、ダマスコにいる弟子たちと共に数日間を過ごしてから、ただちに諸会堂でイエスのことを宣べ伝え、このイエスこそ神の子であると説きはじめた。」(使徒 9:19,20 口語訳)

サウロ(パウロ)の宗旨転向は、実に素早いものでした。
本当のことが分かったら、これまでの考え(キリスト教を撲滅する)を捨てて、今度は「ただちに諸会堂でイエスのことを宣べ伝え、
このイエスこそ神の子であると説き始めた」という。主義のために人を殺(あや)めることをやめて、人に救いの道を説く人に変わった。
サウロという人は実に心の熱い人。この姿を見る時、人には変えられるものと変えずに済むものがあるような気がします。
彼の情熱とか生きる姿勢はそのままです。ですが思想や価値観が変わった。
「悪に強きは、善にも強い」という。こういう人が、何か大きなことをする人なのかなと思います。
今日も主の愛に触れたいものです。

磯部豊喜

みことばの花 210126「目からうろこが落ちる」

みことばの花 210126「目からうろこが落ちる」

「するとたちどころに、サウロの目から、うろこのようなものが落ちて、元どおり見えるようになった。
そこで彼は立ってバプテスマを受け、また食事をとって元気を取りもどした。」(使徒9:18、19 口語訳)

キリスト教用語に「回心」という言葉があります。上記はパウロの回心の記録です。
迫害者サウロ(パウロ)は、イエス・キリストによって受け入れられました。
パウロは「十字架に架けられ死んだキリストが復活した」との噂をばらまく人々を邪教を信じる者と断定し憎んでいました。
その彼の思想はこのダマスコ途上で見事に崩れました。クリスチャンたちのメッセージが本当であったと体験したからです。
彼はここで二つの眼が開かれます。それは肉体の眼と、心の眼です。開眼という言葉がありますが、まさに「開眼」経験。
「目からうろこが落ちる」とは本来、彼のような回心を指す言葉なのでしょうか。
回心の証拠に、彼は水の中に沈めるという意味を持つバプテスマを受け、迫害者は一転しクリスチャンになりました。

磯部豊喜

みことばの花 210125「アナニヤ」

みことばの花 210125「アナニヤ」

「さて、ダマスコにアナニヤというひとりの弟子がいた。
この人に主が幻の中に現れて、『アナニヤよ』とお呼びになった。彼は『主よ、わたしでございます』と答えた。」(使徒 9:10 口語訳)

アナニヤというクリスチャンが断食し祈るサウロ(パウロ)のもとを訪問し、サウロの上に手をおいて祈ります。
「兄弟サウロよ、あなたが来る途中で現れた主イエスは、あなたが再び見えるようになるため、そして聖霊に満たされるために、わたしをここにおつかわしになったのです」。
アナニヤは、サウロの回心のために用いられた人でした。アナニヤはサウロがどんな人か知っていました(使徒9:13,14 口語訳 参照)。
ですが主の声を聞き説得されたアナニヤは、迫害者として名高いあのサウロに会いに行きます。
そして、目が見えなくなっていたサウロのために祈ります。
「敵を愛し、迫害する者のために祈れ」(マタイ5:44 口語訳)と教えられたキリストの精神がここにあります。

磯部豊喜