みことばの花 190515「黙示録の虹」

みことばの花190515「黙示録の虹」

「その座にいますかたは、碧玉や赤めのうのように見え、
また、御座のまわりには、緑玉のように見えるにじが現れていた。」
(黙示録 4:3)  

「虹」を記録する聖書の個所は創世記、エゼキエル書、そしてあと一つの書物。
それは上記にある黙示録。
黙示録は聖書66巻の最後の書物です。
黙示録に「虹」は上記の4:3と10:1にも登場します。
その共通点は、神の御子イエスを取り囲んでいると思えることです。
「虹」はこのように至極天的なものであり、神の御子イエス・キリストを思い起こさせるものです。
「虹」がかかる時の空は、明るく輝く。
悪いことや悲しいことの多い世界ですが、この地球は神に見捨てられていないと感じます。
心が暗く、ふさぐときに「虹」を心に描いてみてはいかがでしょうか。
キリストの「恵みの虹」を実感できれば幸いです。

磯部豊喜

みことばの花 190514「エゼキエルの虹」

みことばの花190514「エゼキエルの虹」

「そのまわりにある輝きのさまは、雨の日に雲に起るにじのようであった。主の栄光の形のさまは、このようであった。」
(エゼキエル 1:28) 

聖書の中に登場する「虹」の最初の記録は創世記。
それは、二度と大洪水によって世界を滅ぼさないと約束された「契約の虹」でした。
次に聖書に登場する「虹」はエゼキエル書。
主(神)の回りを囲む輝きが「虹」のようだと表現されています。
エゼキエルはここで「人の子よ、立ち上がれ、わたしはあなたと語ろう」という声を聞き、「霊がわたしのうちに入り」と書いています。
ここでは「虹」は神と人とを固く結ぶ「栄光の虹」。
心に主の「栄光の虹」を描いて歩みたい。

磯部豊喜

みことばの花 190513「イリーゼ」

みことばの花190513「イリーゼ」

「わたしが雲を地の上に起すとき、にじは雲の中に現れる。」(創世記 9:14)

昨日の朝、千葉教会のすぐ近くにある介護宿泊施設の「介護ホーム・イリーゼ」を教会の子供たちと訪問しました。
この「イリーゼ」ですが、ギリシャ語の「イリス」から派生した言葉で「虹」を表します。
「虹」のルーツは世界最古の書物「聖書」にあり、聖書の中では「契約の虹」とも呼ばれます。
「こうして、わたしは、わたしとあなたがた、及びすべて肉なるあらゆる生き物との間に立てた契約を思いおこすゆえ、
水はふたたび、すべて肉なる者を滅ぼす洪水とはならない。」(同9:15)とみ言葉は続きます。
雨上がりの後に、姿をあらわず虹を見るときに、この聖書の言葉を思い出して神の恵みを見上げたいと思うのです。
主の守りが今日もありますように。

磯部豊喜

みことばの花 190512「ゆりの花」

みことばの花190512「ゆりの花」

「この廊の柱の頂にある柱頭の上に四キュビトのゆりの花の細工があった。」(列王上 7:19)

春たけなわで、戸外を散歩すると種々の草花に出会います。
聖書の中にも数種類の草花の名が登場します。
「サフラン、菖蒲、アロエ…」、ところで聖書の花の中で「ゆりの花」は別格。
上記の聖句は、イスラエル王国の三代目ソロモン王が建築職人ヒラムに造らせた「ゆりの花の細工」。
なぜ「ゆりの花」なのか。
千葉教会の駐車場はアスファルト加工が施されていますが、毎年このアスファルトを突き破って顔を出す花があります。
それが「ゆりの花」です。
「ゆりの花」は白く透明感がありますが、実はたくましい花。
「わたしはシャロンのばら、谷のゆりです。」(雅歌2:1)は、神の御子キリストに置き換えられて見られます。
「ゆりの花」が、美しくかつたくましきキリストを表していることに、うなずけるのは果たして私一人でしょうか。
主の恵みが今日もありますように。

磯部豊喜

みことばの花 190511「み言葉の力」

みことばの花190511「み言葉の力」

「み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。」(詩篇 119:130)

「私は何のために生きているのか」という疑問は、人である限り、一度は頭に浮かべることではないかと思います。
私もそうでした。
高校生時代の仲の良い友に死なれた時に、その思いは強くなりました。
ですがどんなに考えても、哲学書をめくっても答えは見つからない。
ですが神様の「み言葉」を手にしたとき、その疑問は氷解しました。
人生をすでに送っているにも関わらず、「生きる意味」が分からない人生。
ですが今は人を創造されたお方(神)の存在を知りました。
創造者なるお方は、人に命を与える目的をもっておられて当然です。
み言葉の力に触れて、今はこの神の愛を受け、永遠の命を得るために人生が与えられていることが分かりました。
別の言葉でいうならば「愛にあふれた神様を知るために」人生が与えられているということです。
ハッピーサバス!

磯部豊喜

みことばの花 190510「ビーイングの愛」

みことばの花190510「ビーイングの愛」

「しかもわたしの味方として見るであろう。わたしの見る者はこれ以外のものではない。
わたしの心はこれを望んでこがれる。」(ヨブ 19:27) 

「味方」が一人でもいれば人は心強くなれます。
周りの人が全員自分を否定しても、もし最も近しい人が「味方」なってくれるならば人は元気になれる。
ビリギャルこと小林さやかさんの肉声をラジオで聞きました。
さやかさんは、中高をビリで卒業し、素行不良(そぎょうふりょう)を理由に何度も停学になり、
学校の校長に「人間のクズ」と呼ばれたこともあったそうです。
煙草を吸って、母が学校に呼ばれたことがあった。
その時、母は先生に「すみません」と語った後、「でも、この子はとっても良い子なのです。」と告げた。
これ以来、さやかさんは偏差値を40上げて、慶応大学に進む。
「私は母にビーイング(存在)の愛を受けた」と語っていました。
私の信じる神様も、さやかさんの母のような眼差しで私どもを見つめてくださいます。
主の恵みが今日もありますように。

磯部豊喜

みことばの花 190509「有って有るもの」

みことばの花190509「有って有るもの」

「神はモーセに言われた、『わたしは、有って有る者』。…」(出 3:14) 

「神様は誰が造ったの?」、一昨日の質問の答えがこの聖句にあります。
最初から有る(存在している)おかたであることが、真の神としての必要条件です。
もし「神様が誰かに造られた」とするならば、この神様と呼ばれる者を造ったかたこそ本当の神様です。
言い換えると誰かに造られる者は、初めから本物の神ではない。
真の神は、人から創造されるものでもない。
「はじめに神は天と地を創造された」(創1:1)と言われるお方、
わたしを造り導き、命と愛を与えてくださっているお方を今日も見上げて歩みたい。

磯部豊喜

みことばの花 190508「サムシング・グレート」

みことばの花190508「サムシング・グレート」

「あなたはわが内臓をつくり、わが母の胎内でわたしを組み立てられました。」(詩篇 139:13)

遺伝子(DNA=デオキリシボ核酸)が私たちの体を構成する細胞の中にあることは良く知られています。
最初は一個の細胞(受精卵)から始まって、細胞分裂を繰り返し、約3兆個の細胞が赤ちゃんの姿になって「おギャー」と誕生するという。
産まれてからも細胞分裂は続き、60キロの大人に成長する時には約60兆個の細胞が出来上がる。
不思議なのは、元は同じ細胞なのにある細胞は脳細胞になり、肝細胞になったり、爪や目の細胞になったりする。
どの細胞も同じなのに細胞間でなんらかの取り決め、役割分担みたいなものが行われるらしい。
そこでこれらの仕組みを考えた誰かを想定しないわけにはいかない。
遺伝子学のM先生はこの誰かを、偉大なる何者か(サムシング・グレート)と呼んでいます。
クリスチャンはその方を創造主なる神様と呼んでいます。
今日も神様によって生かされていることに感謝したい。

磯部豊喜