みことばの花 190523「精度」

みことばの花190523「精度」

「またあなたがたの頭の毛までも、みな数えられている。」(マタイ 10:30)

5月20日の朝日新聞記事に「1㎏の基準 引退」とう小見出しの一文がありました。
「質量の基準として130年間使われてきた合金製の分銅「キログラム原器」が19日、引退し、
光に関する物理定数『ブランク定数』をもとにした高精度の定義に20日から切り替わる」という内容。
さらに読み進むと、「キログラム原器は、『水1リットルの重さ』とされていた1kgの定義を精密にするために作られ、
パリ郊外の国際度量衡(どりょうこう)局に厳重に保管されてきた。
…各国に配られた原器との間に1億個分の5kg(指紋一つ分の汚れほど)のずれが生じたことが判明」とありました。
人間の作った精度はすごい、ですが上記にある神の精度はもっとすごいようです。
毎日髪の毛は生え変わるのですから…。
この主の守りが今日もありますように。

磯部豊喜

みことばの花 190522「いつも思う」

みことばの花190522「いつも思う」

「ダビデの子孫として生れ、死人のうちからよみがえったイエス・キリストを、いつも思っていなさい。
これがわたしの福音である。」(Ⅱテモテ 2:8)

テモテへの第二の手紙の著者の名は、パウロです。
上記のパウロの勧めは、わたしの心に常に響きます。
「あなたはイエス・キリストのことをいつも思っていますか?」
昨日より、講演会に突入したためなのかどうかは分かりませんが、
ここのところいつもイエス・キリストのことを思って生活しています。
ここ数週間、朝4~5時の間に不思議に目を覚ましこころの中で「イエス様、あなた様を見させてください」と祈ります。
イエス様を思うと、荒れくれた心が穏やかになります。
今日もキリストの愛が迫って来ますように。

磯部豊喜

みことばの花 190521「称賛の言葉」

みことばの花190521「称賛の言葉」

「そこでパロは家来たちに言った、『われわれは神の霊をもつこのような人を、ほかに見いだし得ようか』。」(創世記 41:38) 

自分で自分を褒める人がいます。
誰も褒めてくれないからせめて自分だけは自分を…というのはあってもいいでしょう。
ですが、一国の王様から称賛の言葉を頂くとしたらどうでしょうか。
上記の聖句は、真実でない濡れ衣を着せられ牢獄に入れられたヨセフという人物に、当時のエジプト王が語った言葉です。
「われわれは神の霊をもつこのような人を、ほかに見いだし得ようか」。
これほどの称賛の言葉は他にないでしょう。
この言葉を王から頂いたばかりでなく、彼は国家の命運を担うリーダーとして登用されます。
実はこれは彼の信じる神が彼を後押しした結果なのです。
今日も主を前におき、謙遜に歩めたらと願います。

磯部豊喜

みことばの花 190520「何を見つめるか」

みことばの花190520「何を見つめるか」

「雲が幕屋の上からのぼる時、イスラエルの人々は道に進んだ。彼らはその旅路において常にそうした。」(出 40:36) 

ここに「雲が幕屋の上からのぼる時、…人々は道を進」むという不思議な光景が描かれています。
この雲は神様の象徴、神を見上げて進む人生を教えているようです。
人が勇気を得るのは神を見る時。
さて、「のぼる」ことを瞑想する中で、スタート時に出遅れた野球の広島球団が、いつの間にか同率1位にのぼって来ていました。
少し遅れた「こいのぼり」です。
広島の選手たちは空にある「こいのぼり」見つめているのでしょうか。
良きものを見つめ続けたいと思います。

磯部豊喜

みことばの花 190519「神のみわざ」

みことばの花190519「神のみわざ」

「イエスは答えられた、『本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。
ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである。』」(ヨハネ 9:3) 

何か悪い出来事などが生じたりすると、人は「なぜ?」という疑問を抱き、その原因探してしまうような気がします。
なぜ「あんな事故に遭ってしまったのか?」「なぜ多くの人の中でなぜ私一人が病気なのか?」など。
しかしキリストは原因探しをすることではなく、
その出来事から起こる将来を見据えて生きることに私たちの目を向けさせようとしました。
「ただ神のみわざが、彼の上に現れるため」だと言われます。
今この不幸に思えることが私の身に及んでいることには意味がある。
その意味は「神のみわざ」を見る入り口なのだと言われます。
原因探しをしても始まらないことがあります。
そのような時、この御言葉を心に刻みたいと思います。

磯部豊喜

みことばの花 190518「自分を愛する」

みことばの花190518「自分を愛する」

「そのほかに、どんな戒めがあっても、結局『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』というこの言葉に帰する。」(ローマ 13:9) 

このような言葉に出会いました。
クリスチャンの姉がその妹に語った言葉です。
「私たちはまず自分への伝道をしないといけない」。
クリスチャンとしてなかなか含蓄のある一言だと思います。
この言葉を思いめぐらしているときに、上記の聖句が浮かびました。
「結局『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』というこの言葉に帰する。」
クリスチャンになると兎に角「ぶりっこ」になってしまいます。
クリスチャンは人を神様に引き合わせなくては…と。
これを「伝道」と呼ぶのですが、本当の祝福はまず自分からというのが正しいと思います。
愛を受けて愛することが出来るのですから。
まず自分を主の前にさらけ出して「自分を愛する人」になりたいと願います。
ハッピーサバス!

磯部豊喜

みことばの花 190517「あなたの荷を」

みことばの花190517「あなたの荷を」

「あなたの荷を主にゆだねよ。主はあなたをささえられる。主は正しい人の動かされるのを決してゆるされない。」(詩篇 55:22)

荷物を背負わない人生はありません。
子供の頃には、背にランドセルを素老い、中高大でも、社会人になってもリュックサックを背にする人は多いと思います。
このような荷物もそうですが、もっと重い荷物は、心の荷物でしょう。
ここに心の荷物を軽くする約束の御言葉があります。
それは「あなたの荷を主にゆだねよ」です。
主とは神様、「ゆだねよ」とは「まかせなさい」ということでしょう。
私たちは重荷を自分一人で背負わなくても良いのです。

磯部豊喜

みことばの花 190516「エンジェル」

みことばの花190516「エンジェル」

「また、御使たちについては、『神は、御使たちを風とし、
ご自分に仕える者たちを炎とされる』と言われているが、」(ヘブル 1:7) 

昨晩、メジャーリーグの大谷翔平選手の活躍が報道されていました。
日本人選手が活躍すると嬉しくなります。
昨日は3安打の固め打ちで打率3割を超えたとのこと。
その大谷選手が所属しているチーム名が「エンジェルス」。
米国のロサンゼルスにあるチームだそうです。
邦訳すると「天使たち」となります。聖書には「天使」は「イエス・キリスト」と共によく登場します。
天使は私たちの前に姿を見せるとは限りませんが、私たちにとってはとても強い味方です。
上記には、「ご自分に仕える者たちを炎とされる」と書かれています。
モーセの率いるヘブライ人たちがエジプト奴隷から解放される時に、出エジプトを助けたのは「昼は雲の柱、夜は火の柱」でした。
天使たちは今も「主に仕える者」と共にいて守ってくださいます。
そう、今も…です。主の守りが今日もありますように。

磯部豊喜