みことばの花 191013「過ぎ去る」

みことばの花 191013「過ぎ去る」

「神よ、わたしをあわれんでください。わたしをあわれんでください。わたしの魂はあなたに寄り頼みます。
滅びのあらしの過ぎ去るまでは/あなたの翼の陰をわたしの避け所とします。」(詩篇 57:1 口語訳)

超大型台風19号が記録的大雨を広範囲(27都県)に降らせてあっという間に過ぎ去りました。
「滅びのあらしの過ぎ去るまでは」と上記のみ言葉にありますが、今朝「あらし」が来たのがウソのように空は快晴。
風もほとんどありません。
千葉に関して言えば、台風15号の影響がまだ癒えていない中、大雨だけは免れたようです。
ですが他の都県では、河川の氾濫などの被害は甚大ではないかと思います。
農産物被害も心配です。
そのような被害の中で何よりも多くの「人の命」が守られるように…と祈るばかりです。
「あなたの翼の陰をわたしは避けどころとします」を心にとめて過ごしたいと思います。

磯部豊喜

みことばの花 191012「すべてに時があり」

みことばの花 191012「すべてに時があり」
「天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。」(伝道 3:1 口語訳)

上記の聖句は「生るるに時があり、死ぬるに時があり、植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり…」と続きます。
今日、私は牧師になって初めて安息日に教会の門を閉じる経験をします。
超大型台風19号が非常に強い勢力を保ったまま、今日の夕方から夜にかけて、東海地方または関東地方に上陸するとのことで、来会者の安全のためにこういう判断となりました。
「教会の門を開くに時があり、その門を閉じるに時があり」となります。
かつて教会の門が長い間閉じられた時がありました。
太平洋戦争の時です。
あの時、多くのSDAの牧師が「治安維持法」なる法律のために投獄され教会は解散閉鎖されました。
今回は自然災害なので通り過ぎれば教会はすぐに再開されます。
ところで再臨信徒の希望は、「キリストが再び来られる時」。
この時を見据えて、今日は第七日安息日をそれぞれの家庭で礼拝することになります。
台風19号による災害が最小限にとどまりますように、心から祈ります。

磯部豊喜

みことばの花 191011「盗むより与えよ」

ことばの花 191011「盗むより与えよ」

「盗んだ者は、今後、盗んではならない。
むしろ、貧しい人々に分け与えるようになるために、自分の手で正当な働きをしなさい。」(エペソ 4:28 口語訳)

近年、我が国では盗難行為が立て続けに起きています。
コインランドリーでは、換金箱を壊しての盗難、先日はメロン農家が手塩にかけて育てたメロンを、
ハウスに侵入し盗難するということが相次いでいました。
設置カメラにその様子が車ごと写っていますが、車のナンバーも盗難されたものらしい。
よって犯人の特定が難しい。
さて聖書の十戒には「あなたは盗んではならない」(出20:15 口語訳)とありますが、上記のような聖句もあります。
「盗まない」ことは当然ですが、「貧しい人々にわけ与える」ことが勧められています。
「憎むより愛すること」「不信仰より信じること」…
このように「悪い事をしない」ばかりでなく「良い事をする」ことが求められます。
ここに神のみ言葉の教えの高さを思います。

磯部豊喜

みことばの花 191009「イエスは主である」

みことばの花 191009「イエスは主である」

「また、あらゆる舌が、『イエス・キリストは主である』と告白して、栄光を父なる神に帰するためである。」(ピリピ 2 :11)

昔、人生の最終目的というテーマの話を尊敬する牧師からお聞きしたことがあります。
それは「神の栄光にいきることだ」と。
それいらい「神の栄光のために」が私の心に打ち寄せてきます。
では「神の栄光とは何か」となると答えに窮するのです。
上記の聖句を見つめていて、その答えが分かったような気がします。
それは「あらゆる舌が(すべての口が)『イエス・キリストは主である』と告白して」とある。
今日、どれほどの人が「イエスは主である」と告白しているでしょうか。
多くの人の心にある思いは「私が主である」。
つまり心の中心にあるものが自分かも…。
これが「主イエス」様に替われば良いのです。
果たして私は?主の恵みが今日もありますように。

磯部豊喜

みことばの花 191008「手でさわったもの」

みことばの花 191008「手でさわったもの」

「初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て手でさわったもの、すなわち、いのちの言について――」
(Ⅰヨハネ1:1 口語訳 ) 

「他人に触られるとくすぐったい足の裏やわきの下が、自分の指で触れるとくすぐったくない。
なぜなのかと真剣に研究したのは古代ギリシャのアリストテレスである。
到達した答えは『自分の指では動きが予測できるため』…触覚が専門のN教授によると、海外の学者がMRIを使って、くすぐり行為と脳の反応を調べたところ、アリストテレスの推理は正しかった」(2019年10月5日朝日新聞より)。
それにしても触覚専門の教授がおられるとは世間は広い。
N教授は「百聞は一見にしかずと言いますが、一触には百見を上回る力があります」とも述べています。
上記の聖句にも触覚のことが記されています。
「よく見て手でさわったもの」を知る人は幸いです。
このお方は「いのちの言」ですから。

磯部豊喜

みことばの花 191007「信仰と謙遜な祈り」

みことばの花 191007「信仰と謙遜な祈り」

「エリヤは、わたしたちと同じ人間であったが、雨が降らないようにと祈をささげたところ、
三年六か月のあいだ、地上に雨が降らなかった。
それから、ふたたび祈ったところ、天は雨を降らせ、地はその実をみのらせた。」(ヤコブ 5:17‐18 口語訳) 

旧約聖書に登場する預言者エリヤの祈りとその結果をヤコブは短くまとめています。
この言葉の中に「エリヤは、わたしたちと同じ人間であったが…」というのがいい。
エリヤの祈りの結果は、わたしにも起こり得るということです。
神への信頼とへりくだった心をもって祈る時に、神は御心のうちに祈りを聞いてくださる。
必ずしもエリヤだから聞かれるというのでない。
信仰と謙遜な祈りこそが鍵。
エリヤは祈る人のお手本なのです。
今日も主が誠実に祈る人の祈りを心にとめてくださいますように。

磯部豊喜

みことばの花 191006「石の上にも三年」

みことばの花 191006「石の上にも三年」

「あなたに与えるしるしはこれである。
すなわち、ことしは落ち穂から生えた物を食べ、二年目には、またその落ち穂から生えた物を食べ、
三年目には種をまき、刈り入れ、ぶどう畑を作ってその実を食べる。」(イザヤ 37:30 口語訳)

「石の上にも三年」という有名な諺(ことわざ)があります。
これは「冷たい石の上でも三年も座り続ければやがて暖まって来る。
すなわち我慢強く辛抱すれば、必ず成功する。」という意味を持つ言葉です。
上記の聖句もこれに似たところがあります。
この言葉は、神がユダの王ヒゼキヤに約束なさったみ言葉です。
当時、ユダは強国アッシリアの圧迫に耐えていました。
耐え続けていれば、こういうことが起こると神は言われたのです。
今年は我慢、二年目には少し良くなり、三年目には完全に持ち直せるという。
忍耐は辛い、されど耐え続ける限り、きっと人生に花は咲く。
そのような応援歌がこの中にあります。

磯部豊喜

みことばの花 191005「向上」

みことばの花 191005「向上」

「このように、あなたがたはキリストと共によみがえらされたのだから、上にあるものを求めなさい。
そこではキリストが神の右に座しておられるのである。」(コロサイ 3:1 口語訳)

私という存在の受け止め方においては、「そのままの君」で良い。
人はそのままで価値があります。
ですが人物としての成長においては、「今のままの自分で良い」などというのは貧しい考えだと思います。
常に向上を求めたい。
さて、み言葉は、「上にあるもを求めなさい」と語ります。
上にあるものとは何か。
それはイエス・キリストです。
イエス・キリストの品性に似る、一歩でも近づくことが「上にあるものを求める」ことでしょう。
敵のために祈るとか、そういうことも大切でしょう。
今日は聖なる安息日、キリストにさらに一歩、近づける聖なる日を感謝して過ごしたいものです。
ハッピーサバス!

磯部豊喜