みことばの花 190815「ヤベヅの祈り④」

みことばの花190815「ヤベヅの祈り④」

「ヤベヅはイスラエルの神に呼ばわって言った、『どうか、あなたが豊かにわたしを恵み、わたしの国境を広げ、あなたの手がわたしとともにあって、わたしを災から免れさせ、苦しみをうけさせられないように』。神は彼の求めるところをゆるされた。」
(歴代上4:10) 

「過去は変えることは出来ないが、未来は変えることが出来る」とは良く聞く言葉です。
苦しみからスタートしても、それが人生を決定するのではない。
「これまで苦しかったから、これからも苦しみ続けるのが君の人生」と思わせる暗雲の声が心に響くかも知れません。
ですが「未来は変えられる」。
ヤベヅは自分の名に抗(こう)する道を神に祈りました。
この祈りは聞かれています。
「神は彼の求めるところをゆるされた」と書かれています。
愛の神への祈りは、未来を変える導火線なのです。

磯部豊喜

みことばの花 190814「ヤベヅの祈り③」

みことばの花190814「ヤベヅの祈り③」

「ヤベヅはその兄弟のうちで最も尊ばれた者であった。
その母が『わたしは苦しんでこの子を産んだから』と言ってその名をヤベヅと名づけたのである。」(歴代上4:9)

ヤベヅについて分かる第二のこと。それは彼の名の意味です。
その母が「わたしは苦しんでこの子を産んだから」とあるので難産だったのでしょうが、
「悲しみ」とか「痛み」という意味がそのまま彼の名前になったようです。
「悲(れん)」君とか「痛(いたみ)」君という呼び名が浮かびます。
このような名前を毎日呼ばれたらどんなものでしょう。
彼の人生のスタートが決して恵まれていなかったということが分かります。
ですがイエス・キリストは「悲しんでいる人たちは、幸いである」(マタイ5:4)と言われましたので、
こういう人生のスタートもありかなと思います。
悲しみは喜びの吉兆なり!

磯部豊喜

みことばの花 190813「ヤベツの祈り②」

みことばの花190813「ヤベツの祈り②」

「ヤベヅはその兄弟のうちで最も尊ばれた者であった。その母が『わたしは苦しんでこの子を産んだから』と言ってその名をヤベヅと名づけたのである。」(歴代上4:9

ヤベヅ(またはヤベツ)という人に、何人の兄弟があったか分かりません。
長男であったのか、二男なのか末っ子なのかわかりません。
ただ言えることは、彼が「兄弟のうちで最も尊ばれた者であった」ということ。
私はこの一文を見て、奴隷からエジプトの宰相になった人「ヨセフ」を思い出します。
ヨセフは12人兄弟の11番目でしたが、神様は彼を愛されました。
「主はヨセフと共におられて」とあります。
そのポイントはただ一つ。彼が神の友であることを求めたということでしょう。
ヤベヅにも同じことが言えるでしょう。
主との友情を大切にすることを選ぶ人は祝福されると私は信じています。

磯部豊喜

みことばの花 190812「ヤベヅの祈り①」

みことばの花190812「ヤベヅの祈り①」

「4:9 ヤベヅはその兄弟のうちで最も尊ばれた者であった。その母が「わたしは苦しんでこの子を産んだから」と言ってその名をヤベヅと名づけたのである。4:10 ヤベヅはイスラエルの神に呼ばわって言った、『どうか、あなたが豊かにわたしを恵み、わたしの国境を広げ、あなたの手がわたしとともにあって、わたしを災から免れさせ、苦しみをうけさせられないように』。神は彼の求めるところをゆるされた。」(歴代上 4:9、10) 

これはヤベヅ(他の聖書ではヤベツ)という人についての聖書の記録です。
この聖句はとても短いものです。ですがなぜだかキリスト教世界では脚光を浴びています。
単純な願い事、されど大きな願い事です。
しばらくヤベヅという人について、またこの祈りについて紹介してみたいと思います。
今日は、まず上記の聖句をじっくりと読み味わってみませんか。
主の恵みが今日もありますように。

磯部豊喜

みことばの花 190811「そのまま」

みことばの花190811「そのまま」

「するとイエスは言われた、
『幼な子らをそのままにしておきなさい。わたしのところに来るのをとめてはならない。天国はこのような者の国である』。」
(マタイ 19:14 口語訳)

政治家で人気のある小泉進次郎氏と滝川クリステルさんの結婚が報道されています。
さわやかな者同士のカップルだと思います。
この二人のコメントがいい。
「素のままの自分でいられる」。
換言すれば「そのまま」の姿でいられるということでしょう。
ところで「そのままにしておきなさい」とキリストは純粋な幼な子たちを指して言われました。
弟子たちは「~はだめ」と条件をつけますが、主は違う。
人は「そのまま」の姿を認められ、受け入れられるとうれしいものです。
今日も今週もあふれる主の愛の祝福の中でお過ごしください。

磯部豊喜

みことばの花 190810「真理の御言(みことば)」

みことばの花190810「真理の御言(みことば)」

「真理によって彼らを聖別して下さい。あなたの御言は真理であります。」(ヨハネ 17:17)

次の言葉が目に留まりました。
「この世は偽りの教えで満ちている。
自分で真剣に聖書を調べないなら、世の教えを真理と誤解し、その慣習に従い、自分の心を欺くことになる。この世の教えと慣習は神の真理と相容れないものである。」(エレンホワイト「あなたがたは力を受ける」2-4/28)。
この世の慣習的教えの一つが、人は死んだらすぐに天国へ入れるという教え。
これは人を慰めるものかも知れませんが、安易な気休めです。
聖書では「死は眠りであり」、キリストが再び来られる時に、「彼を待ち望みつつ死ぬ義人(キリストを信仰する人)は復活する」のです(ヘブル9:28、10:38参照)。
今日は第七日安息日、真理の御言を心に蓄えたいものです。

磯部豊喜

みことばの花 190809「生きる②」

みことばの花190809「生きる②」

「そこで主はモーセに言われた、『火のへびを造って、それをさおの上に掛けなさい。
すべてのかまれた者が仰いで、それを見るならば生きるであろう』。」(民数記 21:8 口語訳)

昨日の続きです。佐々木友次さんは、出撃した。
ですが敵の艦船に500キロ爆弾を投下して戻って来た。
しかし参謀は、「なぜ死んでこなかった」と言い放つ。
「目標の空母に出会わなかった」と返事をした。
ついに終戦になり、約半年が過ぎて北海道の母の元へ戻った。
佐々木さんは新聞では特別攻撃隊員としてすでに死んでいたことになっていた。
生きて帰郷した息子と母は涙の体面をした。キリスト者の望みは「死んでも生きること」。
「呪いの木に架けられたキリストを仰ぐならば生きる」と聖書は約束する。
あの佐々木さん親子のように再会の日が必ずくるのです。

磯部豊喜

みことばの花 190808「生きる①」

みことばの花190808「生きる①」

「あなたがたはわたしの定めとわたしのおきてを守らなければならない。
もし人が、これを行うならば、これによって生きるであろう。わたしは主である。」(レビ 18:5)

太平洋戦争末期に日本軍は、
劣勢を挽回するために爆弾を積んだ飛行機もろとも敵艦船に体当たりする神風特攻攻撃隊を編成しました。
この決死の攻撃に加わって4千人もの若者たちが亡くなったという。
その中で特攻隊員として9回出撃し9回帰還し終戦を迎え、
2016年まで生き延びた人に佐々木友次(ささきともじ)さんがいます。
佐々木さんは、「必ず帰って来る」といって出征し航空隊に。
フィリピンに渡りこの無謀な作戦を知る。
彼の所属した隊長は、「生きて帰って来なければ意味がない」との考えを持っていた人。
佐々木さんはその影響を受けたと思われる(明日に続く)。
主の守りが今日もありますように。

磯部豊喜

みことばの花 190807「ガラクタ」

みことばの花190807「ガラクタ」

「有力な者を無力な者にするために、この世で身分の低い者や軽んじられている者、
すなわち、無きに等しい者を、あえて選ばれたのである。」(Ⅰコリント 1:28 口語訳)

「小さなツルハシと大きなリュックを抱え、原爆投下からまもない広島市内を連日歩き回る男性がいた。
探したのは破壊の跡をとどめる石や瓦、鉄片など。
『ガラクタの拾い屋』などと奇異の目を浴びても収集の熱は冷めなかった。
のちに広島の原爆資料館の初代館長を務めた地質研究者、長岡省吾氏である。…」(朝日新聞「天声人語」2019.8.6)
原爆後の「ガラクタ」を集めて、そのガラクタが今は多くの人を引き付けているところが原爆資料館だという。
この記事を見て、無きに等しい者(ガラクタのような者)を、ご自分のみもとに集めて、
多くの人の役に立つようにと価値ある者に作り変えてくださるイエス・キリストの恵みを思います。
今日も主の恵みがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 190806「怒りよりも笑顔」

みことばの花190806「怒りよりも笑顔」

「怒りをおそくする者は勇士にまさり、自分の心を治める者は城を攻め取る者にまさる。」(箴言 16:32  口語訳) 

渋野日向子(しぶのひなこ)さん(20)の名を初めて知りました。
「20歳渋野メジャーV/日本勢42年ぶり」が新聞の見出しです。
この女子ゴルファーは、昨夏に2度目の挑戦でプロゴルファーに合格したばかりの選手。
この試合は、今季メジャー最終戦のAIG全英女子オープン。
渋野選手は、どんな時も絶やさぬ笑顔から「スマイル・シンデレラ」という愛称が付けられたとのこと。
怒りやイライラを顔に出すと「ボギー(一打のオーバー)につながる」と気づき笑顔を忘れない。
試合以上に、渋野選手を見ているほうが楽しい気分にさせられます。
さて聖書に「怒りをおそくする者は勇士にまさり、自分の心を治める者は城を攻め取る者にまさる」とあります。
怒りよりも笑顔…、これは神様が私たちにくださった最高の賜物のような気がします。

磯部豊喜