ブログ

このエントリーをはてなブックマークに追加
サイト管理人のブログです。

ブログ一覧

みことばの花 210328「白旗」

みことばの花 210328「白旗」

「主は仰せられる、わたしの言葉は火のようではないか。また岩を打ち砕く鎚のようではないか。」(エレミヤ 23:29 口語訳)

昨日バプテスマをお受けになられたKさんのことを少し紹介しましょう。この方は、人好きで社交的、また親切な人です。
ところがことキリスト教の神への信仰に関しては、なかなか「うん」と頭を立てに振ることがありませんでした。
クリスチャンの奥様が愛情を込める説得もなんのその。50年間もそのように過ごしておられました。
ところがそのKさんが昨日、バプテスマを受けられました。
その証の中で「私は頑なに信仰を拒み続けました。どうしても神の存在を信じる事が出来なかった」ということと、
身の回りにいろいろなことが起きて「時は満ち、ついに私は白旗を上げたのです」と涙ながらに話されたのが実に印象的でした。
このKさんを通して神がおられることを、私はさらに確信を深めることができました。

磯部豊喜

みことばの花 210327「水を経て救われる」

みことばの花 210327「水を経て救われる」

「…その箱舟に乗り込み、水を経て救われたのは、わずかに八名だけであった。」(Ⅰペテロ 3:20 口語訳)

昨日はついに「みことばの花」を書くことができませんでした。
ですが昨日はとても嬉しく感動的な安息日を送らせて頂きました。
それはKさんという方と、Rさんという方が、キリストの教えの中でも大切な「新生」の意味を持つ儀式であるバプテスマ(洗礼)を受けてくださったからです。
人はバプテスマによって新しい命を持つというのです。
人はこのバプテスマを受けて新しくされるというのですが、その象徴の原点になっているのが上記の聖句で、ノアの箱舟に遡(さかのぼ)るようです。
ノアとその家族八名が箱舟に乗り込んだ後に空から大雨が降ってきました。船は水に飲み込まれましたが、彼らは救われました。
「信じてバプテスマを受ける者は救われる」(マルコ16:16 口語訳)とあります。
すべての人がキリストを救い主として受け入れ、水を経て救われ、永遠の命を受けて欲しいというのが私の熱い願いです。

磯部豊喜

みことばの花 210326「過去を捨て」

みことばの花 210326「過去を捨て」 

「兄弟たちよ。わたしはすでに捕えたとは思っていない。ただこの一事を努めている。
すなわち、後のものを忘れ、前のものに向かってからだを伸ばしつつ、」(ピリピ 3:13 口語訳)

「後ろのものを忘れ、前のものに向かって」は、わたしの目指したい言葉です。
しかしこういうのは困ります。過去の記憶を思い出せない。「あの人何という名前だったかな」とか、「あれどこへ置いたっけ…」。
脳が破壊されつつある姿(わたしのことですが…)は嫌ですね。しかし「心にしみついた怨念」とか「どうでも良いことにこだわっている自分」は忘れたい。
罪の誘惑に負ける自分、マイナス思考を捨てられない自分、これともサヨナラをしたいものです。
「前のものに向かって」とは、神がわたしのために用意してくださっている輝く世界です。過去の有意義な教訓は振り返って良い。
ですが、わたしは過去に生きていない。今をそして未来を生きるのですから、「前にむかってからだを伸ばしたい」と思います。
主の守りが今日もありますように。

※追伸:明日は、千葉教会でのお別れ説教です。
嬉しいことに明日の礼拝ではバプテスマといって、「前に向かって」歩む人生を後押しさせて頂く予定も組まれています。
どうぞライブ配信(10:30より)を覗いてみてくだされば幸いです。

磯部豊喜
・・・・・・・
3月27日(土)ライブ配信 URL です。
礼拝説教  URL 3月27日(土) 10:30
https://youtu.be/25bZNnysAlI

みことばの花 210325「花

みことばの花 210325「花」

「野の花のことを考えて見るがよい。紡ぎもせず、織りもしない。
しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。」(ルカ 12:27 口語訳)

西東京市(自宅)に戻り、久しぶりに近くの遊舗道を散歩しました。桜の木に桜の花びらが少しずつ芽吹いてきているのを見ました。
来週には満開になりそうな勢いです。慌ただしい人の世界に、この花があるのは素晴らしいと思います。
八木重吉の誌に「綺麗な桜の花をみていると、そのひとすじの気持ちにうたれる」とあります。
命の短い桜の花、ですが一年分の力を開花させてくれます。この桜花を見るとき、これを造られたお方を思いわずにはいられません。
人生の試練の時、悲しい時、辛い時に、一歩足をとめて桜の花を見たい。
すぐに散る桜ではなく、私どもを励ますためにこの季節にため込んだエネルギ―を、見事に開花させるその溢れる力を見たいのです。
今日は3月25日、主を仰いで過ごしたいと思います。

磯部豊喜

みことばの花 210324「教えと知識」

みことばの花 210324「教えと知識」

「あなたがたは銀を受けるよりも、わたしの教を受けよ、精金よりも、むしろ知識を得よ。」(箴言 8:10 口語訳)

引越しにまつわる話ばかりで恐縮です。今回の移動で書籍を段ボール7~8箱分処分しました。
それでも私の部屋は本と数多(あまた)の書類のために、他の部屋を多少お借りする以外に整理は困難。
ところでこれまで本を集めることに喜びを感じていた気がします。買い求めはしても読み切っていない本がいかに多いことか…。
そのような思いでいたところ、上記の聖句が心に留まりました。
「銀」や「精金」を「本」に、「わたしの教え」を「本の教え」に置き換えてみますと、「銀(本)を受ける(持つ)よりも、わたしの教え(本の教え)を受けよ」となる。
「精金(本)よりも、むしろ知識を得よ」となる。本を持って満足するのでなく、その教えを受けたい。命の書である聖書は特にしかりです。
聖書を所持して満足するのでなく、中身をさらに熟読、いえ精読したいのです。

磯部豊喜