みことばの花 210207「忍耐」

みことばの花 210207「忍耐」

「主の前にもだし、耐え忍びて主を待ち望め。おのが道を歩んで栄える者のゆえに、悪いはかりごとを遂げる人のゆえに、心を悩ますな。」(詩篇 37:7 口語訳)

「なるぬ堪忍するが堪忍」という言葉があります。
「これ以上、がまんできないというギリギリの限界をじっと耐えることこそが、真の堪忍というもの」、という意味だそうです。
そうなると「堪忍袋の緒が切れる」というのは、もう堪忍ではないということになります。
昨日、礼拝説教の中で私は、後ろ向きの忍耐と前向きに忍耐があるのでは投げかけました。
ただ我慢するという生き方は、いつか爆発する可能性があるので後ろ向きの忍耐と表現しました。
ですが前向きな忍耐は、忍耐を楽しむ生き方。しかしこれは生身の人間では難しい。上記の聖句には、「主の前にもだし(黙して)、耐え忍びて主を待ち望め」とある。
前向きな忍耐は、主が最善に導かれると信じ黙して待つのです。
今週も主の支えがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 210206「間違い」

みことばの花 210206「間違い」

「人々は『あなたは気が狂っている』と言ったが、彼女は自分の言うことに間違いはないと、言い張った。
そこで彼らは『それでは、ペテロの御使だろう』と言った。」(使徒12:15 口語訳)

「自分の言うことに間違いはない」と言える人は幸いです。実は今週、調べ物をしていて私の話に間違いがあったことを発見。
何かといいますと、米国大統領にルーズベルトという人が二人いたことを知ったのです。
私はルーズベルトと名の付く大統領は一人だと思い込んでいました。ところが事実は二人のルーズベルトがいました。
第25代大統領のセオドア・ルーズベルトと第32代のフランクリン・ルーズベルト。この二人は遠縁の「いとこ」でした。
セオドア・ルーズベルトは、ノーベル平和賞を授与されたルーズベルト。後者のフランクリン・ルーズベルトは、日本と戦った時の大統領でした。
それとは知らず、先週のライブ配信で「ノーベル平和賞を授与されたルーズベルトが日米間戦にもかかわった」と語ってしまいました。
時々、このような失敗をしてしまいます。この間違いは直ちに修正したいと思います。
明日のライブもどうぞ。
ハッピーサバス!

磯部豊喜
・・・・・・・
2月06日(土)ライブ配信 URL を送ります。
安息日学校 URL 2月06日(土)10:00 聖書の学び(イザヤーわが民をなぐさめよ)第6課「神を演じる」磯部豊喜
https://youtu.be/GGW0mL2oP0g
礼拝説教  URL 2月06日(土)11:00 説教題「ヨブの忍耐」磯部豊喜
https://youtu.be/VJM8A19qQBU

みことばの花 210205「柔和」

みことばの花 210205「柔和」

「柔和な人たちは、さいわいである、彼らは地を受けつぐであろう。」(マタイ 5:5 口語訳)

こういう一文があります。「山上の祝福の言葉の中には、クリスチャン経験の進歩のあとがたどられています。
キリストの必要を感じ、罪のために悲しみ、苦難の学校でキリストと共にすわった者は、天よりの教師から柔和を学ぶでしょう。」(思いわずらってはいけませんp17)
この世は罪の世ゆえ、不正な取り扱いを受けることがあります。そういうとき心は悲しくなるでしょう。あるいは、爆発したくなるかもしれません。
そういう理不尽とも思える境遇の中に置かれて、忍耐し、柔和であるということは難しい。
ですがキリストは「柔和な人たちは、さいわいである」と教えられます。イエス様は、彼の王国の主要な資格としてこの柔和を置かれます。
「彼らは地を受けつぐ」とある。どんなときにもぶれずに柔和と謙遜を身に着けることが出来たら幸いです。
今日も主の守りがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 210204「魂に休みが」

みことばの花 210204「魂に休みが」

「わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。
そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。」(マタイ 11:29 口語訳)

上記の聖句を分かりやすいリビングバイブルでは、「わたしはやさしく、謙遜だから、あなたがたにふさわしい荷物をあげよう。
それを背負って、わたしの教えを聞きなさい。そうすれば、あなたがたのたましいは安らかになります。」私どもの背に負いかかる荷物。
時には「もう負いきれない、人生を閉じたほうが楽になる」と思い詰めてしまうことがあるでしょう。
キリストは、その私の荷物が完全になくなるとは語っておられません。
ただ「あなたがたにふさわしい荷物」に調整してくださるという。換言すれば「押しつぶされる荷物からは必ず解放します」、との約束です。
祈る時心の胆力(耐える力)も強めてくださる。こうして私どもの魂に休みが得られる。
この主の御言葉を覚えたいと思います。

磯部豊喜

みことばの花 210203「重荷を負って苦労している者は」

みことばの花 210203「重荷を負って苦労している者は」

「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。」(マタイ11:28 口語訳)

人間関係という蜘蛛の巣にかかり、お辛い状態に置かれているSさん。この方に、どんな言葉を送れば良いのだろう。
上記の御言葉と次のような一文を送りました。【「辛い」という字は、十字架の上に立つと書きます。一人で重荷を背負うと人生は辛い。
ですが、Sさんの傍には、目には見えないお方がおられて、その方が一緒にその重荷を背負ってくださっておられます。
この方に、荷を背負ってもらいつつ生活すると「幸せ」になります。「幸せ」の「幸」には十字架と十字架の中に立つがあります。
つまり、一人で重荷を負う状態は「辛い」のですが、イエス・キリストと共に十字架を負うと「幸せ」になります。
「幸」の上の十字架はわたしの負う重荷、その荷を背負う私をさらに背負って立ってくださる十字架のキリストがおられます。…】
私と私の重荷を背負ってくださる主がおられることは感謝です。

磯部豊喜

みことばの花 210202「キリスト復活の目撃者」

みことばの花 210202「キリスト復活の目撃者」

「わたしが最も大事なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことであった。
すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死んだこと、」(Ⅰコリント15:3 口語訳)

昨日「パウロの中心メッセージが十字架と復活」だと書きましたが、上記聖句箇所にもそれが記されています。
「キリストの復活はパウロだけの体験ではないか」と思う人もあるかもしれません。ですがパウロは続いてこのようにも書いています。
「そして葬られたこと、聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえったこと、ケパに現れ、次に、十二人に現れたことである。
そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れた」(Ⅰコリント15:4~6 口語訳)。
キリストが復活されたことを味わった体験者がパウロ一人ではなかったことが分かります。
キリストの復活は、パウロという一人の秘密体験ではないのです。
そしてこのキリストの復活という事実は、キリスト者の死後の復活を約束します。
ここにキリスト者の究極の希望があります!
今日も主の守りがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 210201「パウロの証④―中心メッセージ」

みことばの花 210201「パウロの証④―中心メッセージ」

「すなわち、キリストが苦難を受けること、また、死人の中から最初によみがえって、この国民と異邦人とに、光を宣べ伝えるに至ることを、あかししたのです」(使徒 26:23 口語訳)

上記をリビングバイブルでは次のように訳されています。
「私が話しているのは、キリストは苦しみを受け、死人の中から最初に復活して、ユダヤ人にも外国人にも光をもたらす、ということだけなのです」(同上23節)。
回心後のパウロの中心メッセージがここに述べられています。それはキリストの苦難と死、そして死からの復活です。
彼はよみがえったキリストを目撃しました。そのことによって人生の意味と目的が分かった。
「生きることはキリストであり、死ぬことは益である」(ピリピ1:21)のだと。
キリストと結ばれる人にとって死は「一巻の終わり」ではなく、死は「第二巻の始まり」の序章に過ぎません。
パウロの中心メッセージである「死と復活」には大いなる希望があります。
今日も主の恵みがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 210131「パウロの証③―任命」

みことばの花 210131「パウロの証③―任命」

「さあ、起きあがって、自分の足で立ちなさい。わたしがあなたに現れたのは、あなたがわたしに会った事と、
あなたに現れて示そうとしている事とをあかしし、これを伝える務に、あなたを任じるためである。」(使徒 26:16 口語訳)

これはパウロに語られて復活の主の言葉です。上記の続きをさらに紹介しましょう。
「心配はいらない。あなたを、ユダヤ人からも外国人からも守ろう。あなたは外国人のところに派遣するのですから。
人々の目を開き、自分の本当の姿に気づかせ、罪を悔い改め、悪魔の暗やみから出て、神様の光の中に生きるようにするために。
わたしを信じる信仰によって、彼らは罪の赦しを受け、きよくされたすべての人たちと共に、神様の相続財産を受けるようになるのだ。」(リビングバイブル・使徒26:17、18)
キリストはパウロを任命するにあたり、彼がその役割を果たすまで、彼を守ることを約束されるのです。

磯部豊喜

みことばの花 210130「パウロの証②―キリストとの出会い」

みことばの花 210130「パウロの証②―キリストとの出会い」

「それから、いたるところの会堂で、しばしば彼らを罰して、無理やりに神をけがす言葉を言わせようとし、彼らに対してひどく荒れ狂い、ついに外国の町々にまで、迫害の手をのばすに至りました。」(使徒 26:11 口語訳)

上記はパウロの弁明の続きです。かつての迫害者がいかにして賛同者になったのか。上記の続きはこうです。
「ところが、何もかも祭司長たちから任され、そのつもりでダマスコに向かう途中、あれは、ちょうど正午のころでしたが、
太陽よりもまばゆい光が、天から私と連れの者たちを照らしたのです。私たちはみな、その場に倒れました。
その時です。私は、ヘブル語でこう語りかける声を聞いたのです。
『パウロ、パウロ(※原語はサウロ)。なぜわたしを迫害するのか。そんなことをしたら、自分が傷つくばかりだよ。』
『あなた様は、いったいどなたです?』と私は尋ねました。
すると主は言われたのです。『わたしかね、わたしは、あなたが迫害しているイエスだ。』」(リビングバイブル・使徒26:12~15)。
復活のキリストは迫害者パウロをこうして選び、味方へと導かれたのです。かつてキリスト教信仰を否定していた、私も同様です。
ハッピーサバス!

磯部豊喜
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1月30日(土)ライブ配信 URL を送ります。
安息日学校 URL 1月30日(土)10:00 聖書の学び 2021年第1期(イザヤ―わが民を慰めよ)第5課「いと高き平和の君」磯部豊喜
https://youtu.be/W0DzMTmRKKA
礼拝説教  URL 1月30日(土)11:00 説教題「永遠に続くもの」磯部豊喜
https://youtu.be/xldVM1YIMk4

みことばの花 210129「パウロの証①・・・弁明」 

みことばの花 210129「パウロの証①・・・弁明」 

「アグリッパはパウロに、『おまえ自身のことを話してもよい』と言った。そこでパウロは、手をさし伸べて、弁明をし始めた。」(使徒 26:1口語訳)

迫害者サウロは伝道者パウロに変えられました。パウロ自身の弁明の言葉をリビングバイブルより紹介します。
「私はタルソで生まれ、エルサレムで、ユダヤ教徒として徹底した訓練を受け、それにふさわしく生きてまいりました。
また、ユダヤのおきてと習慣を守ることでは、最も厳格なパリサイ派の一人でした。。」(4、5節)「死人の復活を信じることが犯罪でしょうか。
神様が人間を復活させることは、そんなに信じがたいことでしょうか。かつて私は、ナザレのイエスの弟子は撲滅すべきだと堅く信じていました。
ですから、祭司長たちの手先になり、エルサレムでクリスチャンを片っぱしから投獄し、裁判の時には、死刑に賛成の票を投じました。
また、クリスチャンに、キリストを冒涜することばを吐かせるためには手段を選ばず、拷問を加えることもしばしばでした」(8~11節)。
この続きは明日に致します。
今日も主の恵みがありますように。

磯部豊喜