みことばの花 200703「神の武具③」

みことばの花 200703「神の武具③」

「その上に、信仰のたてを手に取りなさい。それをもって、悪しき者の放つ火の矢を消すことができるであろう。」(エペソ 6:16 口語訳)

矛盾という言葉は、ご承知のようにある武器商人の故事からきています。
商人は矛(ほこ)を見せてこういう。「これはどんな盾(たて)でも突き通せる代物(しろもの)だ」と。
次に盾を見せて「これはどんな矛も突き通せない盾だ」と。
これは一致しないので「矛盾」となった。
さて、上記は「盾」。この盾は悪しき者の放つ火の矢を消すことが出来るもので「信仰の盾」と呼ぶ。
私が無信心の頃は「信仰は弱い者が持つ者」と言い切っていました。
ですが聖書を知り、数多くの信仰者の生き方を知ったとき、「信仰のある人」は強い、と察しました。
信仰は神への信頼、神に信頼しているので決して揺るがない。これこそ矛盾なき盾。
主に信頼し、たとえ病になっても、死を目前に控えても「私は幸せです」と言える人になりたいと思う。
人生の不幸に見舞われても、「主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな」(ヨブ1:21 口語訳)
と語ったあのヨブのような信仰を持ちたいものです。
主の恵みが今日もありますように。

磯部豊喜

みことばの花 200702「神の武具②」

みことばの花 200702「神の武具②」

「平和の福音の備えを足にはき、」(エペソ 6:15 口語訳)

今日も「神の武具」について考えます。
ここに「真理の帯」「正義の胸当」に続き「平和の福音の備え」というのが登場しています。
「平和」は誰しもが望むことだと思います。「争う」より「平和」でありたい。
ですが「平和社会の実現のために」と掲げて戦争をする。実に矛盾する話です。
その背後にあるのが、自分ファーストの平和を描くからでしょう。君も僕もOKというスタイルが本当の平和の基本だと思います。
キリストの福音は、君も僕も主にあってOKという。
主は「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」(ヨハネ15:12 口語訳)と言われました。
自分ファーストでなく共にファーストの道を探したいのです。

磯部豊喜

みことばの花 200701「神の武具①」

みことばの花 200701「神の武具①」

「すなわち、立って真理の帯を腰にしめ、正義の胸当を胸につけ、」(エペソ 6:14 口語訳)

心を襲い苦しめる細菌への抵抗力を高める「神の武具」のことがエペソ6:14~17節に書かれています。
絵に描くとそれは鎧(よろい)姿を想像させます。その武具の第一は「真理の帯」。
「真理」で思い出すのは「わたしは道であり、真理であり、命である」(ヨハネ14:6 口語訳)です。
また「正義」については「その日ユダは救を得、…その名は『主はわれわれの正義』ととなえられる」(エレミヤ23:6 口語訳)を思います。
これらの聖句によれば、「真理」も「正義」も神の御子イエス・キリストを指しています。
真理も正義もキリストだとすると、「すなわち、立ってキリストという真理の帯を腰にしめ、キリストという正義の胸当てを胸につける」となる。
キリストを仰いで心を襲うウィルスに抵抗できるという。
「わたしを仰ぎ望め、そうすれば救われる」(イザヤ45:22 口語訳)。
今日、自分の思いではなく、主イエスというお方を見上げて歩むことが出来ますように。

磯部豊喜