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みことばの花 210205「柔和」
みことばの花 210205「柔和」
「柔和な人たちは、さいわいである、彼らは地を受けつぐであろう。」(マタイ 5:5 口語訳)
こういう一文があります。「山上の祝福の言葉の中には、クリスチャン経験の進歩のあとがたどられています。
キリストの必要を感じ、罪のために悲しみ、苦難の学校でキリストと共にすわった者は、天よりの教師から柔和を学ぶでしょう。」(思いわずらってはいけませんp17)
この世は罪の世ゆえ、不正な取り扱いを受けることがあります。そういうとき心は悲しくなるでしょう。あるいは、爆発したくなるかもしれません。
そういう理不尽とも思える境遇の中に置かれて、忍耐し、柔和であるということは難しい。
ですがキリストは「柔和な人たちは、さいわいである」と教えられます。イエス様は、彼の王国の主要な資格としてこの柔和を置かれます。
「彼らは地を受けつぐ」とある。どんなときにもぶれずに柔和と謙遜を身に着けることが出来たら幸いです。
今日も主の守りがありますように。
磯部豊喜
みことばの花 210204「魂に休みが」
みことばの花 210204「魂に休みが」
「わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。
そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。」(マタイ 11:29 口語訳)
上記の聖句を分かりやすいリビングバイブルでは、「わたしはやさしく、謙遜だから、あなたがたにふさわしい荷物をあげよう。
それを背負って、わたしの教えを聞きなさい。そうすれば、あなたがたのたましいは安らかになります。」私どもの背に負いかかる荷物。
時には「もう負いきれない、人生を閉じたほうが楽になる」と思い詰めてしまうことがあるでしょう。
キリストは、その私の荷物が完全になくなるとは語っておられません。
ただ「あなたがたにふさわしい荷物」に調整してくださるという。換言すれば「押しつぶされる荷物からは必ず解放します」、との約束です。
祈る時心の胆力(耐える力)も強めてくださる。こうして私どもの魂に休みが得られる。
この主の御言葉を覚えたいと思います。
磯部豊喜
みことばの花 210203「重荷を負って苦労している者は」
みことばの花 210203「重荷を負って苦労している者は」
「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。」(マタイ11:28 口語訳)
人間関係という蜘蛛の巣にかかり、お辛い状態に置かれているSさん。この方に、どんな言葉を送れば良いのだろう。
上記の御言葉と次のような一文を送りました。【「辛い」という字は、十字架の上に立つと書きます。一人で重荷を背負うと人生は辛い。
ですが、Sさんの傍には、目には見えないお方がおられて、その方が一緒にその重荷を背負ってくださっておられます。
この方に、荷を背負ってもらいつつ生活すると「幸せ」になります。「幸せ」の「幸」には十字架と十字架の中に立つがあります。
つまり、一人で重荷を負う状態は「辛い」のですが、イエス・キリストと共に十字架を負うと「幸せ」になります。
「幸」の上の十字架はわたしの負う重荷、その荷を背負う私をさらに背負って立ってくださる十字架のキリストがおられます。…】
私と私の重荷を背負ってくださる主がおられることは感謝です。
磯部豊喜
みことばの花 210202「キリスト復活の目撃者」
みことばの花 210202「キリスト復活の目撃者」
「わたしが最も大事なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことであった。
すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死んだこと、」(Ⅰコリント15:3 口語訳)
昨日「パウロの中心メッセージが十字架と復活」だと書きましたが、上記聖句箇所にもそれが記されています。
「キリストの復活はパウロだけの体験ではないか」と思う人もあるかもしれません。ですがパウロは続いてこのようにも書いています。
「そして葬られたこと、聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえったこと、ケパに現れ、次に、十二人に現れたことである。
そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れた」(Ⅰコリント15:4~6 口語訳)。
キリストが復活されたことを味わった体験者がパウロ一人ではなかったことが分かります。
キリストの復活は、パウロという一人の秘密体験ではないのです。
そしてこのキリストの復活という事実は、キリスト者の死後の復活を約束します。
ここにキリスト者の究極の希望があります!
今日も主の守りがありますように。
磯部豊喜
みことばの花 210201「パウロの証④―中心メッセージ」
みことばの花 210201「パウロの証④―中心メッセージ」
「すなわち、キリストが苦難を受けること、また、死人の中から最初によみがえって、この国民と異邦人とに、光を宣べ伝えるに至ることを、あかししたのです」(使徒 26:23 口語訳)
上記をリビングバイブルでは次のように訳されています。
「私が話しているのは、キリストは苦しみを受け、死人の中から最初に復活して、ユダヤ人にも外国人にも光をもたらす、ということだけなのです」(同上23節)。
回心後のパウロの中心メッセージがここに述べられています。それはキリストの苦難と死、そして死からの復活です。
彼はよみがえったキリストを目撃しました。そのことによって人生の意味と目的が分かった。
「生きることはキリストであり、死ぬことは益である」(ピリピ1:21)のだと。
キリストと結ばれる人にとって死は「一巻の終わり」ではなく、死は「第二巻の始まり」の序章に過ぎません。
パウロの中心メッセージである「死と復活」には大いなる希望があります。
今日も主の恵みがありますように。
磯部豊喜