みことばの花 201022「怒りの子」
「また、わたしたちもみな、かつては彼らの中にいて、肉の欲に従って日を過ごし、肉とその思いとの欲するままを行い、ほかの人々と同じく、生れながらの怒りの子であった。」(エペソ 2:3 口語訳)
「生まれながらの怒りの子であった」。ここに書かれているように現在形でなく過去形で記されることは素晴らしいことだと思います。
今、教会で祈祷週という共に祈る会を毎日持っています。
祈祷週読み物というのがあって、それを読むたびに、自分のキリスト者生活の至らなさを心に実感し、それを互いに見つめあっています。
「怒りの子」とは無縁とも思えるような人であっても、「まだ自分の心にはそのようなものが残っている」と告白したりもします。
「怒りの心」が頭にもたげるとき、どうすればようのでしょう。
「怒りがこみ上げて、抑えられなくなったとき」、十数えるという方法もありますが、一番良いのは「祈る」ことだと思います。
「神様、穏やかな心にしてください」と。この祈りは聞かれます。
今日も穏やかな一日でありますように。
磯部豊喜