みことばの花 200202「しばらく休む」

みことばの花 200202「しばらく休む」

「するとイエスは彼らに言われた、『さあ、あなたがたは、人を避けて寂しい所へ行って、しばらく休むがよい』。
それは、出入りする人が多くて、食事をする暇もなかったからである。」(マルコ 6:31 口語訳)

「人間関係で行き詰ったときは心を騒がせず休ませます。煮物と一緒。時間を置くとじんわりします」と言われた方がいます。
4年前に94歳で亡くなられた青森県弘前市の佐藤初女(さとうはつめ)さんです。
この方は、山小屋やを建ててどんな人であれ訪問者を受け入れて話を聞いてこられた人とのこと。
時として時間の流れに身を任せる生き方もいいなと思います。
この一見無駄に思える生き方が、ガサガサした時間の流れの中で過ごす方よりも、
実は生産的な時間を過ごすこともあるような気がします。
上記の御言葉もそのようなススメのようです。

磯部豊喜

聖句カード (「静まって、わたしこそ神であることを知れ。わたしはもろもろの国民のうちにあがめられ、全地にあがめられる」。詩篇46編10節 口語訳)

聖句カード (「静まって、わたしこそ神であることを知れ。わたしはもろもろの
        国民のうちにあがめられ、全地にあがめられる」。詩篇46編10節 口語訳)

みことばの花 200201「食事を共に」

みことばの花 200201「食事を共に」  *聖句内の「わたし」は「キリスト」のこと。

「見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、
わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう。」(黙示録 3:20 口語訳)

「家族ってなんだろう」と考える時がります。
どこで聞いたのか記憶がありませんが、こんな言葉の記憶があります。
「家族とは同じ釜の飯を食べる人々」。同じ食卓を囲み、仲良く談話しながらその交わりを楽しむことこそ家族だと。
そういえば私どもの教会では、毎週土曜日の昼食時に、そのような光景をみます。
「これがキリストに結ばれる家族なのか」と私の心はうれしくなります。
このような家族のスタイルは、イエス・キリストの御言葉にも記されています。
「食を共にする」こういう交わりは素敵ですね。
もちろん「楽しく」がその頭につかなくてはなりませんが。
「楽しく食事を共にする」。
今日はその第七日安息日、教会でちょっぴり大きな家族の輪を楽しみたいと思います。

磯部豊喜

みことばの花 200131「つながる」

みことばの花 200131「つながる」

「わたしにつながっていなさい。そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう。
枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことができないように、
あなたがたもわたしにつながっていなければ実を結ぶことができない。」(ヨハネ 15:4 口語訳)

今回東京の自宅で数日間を過ごしました。
ところが電気使用容量がオーバーしたのでしょう。ブレーカーが落ちてしまい一時停電をしました。
その時の影響を受けたのか、持参したPCがネットもメールもストップしてしまいました。
いろいろな試みをしましたが、どうしても回復しないのです。このとき「つながる」ことの必要を実感しました。
千葉へ戻り、別のPCを使用して今はこの「みことばの花」も配信することができました。
この体験を通して、「つながる」ことの大切さを身に沁みました。
そしてPC以上に大切なつながりがある。
それは上記の「わたし(イエス・キリスト)」につながること。
キリストにつながって愛の電気を送ってもらわなくてはと思ったのです。
人生の豊かな実を結ぶために。

磯部豊喜