みことばの花 180604「許すことの難しさ」

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みことばの花180604「許すことの難しさ」

「イエスを招いたパリサイ人がそれを見て、心の中で言った、『もしこの人が預言者であるなら、自分にさわっている女がだれだか、どんな女かわかるはずだ。それは罪の女なのだから』」(ルカ 7:39)

「わかっちゃいるけど…出来ない」ということの一つは「許す」ことではないか…と思います。人の罪を許すこと。特に被害者が自分の場合に、加害者を許すことはとても困難です。アメフトの日本大学選手の悪質タックルを受けて、被害者となった関西学院大学の学生の言葉は、とても素敵な言葉でした。学生は「彼(加害者)がアメフトをやる資格など自分にはないというのではなく、再び、決められたルールのもとで対戦したい」という真実を込めて許しの宣言をしました。彼の父親も「彼(加害者)は、すでに社会的な制裁を受けているから、その罪を出来る限り軽減させたい。そのためならば何でもする」と言っておられました。これも罪を許していなければ言えない言葉です。相手が罪を認めて謝罪の意を表明するとき、それが真実ならば許すという心はキリストの心そのものです。上記の聖句は、罪の病と言われた重い病気をキリストにいやして頂いたにもかかわらず、他人の罪を心の中でとがめてしまった人の言葉です。この後に、キリストが語られた御言葉は注目に値します。明日紹介しましょう。

磯部豊喜

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