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みことばの花 210131「パウロの証③―任命」

みことばの花 210131「パウロの証③―任命」

「さあ、起きあがって、自分の足で立ちなさい。わたしがあなたに現れたのは、あなたがわたしに会った事と、
あなたに現れて示そうとしている事とをあかしし、これを伝える務に、あなたを任じるためである。」(使徒 26:16 口語訳)

これはパウロに語られて復活の主の言葉です。上記の続きをさらに紹介しましょう。
「心配はいらない。あなたを、ユダヤ人からも外国人からも守ろう。あなたは外国人のところに派遣するのですから。
人々の目を開き、自分の本当の姿に気づかせ、罪を悔い改め、悪魔の暗やみから出て、神様の光の中に生きるようにするために。
わたしを信じる信仰によって、彼らは罪の赦しを受け、きよくされたすべての人たちと共に、神様の相続財産を受けるようになるのだ。」(リビングバイブル・使徒26:17、18)
キリストはパウロを任命するにあたり、彼がその役割を果たすまで、彼を守ることを約束されるのです。

磯部豊喜

みことばの花 210130「パウロの証②―キリストとの出会い」

みことばの花 210130「パウロの証②―キリストとの出会い」

「それから、いたるところの会堂で、しばしば彼らを罰して、無理やりに神をけがす言葉を言わせようとし、彼らに対してひどく荒れ狂い、ついに外国の町々にまで、迫害の手をのばすに至りました。」(使徒 26:11 口語訳)

上記はパウロの弁明の続きです。かつての迫害者がいかにして賛同者になったのか。上記の続きはこうです。
「ところが、何もかも祭司長たちから任され、そのつもりでダマスコに向かう途中、あれは、ちょうど正午のころでしたが、
太陽よりもまばゆい光が、天から私と連れの者たちを照らしたのです。私たちはみな、その場に倒れました。
その時です。私は、ヘブル語でこう語りかける声を聞いたのです。
『パウロ、パウロ(※原語はサウロ)。なぜわたしを迫害するのか。そんなことをしたら、自分が傷つくばかりだよ。』
『あなた様は、いったいどなたです?』と私は尋ねました。
すると主は言われたのです。『わたしかね、わたしは、あなたが迫害しているイエスだ。』」(リビングバイブル・使徒26:12~15)。
復活のキリストは迫害者パウロをこうして選び、味方へと導かれたのです。かつてキリスト教信仰を否定していた、私も同様です。
ハッピーサバス!

磯部豊喜
・・・・・・・
1月30日(土)ライブ配信 URL を送ります。
安息日学校 URL 1月30日(土)10:00 聖書の学び 2021年第1期(イザヤ―わが民を慰めよ)第5課「いと高き平和の君」磯部豊喜
https://youtu.be/W0DzMTmRKKA
礼拝説教  URL 1月30日(土)11:00 説教題「永遠に続くもの」磯部豊喜
https://youtu.be/xldVM1YIMk4

みことばの花 210129「パウロの証①・・・弁明」 

みことばの花 210129「パウロの証①・・・弁明」 

「アグリッパはパウロに、『おまえ自身のことを話してもよい』と言った。そこでパウロは、手をさし伸べて、弁明をし始めた。」(使徒 26:1口語訳)

迫害者サウロは伝道者パウロに変えられました。パウロ自身の弁明の言葉をリビングバイブルより紹介します。
「私はタルソで生まれ、エルサレムで、ユダヤ教徒として徹底した訓練を受け、それにふさわしく生きてまいりました。
また、ユダヤのおきてと習慣を守ることでは、最も厳格なパリサイ派の一人でした。。」(4、5節)「死人の復活を信じることが犯罪でしょうか。
神様が人間を復活させることは、そんなに信じがたいことでしょうか。かつて私は、ナザレのイエスの弟子は撲滅すべきだと堅く信じていました。
ですから、祭司長たちの手先になり、エルサレムでクリスチャンを片っぱしから投獄し、裁判の時には、死刑に賛成の票を投じました。
また、クリスチャンに、キリストを冒涜することばを吐かせるためには手段を選ばず、拷問を加えることもしばしばでした」(8~11節)。
この続きは明日に致します。
今日も主の恵みがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 210128「入れ替わる人生」

みことばの花 210128「入れ替わる人生」

「相当の日数がたったころ、ユダヤ人たちはサウロを殺す相談をした。」(使徒 9:23 口語訳)
 
「昨日の味方が、今日は敵」という出来事が、サウロ(パウロ)の生涯について記されています。
彼が復活されたイエス・キリストに出会うまでは、彼がかつて所属していたグループに今度は彼自身が追われ、命を狙われる立場になってしまったのです。
殺害する側が殺害される側に入れ替わる。それでも回心後のサウロは、イエス・キリストを伝えることをやめません。
本当のことを知ると、命の危険にさらされてもそれは隠すことはできないのです。
当時、キリスト者になるということは、それは命がけのことです。私は若い頃、キリスト信仰者ではありませんでしたが、
キリストを信じる者が、ローマの円形劇場などでライオンの餌食になったことなどを知り、どうしてそのようなことが出来るのか一つの疑問でした。
命を超えた真の命に触れる、愛を超えた大きな愛を知る。これが人を変えるのだと後に分かりました。

磯部豊喜

みことばの花 210127「イエスこそ神の子」

みことばの花 210127「イエスこそ神の子」

「サウロは、ダマスコにいる弟子たちと共に数日間を過ごしてから、ただちに諸会堂でイエスのことを宣べ伝え、このイエスこそ神の子であると説きはじめた。」(使徒 9:19,20 口語訳)

サウロ(パウロ)の宗旨転向は、実に素早いものでした。
本当のことが分かったら、これまでの考え(キリスト教を撲滅する)を捨てて、今度は「ただちに諸会堂でイエスのことを宣べ伝え、
このイエスこそ神の子であると説き始めた」という。主義のために人を殺(あや)めることをやめて、人に救いの道を説く人に変わった。
サウロという人は実に心の熱い人。この姿を見る時、人には変えられるものと変えずに済むものがあるような気がします。
彼の情熱とか生きる姿勢はそのままです。ですが思想や価値観が変わった。
「悪に強きは、善にも強い」という。こういう人が、何か大きなことをする人なのかなと思います。
今日も主の愛に触れたいものです。

磯部豊喜