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みことばの花 181015「待たれる喜び」

みことばの花181015「待たれる喜び」

「だれも彼を軽んじてはいけない。そして、わたしの所に来るように、どうか彼を安らかに送り出してほしい。わたしは彼が兄弟たちと一緒に来るのを待っている。」(一コリント 16:11)

昨日、讃美歌の歌詞を書きました。これは日本基督教団出版讃美歌(旧)の517番です。この517番の最後の3番の歌詞はこうです。「3.まよう子らのかえるを 主はいま待ちたもう、つみもとがもあるまま、きたりひれふせ、『かえれやわが家に 帰れやと主は今呼びたもう』」。私どもには帰る家があるので、人生にまよえる者よ、帰ってきなさいと訴えられています。しかもその家には、私を待っていてくださる方があるという。私は人生に迷える一人でしょうか。もしそうならば絶対に私は待たれています。上記の聖句は愛する人を待つ著者の心が描かれていますが、実は私どもを天の国よりずっとずっと待っていてくださるお方がおられます。私どもを永遠の住まいに導くために、この世界に来られ、私の罪の身代わりとなって自ら十字架を背負い、命を投げ捨ててくださった神の子イエス・キリストと天の神様です。この神様に「わたしは待たれている」。であるならば、「わたしは待たれている!」と喜びをもって今日、唱えてみてはいかがでしょう。

磯部豊喜

 

みことばの花 181014「帰る家」

みことばの花181014「帰る家」

「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。」(マタイ 11:28)

昨日より仙台教会へ講演会に行ってきました。私にとってインターン時代に遣われた懐かしい教会です。あのインターン時代から数えると約35年もの歳月が経ちました。新幹線が走っているとはいえ、千葉教会~仙台教会へは3時間以上かかります。この帰路において思いました。「帰る家があるっていいなあ~」と。ところで私たちの人生において最終的に帰る家があります。それは私の重荷を置くことの出きる家。このような讃美歌を思い出しました。「1.『われに来よ』と主は今、やさしく呼びたもう。などて愛の光を避けてさまよう、『かれや、わが家に帰れや』と主は今呼びたもう。2.つかれはてし旅人、重荷をおろして、きたりいこえ、わが主の愛のみもとに。、『かれや、わが家に帰れや』と主は今呼びたもう」。人生は決して楽な旅ではない。疲れ果てることもあります。ですが重荷を下ろす場所がある。それは主の愛のみもとだと。主の愛のみもとこそ、重荷を下ろせるところ。どうぞ主の励ましがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 181013「破れを繕う者」

みことばの花181013「破れを繕う者」

「あなたの子らは久しく荒れすたれたる所を興し、あなたは代々やぶれた基を立て、人はあなたを『破れを繕う者』と呼び、『市街を繕って住むべき所となす者』と/呼ぶようになる。」(イザヤ58:12)

糸と針、決して上手ではありませんが、私は時々これらを駆使して靴下、下着などの破れを繕うことがあります。これまでで一番多く修繕したものといえばおそらく靴下でしょう。靴下はとても破れやすく、すぐに親指が頭を出します。ところで上記のみ言葉には「破れを繕う者」というのが出てきます。こればいったい何か?聖書は続いてこう書いています。「『もし安息日にあなたの足をとどめ、わが聖日にあなたの楽しみをなさず、安息日を喜びの日と呼び、主の聖日を尊ぶべき日ととなえ、これを尊んで、おのが道を行わず、おのが楽しみを求めず、むなしい言葉を語らないならば、その時あなたは主によって喜びを得、わたしは、あなたに地の高い所を乗り通らせ、あなたの先祖ヤコブの嗣業をもって、あなたを養う』。これは主の口から語られたものである」(イザヤ58:13,14)。安息日が、人々の心から消えてしまっているのでこれを繕えと語っているようです。今日は第七日安息日、私が神を求めて教会へ行くことは、「破れを繕う者」になるのかも知れません。

磯部豊喜

みことばの花 181012「こわれる」

みことばの花181012「こわれる」

「わたしたちの住んでいる地上の幕屋がこわれると、神からいただく建物、すなわち天にある、人の手によらない永遠の家が備えてあることを、わたしたちは知っている。」(Ⅱコリント 5:1)

一昨日のことです。わたしのスマホが壊れてしまいました。ここのところスマホに変な宣伝が多く入ってきていたので初期化したいと願っていたところでした。そのような中で、車の中にある小物置場に水がこぼれていたことを知らずにそこにスマホを置いてしまった。スマホを少し水没させてしまったようです。それで壊れてしまいました。どこにも連絡が出来なくなり、不便を感じました。どなたの電話番号も分からない。連絡先はスマホ以外にもメモをしておけば良かった…と思っても後のまつり。さて、保険に入っていたので同機種ですが交換をしてもらいました。スマホはまったく同じもの。ただし中身に関してはすべてが残ったのではありません。2016年までに登録している電話番号の方は外部スマートメディアにメモリーをしてあったので復帰しました。これを見て、私という「地上の幕屋」もこわれる時が来る。しかしキリスト者の身体は私のスマホのようにリニューアルされるという。ただし問題は中身。しっかりと大切なものはメモリーして置くことが大切だと学びました。

磯部豊喜