みことばの花 210212「わが幸福のため」

みことばの花 210212「わが幸福のため」

「見よ、わたしが大いなる苦しみにあったのは、わが幸福のためであった。あなたはわが命を引きとめて、滅びの穴をまぬかれさせられた。これは、あなたがわが罪をことごとく、あなたの後に捨てられたからである。」(イザヤ 38:17 口語訳)

上記は旧約聖書イザヤ書に登場する、南王国ユダの王であったヒゼキヤの言葉の一節です。ヒゼキヤ王は、重い病に侵されていました。
ところが涙と共に神に祈りをささげたとき、特別にその願いが受け入れられて15年ほど人生を続けることが出来ました。
彼は今でいう「皮膚がん」だったのかも知れませんが、死にかけていたのです。
彼の国は強力な軍隊を持つ敵に攻められていましたし、自身の体調もすぐれなかったのです。苦しみの渦中に置かれた。
でも彼の祈りは、この両者に克服する道を開きました。苦しみと自分では自分が敗北します。
ですが苦しみと自分の間に神を置いた時、すべて解決しました。
「主は勝利者である」という事実は揺らぐことはありません。

磯部豊喜

みことばの花 210211「忘れてはならないこと」

みことばの花 210211「忘れてはならないこと」

「その時、あなたはみずから慎み、エジプトの地、奴隷の家から導き出された主を忘れてはならない。」(申命記 6:12 口語訳)

昨日の続きになりますが、イスラエルの人々のつぶやきの原因の一つは、感謝することを忘れてしまったことです。
自己中心的な人の最大の欠点は、他からしてもらったことをすぐに忘れることです。世には忘れてよいものと忘れてはならないものがあります。
人から受けた仕打、これは忘れたい。覚えていると恨みや憎しみが心に育つ。また自分が人にしてあげたことを心にとめないが良い。
自慢や不満の種になるからです。しかし決して忘れてはならないこと。それは感謝の心です。あの方のお陰で今こうしていられること。
感謝を忘れなければ、心は平安に満たされるに違いないでしょう。不満の種を拾い集めるよりも、感謝の種を拾い集めるのです。
特に、今日も新鮮な空気を吸える。今日も心臓が動いている。今日も食物がある…。
これらは控えめな神の御業。「神様ありがとう!」と賛美して一日を始めたい。
そうすればきっといいことがあると私は信じています。

磯部豊喜

みことばの花 210211「忘れてはならないこと」

みことばの花 210211「忘れてはならないこと」

「その時、あなたはみずから慎み、エジプトの地、奴隷の家から導き出された主を忘れてはならない。」(申命記 6:12 口語訳)

昨日の続きになりますが、イスラエルの人々のつぶやきの原因の一つは、感謝することを忘れてしまったことです。
自己中心的な人の最大の欠点は、他からしてもらったことをすぐに忘れることです。
世には忘れてよいものと忘れてはならないものがあります。
人から受けた仕打、これは忘れたい。覚えていると恨みや憎しみが心に育つ。また自分が人にしてあげたことを心にとめないが良い。自慢や不満の種になるからです。
しかし決して忘れてはならないこと。それは感謝の心です。あの方のお陰で今こうしていられること。感謝を忘れなければ、心は平安に満たされるに違いないでしょう。
不満の種を拾い集めるよりも、感謝の種を拾い集めるのです。
特に、今日も新鮮な空気を吸える。今日も心臓が動いている。今日も食物がある…。これらは控えめな神の御業。
「神様ありがとう!」と賛美して一日を始めたい。
そうすればきっといいことがあると私は信じています。

磯部豊喜

みことばの花 210210「つぶやく」 

みことばの花 210210「つぶやく」 

「その荒野でイスラエルの人々の全会衆は、モーセとアロンにつぶやいた。」(出 16:2 口語訳)

出エジプト記16章は、モーセの導きによってイスラエル民族がエジプト奴隷から解放されたエジプト脱出の直後の記録です。
彼らは追ってきたエジプト軍の前におののきましたが、目前の海が開けて海の底をわたって救われました。
「そんなあり得ない」事と思われる話ですが、これは事実の物語。海の底にはエジプト軍の戦車の残骸があることを見ても明らかです。
ところで、このような奇跡を体験しても、人の心はすぐに不信仰になる。イスラエル人は、彼らの指導者モーセとアロンにつぶやいたのです。
エジプトでは奴隷ではあったが食べ物が豊富だったというのがその理由。つぶやく理由になるだろうか。
奴隷から解放されたことを感謝すればよいのに…人は目先のことでつぶやくようです。
感謝の種をもっと心に集めたいと思います。

磯部豊喜

みことばの花 210209「人をさばくな」

みことばの花 210209「人をさばくな」

「人をさばくな。そうすれば、自分もさばかれることがないであろう。また人を罪に定めるな。
そうすれば、自分も罪に定められることがないであろう。ゆるしてやれ。そうすれば、自分もゆるされるであろう。」(ルカ 6:37 口語訳)

人の心を不安定にするものの一つ。それは「さばく」ことです。さばく人の心には安定感がない。
しかし人という者は悲しいかな「人をさばきたくなる」傾向を持っていないだろうか。
「さばかれる」側も同様の「さばき」の心をもって相手にリベンジしたくなる。これが民同士とか国同士になると戦争に発展するのです。
平和な心とは、「さばく」ことをしない心。攻める矛先を人に向けるのでなく、自分の内面に向けてみる。自分も同じことをしていないかと自問するのです。
矛を自分に向ける、そうすれば自分は可愛いので、さばきの手を休めることができるかも知れません。
さて、キリストは「人をさばくな」とか「人を罪に定めるな」と教えられます。
「他人をさばく」ことは実は「自分をさばく」ことに他ならないというのです。
解決先は「ゆるす」以外にない。人をゆるすことは自分もゆるされる保証となる。
心の平安がそのご褒美。
今日、主の平安が私を包みますように。

磯部豊喜

みことばの花 210208「やさしい言葉」

みことばの花 210208「やさしい言葉」

「いつも、塩で味つけられた、やさしい言葉を使いなさい。そうすれば、ひとりびとりに対してどう答えるべきか、わかるであろう。」(コロサイ 4:6 口語訳)

一昨日の新聞にこのような内容(実名は伏せてMさんにしました)の記事が載っていました。「大阪市の中学生のMさんは、テストで書き違いをした。
『肥満』のつもりがなぜか『脂満』に。しょげて話すと、兄が『その方が正解っぽいやん!』。父は父で『おとうさんのお腹は脂に満たされているぞ』。
家族の笑いに救われた」…こういう言葉のやりとりっていいなあとこの記事を読んで思いました。
何か、温かみを感じます。言葉の奥に家族の優しさが流れています。
暗いことに出会い、へこむことの多い人生かも知れませんが、こういう言葉の掛け合いが出来たらいいですね。
上記の聖句のように「やさしい言葉」を語れたらと、私も願うのです。
主の恵みが今日もありますように。

磯部豊喜

みことばの花 210207「忍耐」

みことばの花 210207「忍耐」

「主の前にもだし、耐え忍びて主を待ち望め。おのが道を歩んで栄える者のゆえに、悪いはかりごとを遂げる人のゆえに、心を悩ますな。」(詩篇 37:7 口語訳)

「なるぬ堪忍するが堪忍」という言葉があります。
「これ以上、がまんできないというギリギリの限界をじっと耐えることこそが、真の堪忍というもの」、という意味だそうです。
そうなると「堪忍袋の緒が切れる」というのは、もう堪忍ではないということになります。
昨日、礼拝説教の中で私は、後ろ向きの忍耐と前向きに忍耐があるのでは投げかけました。
ただ我慢するという生き方は、いつか爆発する可能性があるので後ろ向きの忍耐と表現しました。
ですが前向きな忍耐は、忍耐を楽しむ生き方。しかしこれは生身の人間では難しい。上記の聖句には、「主の前にもだし(黙して)、耐え忍びて主を待ち望め」とある。
前向きな忍耐は、主が最善に導かれると信じ黙して待つのです。
今週も主の支えがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 210206「間違い」

みことばの花 210206「間違い」

「人々は『あなたは気が狂っている』と言ったが、彼女は自分の言うことに間違いはないと、言い張った。
そこで彼らは『それでは、ペテロの御使だろう』と言った。」(使徒12:15 口語訳)

「自分の言うことに間違いはない」と言える人は幸いです。実は今週、調べ物をしていて私の話に間違いがあったことを発見。
何かといいますと、米国大統領にルーズベルトという人が二人いたことを知ったのです。
私はルーズベルトと名の付く大統領は一人だと思い込んでいました。ところが事実は二人のルーズベルトがいました。
第25代大統領のセオドア・ルーズベルトと第32代のフランクリン・ルーズベルト。この二人は遠縁の「いとこ」でした。
セオドア・ルーズベルトは、ノーベル平和賞を授与されたルーズベルト。後者のフランクリン・ルーズベルトは、日本と戦った時の大統領でした。
それとは知らず、先週のライブ配信で「ノーベル平和賞を授与されたルーズベルトが日米間戦にもかかわった」と語ってしまいました。
時々、このような失敗をしてしまいます。この間違いは直ちに修正したいと思います。
明日のライブもどうぞ。
ハッピーサバス!

磯部豊喜
・・・・・・・
2月06日(土)ライブ配信 URL を送ります。
安息日学校 URL 2月06日(土)10:00 聖書の学び(イザヤーわが民をなぐさめよ)第6課「神を演じる」磯部豊喜
https://youtu.be/GGW0mL2oP0g
礼拝説教  URL 2月06日(土)11:00 説教題「ヨブの忍耐」磯部豊喜
https://youtu.be/VJM8A19qQBU

みことばの花 210205「柔和」

みことばの花 210205「柔和」

「柔和な人たちは、さいわいである、彼らは地を受けつぐであろう。」(マタイ 5:5 口語訳)

こういう一文があります。「山上の祝福の言葉の中には、クリスチャン経験の進歩のあとがたどられています。
キリストの必要を感じ、罪のために悲しみ、苦難の学校でキリストと共にすわった者は、天よりの教師から柔和を学ぶでしょう。」(思いわずらってはいけませんp17)
この世は罪の世ゆえ、不正な取り扱いを受けることがあります。そういうとき心は悲しくなるでしょう。あるいは、爆発したくなるかもしれません。
そういう理不尽とも思える境遇の中に置かれて、忍耐し、柔和であるということは難しい。
ですがキリストは「柔和な人たちは、さいわいである」と教えられます。イエス様は、彼の王国の主要な資格としてこの柔和を置かれます。
「彼らは地を受けつぐ」とある。どんなときにもぶれずに柔和と謙遜を身に着けることが出来たら幸いです。
今日も主の守りがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 210204「魂に休みが」

みことばの花 210204「魂に休みが」

「わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。
そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。」(マタイ 11:29 口語訳)

上記の聖句を分かりやすいリビングバイブルでは、「わたしはやさしく、謙遜だから、あなたがたにふさわしい荷物をあげよう。
それを背負って、わたしの教えを聞きなさい。そうすれば、あなたがたのたましいは安らかになります。」私どもの背に負いかかる荷物。
時には「もう負いきれない、人生を閉じたほうが楽になる」と思い詰めてしまうことがあるでしょう。
キリストは、その私の荷物が完全になくなるとは語っておられません。
ただ「あなたがたにふさわしい荷物」に調整してくださるという。換言すれば「押しつぶされる荷物からは必ず解放します」、との約束です。
祈る時心の胆力(耐える力)も強めてくださる。こうして私どもの魂に休みが得られる。
この主の御言葉を覚えたいと思います。

磯部豊喜