みことばの花 210309「先取信仰」

このエントリーをはてなブックマークに追加

みことばの花 210309「先取信仰」

「さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。」(ヘブル 11:1 口語訳) 

「まだ事が起きていないのに、あたかもそのようになると確信し振る舞う」ことを先取信仰(さきどりしんこう)と言います。
先取信仰は、私どもの人生を送る上で人生を明るくします。事実、本当に結果も良い。ですが、自分の人生を暗くする先取もあります。
それは「まだそうなると確定したわけではないのに、あたかもそうなるかのように悲観的想定をして振る舞う」。
こういうのは、別名、「取り越し苦労」とも呼びます。まだ悲しい出来事が起きてはいないのに、あたかもそうなるに違いないと思い込み(信じ込み)悩む。
これも信心という点では似ていますが、まったく正反対の生き方。果たして私はどちらの信心を選ぶ傾向があるでしょう。
「先取信仰」か「取り越し苦労信仰」か。私は前者を選んだ方が良いと考えています。
少なくともキリスト信仰は「先取信仰」を助けてくれます。
神の愛と最善を信じるからです。

磯部豊喜

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *