みことばの花 200103「悲しんでいる人々」
「悲しむ人々は、幸いである、/その人たちは慰められる。」(マタイ5:4/新共同訳)
昨日同様、これも逆説的な教えが伝わってきます。
「悲しむ人々」よりも、「喜こぶ人々」は幸いな気がします。
そこで「悲しむ」というのは、何を「悲しむ」のかを考察する必要がありそうです。
まずこの「悲しみ」とは、自分の罪のための真心からの悲しみを指しています。
自分の罪が、神の御子を十字架につけたと悲しむ心を持つ人は幸いな人です。
三浦綾子さんの書かれた「塩狩峠」に登場する主人公に伝道師が「君がイエス様を十字架につけたのです。
これが分からなければ君はキリストとは何の関係もない」と語る場面があります。
罪は自己中心、神の愛を受け止めない心、神の愛の律法(十戒)を無視する生き方、この自分の罪を悲しむ、敏感な人になりたいものです。
磯部豊喜