みことばの花 181201「キリスト者の自由」

みことばの花181201「キリスト者の自由」

「兄弟たちよ。あなたがたが召されたのは、実に、自由を得るためである。ただ、その自由を、肉の働く機会としないで、愛をもって互に仕えなさい。」(ガラテヤ 5:13)

真の自由とは何でしょうか。辞書には、「他からの束縛を受けず、自分の思うままにふるまること」とありますが、しっくりと来ません。「自分の思うまま」が気になります。自由主義という言葉はどうでしょう。「個人の自由意志を尊重し、自発的活動には可能な限り他からの干渉をしないという主義」とある。自由貿易はどうか。「国家が、外国貿易に何の制限も加えず、また保護・奨励もせず,商人の自由な活動に任せること」だそうです。「干渉しない」「何の制限も加えず」…これが本当の自由なのでしょうか。聖書の語る自由も、基本は同じでしょう。ですが「その自由を、肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい」と教えます。キリスト者の自由とは、愛さない自由もある中、愛をもって互いに仕えます。今日は第七日安息日、神様との交わりを積極的に選びたい。何者にも拘束されずに神を愛し、隣人を祝福するという道を貫きたい。良き事への自由選択、これぞキリスト者の自由なり!ハッピ、サバス!

磯部豊喜

みことばの花 181130「反対の一票」

みことばの花181130「反対の一票」

「あなたがたを迫害する者を祝福しなさい。祝福して、のろってはならない。」(ローマ 12:14)

最近、イエスマンを自分の傍に置くリーダーが増えているような気がします。自分の考えに右倣(なら)えのみ受け入れるのです。こういうリーダーに、私は魅力を感じません。反対者も自分の友だと思える人になれたら素晴らしい。実際は難しいことですが、たとえ友にまではなれなくても違った考えを心に留めることの出きる人になれたらと思います。昔、ある会議があって結果としては多数決の論理で提案者の意見が通ったのですが、ただ一人反対に手を挙げた人がいました。その時、私の傍にいた方が「あの反対の一票を心に留めることが大切だ」と教えてくれたことは実に印象的でした。10年前に、米国大統領選の勝利宣言でオバマ氏は、「私を支持しなかっら皆さんの票はもらえなかったが、皆さんの声に耳を傾けます。私は皆さんの大統領になるつもりです」と素敵な言葉を残しました。上記のみ言葉は、「迫害者」さえも、「祝福はしても、のろわない」と教えていますが心に留めたい一句です。

磯部豊喜

みことばの花 181129「悪くても感謝」

みことばの花181129「悪くても感謝」

「すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。」(Ⅰテサロニケ 5:18)

俳優の船越英一郎さんといえば、2時間ドラマの帝王だと呼ばれているそうです。船越さんは「俳優が僕の職業。自分とは違う人生を生きるのが僕らの仕事」だと語ります。一方ドラマではなく素の自分を出す番組では、「船越英一郎という生き様をご覧頂いている」と自然体であることを心がけているといいます。元妻との離婚において多くを語らない船越さんでしたが、「乗り越えたら必ず前の自分より強い自分がいる。強い自分を手に入れるということは、優しい自分にもなる」と素敵な言葉も添えています。その船越さんの座右の銘の一つに「悪くても感謝」があるという。これはお母様から心にすり込まれた言葉だそうですが、上記の聖句を私は思い浮かべました。「すべての事について、感謝しなさい」。人生、感謝などころか悲観的なことが多くあるかに見える。その中で感謝するって難しいことです。ですが悲観的なことにも自分を成長させてくれる何かがあるならば感謝なのかも知れません。

磯部豊喜

みことばの花 181128「神の英知」

みことばの花181128「神の英知」

「イスラエルの人々に言いなさい、『あなたがたは、すべて牛、羊、やぎの脂肪を食べてはならない。自然に死んだ獣の脂肪および裂き殺された獣の脂肪は、さまざまのことに使ってもよい。しかし、それは決して食べてはならない』。」(レビ記 7:23-24)

興味深い話を知りました。古代で医学が最も進んでいたとされる国といえばエジプト。紀元前1552年頃エジプトで書かれた医学書で有名なのは、パピルス・エーベルスです。ところがこの中身はビックリ。例えば、髪の毛が白くなるのを防ぐ方法は「黒い子牛の血を、油かガラガラ蛇の脂肪で煮て髪につける」とか、髪の毛が抜けるときには、6種類の脂肪(馬、河馬、ワニ、猫、蛇、野生のヤギ)を混ぜたものをつけるとか。薬品についても、トカゲの血、豚の歯、ふはいした肉、悪臭ある脂肪、そのほか人間、ロバ、カモシカ、犬、猫、ハエなどの排泄物がありました。モーセという人はその時代、エジプト王家で成長したヘブライ人でしたので、このエジプトの医学書を知っていたでしょう。ですが彼が聖書に書き残した健康の知恵は、まったく内容が異なります。しかもそれは現代医学でも耐え得るものです。上記はそのモーセの書いたものですが、その知識の背後に人間を創造された神様の英知をみることが出来ます。

磯部豊喜

みことばの花 181127「未来を見て歩く」

みことばの花181127「未来を見て歩く」

「イエスは彼に言われた、『起きて、あなたの床を取りあげ、そして歩きなさい』。」(ヨハネ 5:8)

今朝も歩くことにまつわる聖句です。この聖句は、38年もの間、病気に悩みずっと横になって生活していた人が、キリストのみ言葉によって歩くことへのスタートを切ったという話です。これは本当にあった奇跡の物語ですが、ここには隠された教訓もあると思います。それは人生というものは、ずっと過去の経験ににとらわれなくても良いということではないかと思います。この男は「主よ、水が動いた時に、わたしを池の中に入れてくれる人がいません。わたしがはいりかけると、ほかの人が先に降りて行くのです」と、彼は自分が病気から解放されない理由をキリストに説明します。ところがキリストは、その彼に「起きて、あなたの床を取り上げ、そして歩きなさい」と無茶なことを言われます。ですがこの言葉に従った、彼は歩けたと聖書は書いています。いやな過去と決別すると、未来が見えてくるということなのでしょうか。いえそれよりも未来に目を向ける時に、過去から決別できるということなのかも知れません。過去は変えられなくても未来は変えられる。

磯部豊喜

みことばの花 181126「愛のうちを歩く」

みことばの花181126「愛のうちを歩く」

「また愛のうちを歩きなさい。キリストもあなたがたを愛して下さって、わたしたちのために、ご自身を、神へのかんばしいかおりのささげ物、また、いけにえとしてささげられたのである。」(エペソ 5:2)

「寝たきりの老後がイヤなら毎日とにかく歩きなさい!」という本の題に目が止まりました。歩くことは「脳卒中」「認知症」「骨折」などの予防にもなると言われます。実は、わたしは千葉教会へ着任する前の教会時代には、よく歩いた時があります。最高2万以上を目指して歩いた日もありました。目的地に行くまでわざとクチャクニャとジグザグコースを作って進むのです。2万歩となると早歩きであっても2時間以上はかかります。しかし頑張りすぎたのか、足を痛めてしまいました。千葉へ来てからは、目的地が遠いところばかりなので、車ばかり運転をして歩くことが少なくなってしまいました。そうしましたらこれも足のためには良くない。やはり一日7千歩前後は歩くほうが調子が良いようです。さて上記のみ言葉には、「愛のうちを歩きなさい」とのお勧めがあります。今日もキリストの愛を見つめて、歩きたい。この歩き方には決して足の故障とはないでしょう。今日も上を見上げて一歩一歩進みたいと思います。

磯部豊喜