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みことばの花 210210「つぶやく」 

みことばの花 210210「つぶやく」 

「その荒野でイスラエルの人々の全会衆は、モーセとアロンにつぶやいた。」(出 16:2 口語訳)

出エジプト記16章は、モーセの導きによってイスラエル民族がエジプト奴隷から解放されたエジプト脱出の直後の記録です。
彼らは追ってきたエジプト軍の前におののきましたが、目前の海が開けて海の底をわたって救われました。
「そんなあり得ない」事と思われる話ですが、これは事実の物語。海の底にはエジプト軍の戦車の残骸があることを見ても明らかです。
ところで、このような奇跡を体験しても、人の心はすぐに不信仰になる。イスラエル人は、彼らの指導者モーセとアロンにつぶやいたのです。
エジプトでは奴隷ではあったが食べ物が豊富だったというのがその理由。つぶやく理由になるだろうか。
奴隷から解放されたことを感謝すればよいのに…人は目先のことでつぶやくようです。
感謝の種をもっと心に集めたいと思います。

磯部豊喜

みことばの花 210209「人をさばくな」

みことばの花 210209「人をさばくな」

「人をさばくな。そうすれば、自分もさばかれることがないであろう。また人を罪に定めるな。
そうすれば、自分も罪に定められることがないであろう。ゆるしてやれ。そうすれば、自分もゆるされるであろう。」(ルカ 6:37 口語訳)

人の心を不安定にするものの一つ。それは「さばく」ことです。さばく人の心には安定感がない。
しかし人という者は悲しいかな「人をさばきたくなる」傾向を持っていないだろうか。
「さばかれる」側も同様の「さばき」の心をもって相手にリベンジしたくなる。これが民同士とか国同士になると戦争に発展するのです。
平和な心とは、「さばく」ことをしない心。攻める矛先を人に向けるのでなく、自分の内面に向けてみる。自分も同じことをしていないかと自問するのです。
矛を自分に向ける、そうすれば自分は可愛いので、さばきの手を休めることができるかも知れません。
さて、キリストは「人をさばくな」とか「人を罪に定めるな」と教えられます。
「他人をさばく」ことは実は「自分をさばく」ことに他ならないというのです。
解決先は「ゆるす」以外にない。人をゆるすことは自分もゆるされる保証となる。
心の平安がそのご褒美。
今日、主の平安が私を包みますように。

磯部豊喜

みことばの花 210208「やさしい言葉」

みことばの花 210208「やさしい言葉」

「いつも、塩で味つけられた、やさしい言葉を使いなさい。そうすれば、ひとりびとりに対してどう答えるべきか、わかるであろう。」(コロサイ 4:6 口語訳)

一昨日の新聞にこのような内容(実名は伏せてMさんにしました)の記事が載っていました。「大阪市の中学生のMさんは、テストで書き違いをした。
『肥満』のつもりがなぜか『脂満』に。しょげて話すと、兄が『その方が正解っぽいやん!』。父は父で『おとうさんのお腹は脂に満たされているぞ』。
家族の笑いに救われた」…こういう言葉のやりとりっていいなあとこの記事を読んで思いました。
何か、温かみを感じます。言葉の奥に家族の優しさが流れています。
暗いことに出会い、へこむことの多い人生かも知れませんが、こういう言葉の掛け合いが出来たらいいですね。
上記の聖句のように「やさしい言葉」を語れたらと、私も願うのです。
主の恵みが今日もありますように。

磯部豊喜

みことばの花 210207「忍耐」

みことばの花 210207「忍耐」

「主の前にもだし、耐え忍びて主を待ち望め。おのが道を歩んで栄える者のゆえに、悪いはかりごとを遂げる人のゆえに、心を悩ますな。」(詩篇 37:7 口語訳)

「なるぬ堪忍するが堪忍」という言葉があります。
「これ以上、がまんできないというギリギリの限界をじっと耐えることこそが、真の堪忍というもの」、という意味だそうです。
そうなると「堪忍袋の緒が切れる」というのは、もう堪忍ではないということになります。
昨日、礼拝説教の中で私は、後ろ向きの忍耐と前向きに忍耐があるのでは投げかけました。
ただ我慢するという生き方は、いつか爆発する可能性があるので後ろ向きの忍耐と表現しました。
ですが前向きな忍耐は、忍耐を楽しむ生き方。しかしこれは生身の人間では難しい。上記の聖句には、「主の前にもだし(黙して)、耐え忍びて主を待ち望め」とある。
前向きな忍耐は、主が最善に導かれると信じ黙して待つのです。
今週も主の支えがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 210206「間違い」

みことばの花 210206「間違い」

「人々は『あなたは気が狂っている』と言ったが、彼女は自分の言うことに間違いはないと、言い張った。
そこで彼らは『それでは、ペテロの御使だろう』と言った。」(使徒12:15 口語訳)

「自分の言うことに間違いはない」と言える人は幸いです。実は今週、調べ物をしていて私の話に間違いがあったことを発見。
何かといいますと、米国大統領にルーズベルトという人が二人いたことを知ったのです。
私はルーズベルトと名の付く大統領は一人だと思い込んでいました。ところが事実は二人のルーズベルトがいました。
第25代大統領のセオドア・ルーズベルトと第32代のフランクリン・ルーズベルト。この二人は遠縁の「いとこ」でした。
セオドア・ルーズベルトは、ノーベル平和賞を授与されたルーズベルト。後者のフランクリン・ルーズベルトは、日本と戦った時の大統領でした。
それとは知らず、先週のライブ配信で「ノーベル平和賞を授与されたルーズベルトが日米間戦にもかかわった」と語ってしまいました。
時々、このような失敗をしてしまいます。この間違いは直ちに修正したいと思います。
明日のライブもどうぞ。
ハッピーサバス!

磯部豊喜
・・・・・・・
2月06日(土)ライブ配信 URL を送ります。
安息日学校 URL 2月06日(土)10:00 聖書の学び(イザヤーわが民をなぐさめよ)第6課「神を演じる」磯部豊喜
https://youtu.be/GGW0mL2oP0g
礼拝説教  URL 2月06日(土)11:00 説教題「ヨブの忍耐」磯部豊喜
https://youtu.be/VJM8A19qQBU