みことばの花 201106「ニーバーの祈り②」
「いつも喜んでいなさい。」(Ⅰテサロニケ 5:16 口語訳)
「一日一日を生き、この時をつねに喜びをもって受け入れ、困難は平穏への道として受け入れさせてください、」これは昨日記しましたニーバーの冒頭の祈りに続く言葉です。
果たして、わたしは毎日、喜びの生活を送っているでしょうか。
「クリスチャンというのは、『いつも喜ぶ』という器用さが要求される人なのだろうか…」などと気難しく考える人がいます。
上記の御言葉は、パウロの書かれた珠玉のメッセージの一つですが、実行は実に難しい。
時折「喜ぶ」ことが出来ても「いつも喜ぶ」となるとどうか。
ニーバー先生は、そのことを知ってかどうかは分かりませんが、「一日一日を生き、この時をつねに喜びをもって受け入れ」と祈りの言葉に変えています。
「困難」に遭遇するのは嫌なことです。しかしこの困難さえも「平穏への道として受け入れ」ることが出来たら素晴らしいことです。
「いつも喜ぶ」ことが実現するには、祈りが不可欠のようです。
磯部豊喜