みことばの花 190519「神のみわざ」

みことばの花190519「神のみわざ」

「イエスは答えられた、『本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。
ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである。』」(ヨハネ 9:3) 

何か悪い出来事などが生じたりすると、人は「なぜ?」という疑問を抱き、その原因探してしまうような気がします。
なぜ「あんな事故に遭ってしまったのか?」「なぜ多くの人の中でなぜ私一人が病気なのか?」など。
しかしキリストは原因探しをすることではなく、
その出来事から起こる将来を見据えて生きることに私たちの目を向けさせようとしました。
「ただ神のみわざが、彼の上に現れるため」だと言われます。
今この不幸に思えることが私の身に及んでいることには意味がある。
その意味は「神のみわざ」を見る入り口なのだと言われます。
原因探しをしても始まらないことがあります。
そのような時、この御言葉を心に刻みたいと思います。

磯部豊喜

みことばの花 190518「自分を愛する」

みことばの花190518「自分を愛する」

「そのほかに、どんな戒めがあっても、結局『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』というこの言葉に帰する。」(ローマ 13:9) 

このような言葉に出会いました。
クリスチャンの姉がその妹に語った言葉です。
「私たちはまず自分への伝道をしないといけない」。
クリスチャンとしてなかなか含蓄のある一言だと思います。
この言葉を思いめぐらしているときに、上記の聖句が浮かびました。
「結局『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』というこの言葉に帰する。」
クリスチャンになると兎に角「ぶりっこ」になってしまいます。
クリスチャンは人を神様に引き合わせなくては…と。
これを「伝道」と呼ぶのですが、本当の祝福はまず自分からというのが正しいと思います。
愛を受けて愛することが出来るのですから。
まず自分を主の前にさらけ出して「自分を愛する人」になりたいと願います。
ハッピーサバス!

磯部豊喜

みことばの花 190517「あなたの荷を」

みことばの花190517「あなたの荷を」

「あなたの荷を主にゆだねよ。主はあなたをささえられる。主は正しい人の動かされるのを決してゆるされない。」(詩篇 55:22)

荷物を背負わない人生はありません。
子供の頃には、背にランドセルを素老い、中高大でも、社会人になってもリュックサックを背にする人は多いと思います。
このような荷物もそうですが、もっと重い荷物は、心の荷物でしょう。
ここに心の荷物を軽くする約束の御言葉があります。
それは「あなたの荷を主にゆだねよ」です。
主とは神様、「ゆだねよ」とは「まかせなさい」ということでしょう。
私たちは重荷を自分一人で背負わなくても良いのです。

磯部豊喜

みことばの花 190516「エンジェル」

みことばの花190516「エンジェル」

「また、御使たちについては、『神は、御使たちを風とし、
ご自分に仕える者たちを炎とされる』と言われているが、」(ヘブル 1:7) 

昨晩、メジャーリーグの大谷翔平選手の活躍が報道されていました。
日本人選手が活躍すると嬉しくなります。
昨日は3安打の固め打ちで打率3割を超えたとのこと。
その大谷選手が所属しているチーム名が「エンジェルス」。
米国のロサンゼルスにあるチームだそうです。
邦訳すると「天使たち」となります。聖書には「天使」は「イエス・キリスト」と共によく登場します。
天使は私たちの前に姿を見せるとは限りませんが、私たちにとってはとても強い味方です。
上記には、「ご自分に仕える者たちを炎とされる」と書かれています。
モーセの率いるヘブライ人たちがエジプト奴隷から解放される時に、出エジプトを助けたのは「昼は雲の柱、夜は火の柱」でした。
天使たちは今も「主に仕える者」と共にいて守ってくださいます。
そう、今も…です。主の守りが今日もありますように。

磯部豊喜

みことばの花 190515「黙示録の虹」

みことばの花190515「黙示録の虹」

「その座にいますかたは、碧玉や赤めのうのように見え、
また、御座のまわりには、緑玉のように見えるにじが現れていた。」
(黙示録 4:3)  

「虹」を記録する聖書の個所は創世記、エゼキエル書、そしてあと一つの書物。
それは上記にある黙示録。
黙示録は聖書66巻の最後の書物です。
黙示録に「虹」は上記の4:3と10:1にも登場します。
その共通点は、神の御子イエスを取り囲んでいると思えることです。
「虹」はこのように至極天的なものであり、神の御子イエス・キリストを思い起こさせるものです。
「虹」がかかる時の空は、明るく輝く。
悪いことや悲しいことの多い世界ですが、この地球は神に見捨てられていないと感じます。
心が暗く、ふさぐときに「虹」を心に描いてみてはいかがでしょうか。
キリストの「恵みの虹」を実感できれば幸いです。

磯部豊喜

みことばの花 190514「エゼキエルの虹」

みことばの花190514「エゼキエルの虹」

「そのまわりにある輝きのさまは、雨の日に雲に起るにじのようであった。主の栄光の形のさまは、このようであった。」
(エゼキエル 1:28) 

聖書の中に登場する「虹」の最初の記録は創世記。
それは、二度と大洪水によって世界を滅ぼさないと約束された「契約の虹」でした。
次に聖書に登場する「虹」はエゼキエル書。
主(神)の回りを囲む輝きが「虹」のようだと表現されています。
エゼキエルはここで「人の子よ、立ち上がれ、わたしはあなたと語ろう」という声を聞き、「霊がわたしのうちに入り」と書いています。
ここでは「虹」は神と人とを固く結ぶ「栄光の虹」。
心に主の「栄光の虹」を描いて歩みたい。

磯部豊喜

みことばの花 190513「イリーゼ」

みことばの花190513「イリーゼ」

「わたしが雲を地の上に起すとき、にじは雲の中に現れる。」(創世記 9:14)

昨日の朝、千葉教会のすぐ近くにある介護宿泊施設の「介護ホーム・イリーゼ」を教会の子供たちと訪問しました。
この「イリーゼ」ですが、ギリシャ語の「イリス」から派生した言葉で「虹」を表します。
「虹」のルーツは世界最古の書物「聖書」にあり、聖書の中では「契約の虹」とも呼ばれます。
「こうして、わたしは、わたしとあなたがた、及びすべて肉なるあらゆる生き物との間に立てた契約を思いおこすゆえ、
水はふたたび、すべて肉なる者を滅ぼす洪水とはならない。」(同9:15)とみ言葉は続きます。
雨上がりの後に、姿をあらわず虹を見るときに、この聖書の言葉を思い出して神の恵みを見上げたいと思うのです。
主の守りが今日もありますように。

磯部豊喜

みことばの花 190512「ゆりの花」

みことばの花190512「ゆりの花」

「この廊の柱の頂にある柱頭の上に四キュビトのゆりの花の細工があった。」(列王上 7:19)

春たけなわで、戸外を散歩すると種々の草花に出会います。
聖書の中にも数種類の草花の名が登場します。
「サフラン、菖蒲、アロエ…」、ところで聖書の花の中で「ゆりの花」は別格。
上記の聖句は、イスラエル王国の三代目ソロモン王が建築職人ヒラムに造らせた「ゆりの花の細工」。
なぜ「ゆりの花」なのか。
千葉教会の駐車場はアスファルト加工が施されていますが、毎年このアスファルトを突き破って顔を出す花があります。
それが「ゆりの花」です。
「ゆりの花」は白く透明感がありますが、実はたくましい花。
「わたしはシャロンのばら、谷のゆりです。」(雅歌2:1)は、神の御子キリストに置き換えられて見られます。
「ゆりの花」が、美しくかつたくましきキリストを表していることに、うなずけるのは果たして私一人でしょうか。
主の恵みが今日もありますように。

磯部豊喜