みことばの花 190527「言葉の妙」

みことばの花190527「言葉の妙」

「人のおこないの事をいえば、あなたのくちびるの言葉によって、わたしは不法な者の道を避けました。」(詩篇 17:4)

先日の朝日新聞の天声人語は興味深い内容でした。
「あなたなら、どちらの言葉が心に響くだろうか。

A『ウソをつかないで』、
B『ウソつきにならないで』。

心理学の実験をしたところAはウソが減る効果がほとんどなかったが、Bは激減したという。
行動より人格のことを言われたほうが身が引き締まるようだ。
…『裏切らないで』より『裏切り者にならないで』。
『私の状況を理解して』より『私の良き理解者になって』…」(2019.5.24)。
なるほどと思いました。
上記の聖句にも「わたしは不法な道を避けました」との告白がなされています。
そういえば禁煙講習会で「タバコを吸わない」ではなく「私はタバコを吸わないようにしよう」と唱える場面がありました。
行動より人格を励ます言葉。まさに「言葉の妙」に触れた気がします。
今日も主の恵みがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 190526「苦闘」

みことばの花190526「苦闘」

「わたしはこのために、わたしのうちに力強く働いておられるかたの力により、苦闘しながら努力しているのである。」(コロサイ 1:29)

今講演会の真っ最中ですが、上記のパウロの言葉ではありませんが、「苦闘しながら努力?」しています。
メッセージと画像のパワーポイントの準備。
だいぶ前より準備しているにもかかわらず、何度も何度も書き直し、訂正しつつ準備しています。
そのためか肩や背中がコリコリになります。
上からの力に押されてのことだと思いますが…アイデアが浮かんでしまうのでそれが苦闘につながる。
聖書のメッセージを考えることは楽しいことです。
ですが人に伝えるとなると、やはり考えてしまいます。
困ったことに、疲れ果てて壇上に立つときはフラフラ。
これではいけないのですが…。主の守りが今日も皆様の上にありますように。

磯部豊喜

みことばの花190525「名か姓か」

「キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び別たれ、召されて使徒となったパウロから――」(ローマ 1:1)

 「『シンゾウ アベ』ではなく『アベ シンゾウ』と呼んでください」―という海外メディアへの配信がなされました。
姓名といいますので姓が先。
ところで通称「イエス・キリスト」の呼び名を、あえて「キリスト・イエス」という呼び名でも語っている人物がいます。
それはパウロです。
常にではありませんが、手紙の冒頭にはこちらを多用しています。
イエスは救い主。ですが救い主イエスと呼びたかったのでしょう。
今日はキリスト・イエスにお会いする第七日安息日です。
ハッピーサバス!

磯部豊喜

みことばの花 190524「酒」

みことばの花190524「酒」

「酒は人をあざける者とし、濃い酒は人をあばれ者とする、これに迷わされる者は無知である。」(箴言 20:1)

昨日の朝、一人のロシア人女性モデルが石像の鼻をトンカチで壊す様子がSNS配信されていました。
これは考えられない悪ふざけなのですが、この一つの行為のために、彼女はモデルを廃業に。
「酒に酔ってこんなバカなことをしてしまった。心から反省しています。」と頭をさげたようですが、
上記の聖句にあるように酒のために人生を台無しにしてしまう人が後を絶ちません。
私は21歳にクリスチャンになって以来、酒を避け?る生活をしています。
肝臓や脳にダメージを与えないので、こういう生活はなかなかいいものです。
私にとってバイブルは酒に勝るもの。天国は酒のない処。
今日も主の恵みにより良き選びが出来ますように。

磯部豊喜

みことばの花 190523「精度」

みことばの花190523「精度」

「またあなたがたの頭の毛までも、みな数えられている。」(マタイ 10:30)

5月20日の朝日新聞記事に「1㎏の基準 引退」とう小見出しの一文がありました。
「質量の基準として130年間使われてきた合金製の分銅「キログラム原器」が19日、引退し、
光に関する物理定数『ブランク定数』をもとにした高精度の定義に20日から切り替わる」という内容。
さらに読み進むと、「キログラム原器は、『水1リットルの重さ』とされていた1kgの定義を精密にするために作られ、
パリ郊外の国際度量衡(どりょうこう)局に厳重に保管されてきた。
…各国に配られた原器との間に1億個分の5kg(指紋一つ分の汚れほど)のずれが生じたことが判明」とありました。
人間の作った精度はすごい、ですが上記にある神の精度はもっとすごいようです。
毎日髪の毛は生え変わるのですから…。
この主の守りが今日もありますように。

磯部豊喜

みことばの花 190522「いつも思う」

みことばの花190522「いつも思う」

「ダビデの子孫として生れ、死人のうちからよみがえったイエス・キリストを、いつも思っていなさい。
これがわたしの福音である。」(Ⅱテモテ 2:8)

テモテへの第二の手紙の著者の名は、パウロです。
上記のパウロの勧めは、わたしの心に常に響きます。
「あなたはイエス・キリストのことをいつも思っていますか?」
昨日より、講演会に突入したためなのかどうかは分かりませんが、
ここのところいつもイエス・キリストのことを思って生活しています。
ここ数週間、朝4~5時の間に不思議に目を覚ましこころの中で「イエス様、あなた様を見させてください」と祈ります。
イエス様を思うと、荒れくれた心が穏やかになります。
今日もキリストの愛が迫って来ますように。

磯部豊喜

みことばの花 190521「称賛の言葉」

みことばの花190521「称賛の言葉」

「そこでパロは家来たちに言った、『われわれは神の霊をもつこのような人を、ほかに見いだし得ようか』。」(創世記 41:38) 

自分で自分を褒める人がいます。
誰も褒めてくれないからせめて自分だけは自分を…というのはあってもいいでしょう。
ですが、一国の王様から称賛の言葉を頂くとしたらどうでしょうか。
上記の聖句は、真実でない濡れ衣を着せられ牢獄に入れられたヨセフという人物に、当時のエジプト王が語った言葉です。
「われわれは神の霊をもつこのような人を、ほかに見いだし得ようか」。
これほどの称賛の言葉は他にないでしょう。
この言葉を王から頂いたばかりでなく、彼は国家の命運を担うリーダーとして登用されます。
実はこれは彼の信じる神が彼を後押しした結果なのです。
今日も主を前におき、謙遜に歩めたらと願います。

磯部豊喜

みことばの花 190520「何を見つめるか」

みことばの花190520「何を見つめるか」

「雲が幕屋の上からのぼる時、イスラエルの人々は道に進んだ。彼らはその旅路において常にそうした。」(出 40:36) 

ここに「雲が幕屋の上からのぼる時、…人々は道を進」むという不思議な光景が描かれています。
この雲は神様の象徴、神を見上げて進む人生を教えているようです。
人が勇気を得るのは神を見る時。
さて、「のぼる」ことを瞑想する中で、スタート時に出遅れた野球の広島球団が、いつの間にか同率1位にのぼって来ていました。
少し遅れた「こいのぼり」です。
広島の選手たちは空にある「こいのぼり」見つめているのでしょうか。
良きものを見つめ続けたいと思います。

磯部豊喜