みことばの花 200825「主の目」

みことばの花 200825「主の目」

「主の目はどこにでもあって、悪人と善人とを見張っている。」(箴言 15:3 口語訳 )

先日、DNA型鑑定の精度が向上し、犯罪者を特定することが進んでいると新聞の記事に書かれていました。
被害者の爪から抽出したDNAで加害者を突き止めたという事例がありました。
事実が暴かれることは良い事だと思います。街路にもあちらこちらにカメラが置かれています。
そのためにいろいろな隠れた出来事が分かります。しかし加害者が手を汚さぬ犯罪も数限りなくあります。
それでも犯罪はいまだに消えないし、真実は見えないことがあります。
ですが聖書には、人間の目には見えなくても、もう一つの目があることを述べています。
それは「主の目」です。私どもは人の心の底までも見抜く主の目があることを覚えたい。
悪しき(主の悲しむ)行動を避け、善なる行動(主の喜ばれる)に励みたいと思います。まず正直であること。
主の目を意識して生活すること。人の評価ではなく主の評価を意識して歩めれば幸いです。
今日も主も恵みがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 200824「一攫千金の夢」

みことばの花 200824「一攫千金の夢」

「金銭を好む者は金銭をもって満足しない。富を好む者は富を得て満足しない。これもまた空である。」(伝道 5:10 口語訳)

昨日、馬券を買って借金をした夫とその妻の話を書きましたが、馬券と私磯部は決して無縁ではありません。
クリスチャンになる前に、馬券買いに溺れた時期がありました。「楽をして一攫千金を夢見て」いたのです。
ですが聖書を読みキリストを知って私の人生の価値観は一変しました。
まさに上記の聖句のように「金銭」や「富」はある程度(人の世話にならない程度)必要ではありますが、それで人生に心からの満足は得られないことを知ったのです。
「命は金で買える」といい、高額医療に希望を持つ人もいますが、「永遠のいのち」は金銭や富では買えません。
「永遠の命とは、唯一の、まことの神でいますあなたと、また、あなたがつかわされたイエス・キリストとを知ることであります」(ヨハネ17:3 口語訳)とあります。
キリストこそが永遠のいのちの鍵です。
今日、主のいのちが注がれますように。

磯部豊喜

みことばの花 200823「隠し事をしない」

みことばの花 200823「隠し事をしない」

「だから、主がこられるまでは、何事についても、先走りをしてさばいてはいけない。主は暗い中に隠れていることを明るみに出し、
心の中で企てられていることを、あらわにされるであろう。その時には、神からそれぞれほまれを受けるであろう。」(Ⅰコリント 4:5 口語訳) 

馬券買いを隠れて行い、50万円の借金を作った夫に対してその妻の取った行動が賞賛されていました。
事の良し悪しは別として、夫の過ちを受け止める妻の行動が爽快でした。妻は平謝りする夫に対して、一通の封筒を差し出します。
離婚届か?と心を縮めた夫が恐る恐るその中を覗くと10万円が。「私が貯えていたもの。それで馬券を買いなさい。
夫婦なのだから隠れてするのだけはやめて」と語る妻。夫は猛反省。へそくり以外?夫婦は隠し事のないほうが良い。
まして天の神には心の中でさえ隠し事は出来ません。
今週も天を見上げて歩みたいと思います。

磯部豊喜

みことばの花 200822「説教」

みことばの花 200822「説教」

「また、ニネベの人々は裁きの時、今の時代の者たちと一緒に立ち上がり、彼らを罪に定めるであろう。ニネベの人々は、ヨナの説教を聞いて悔い改めたからである。
ここに、ヨナにまさるものがある。」(ルカ 11:32 口語訳)

先週は、私が以前牧師をしていました三育関町教会という所で、一日に3回ほど同じ説教をさせて頂きました。
ここは小学校が併設されている教会なので第一礼拝(9:30)は子供が多く、第二礼拝(11:00)、第三礼拝(14:00)は殆どが大人です。
一日に三回ほど同じ説教を語るという体験をさせて頂きました。
さて説教は、キリスト教礼拝の一部になっており、時間の割り振りでは一番長い部分です。
そこで「説教」という言葉を聖書で調べてみました。口語訳ではミカ書に2か所、新共同訳では、マタイとルカとⅡテサロニケにあります。
その説教の中で一番教えられるのが上記の聖句。「ヨナの説教」で、聴衆の行動が変化したからです。
このような説教を語れたら素晴らしいと思うのですが…。
今日は聖なる安息日、礼拝日です。どうぞ今日、キリスト教会で説教を味わってみてください。
ハッピーサバス!

磯部豊喜

・・・・・・・
8/22(土)のライブ配信 URL を送ります。
安息日学校(聖書の学び) URL 8月22(土)10:00 第3期 第8課「イエスのように仕える」 磯部豊喜
https://youtu.be/8fm7yAZVBZc
礼拝説教  URL 8月22(土)11:00  説教題「賢い王」 磯部豊喜
https://youtu.be/XaTDe_fQNmM

みことばの花 200821「微笑み」

みことばの花 200821「微笑み」

「力と気品とは彼女の着物である、そして後の日を笑っている。」(箴言 31:25 口語訳)

今日も「口」の話。先日、マスクに本人の笑みをたたえた口のプリントをして客の接待をしている店が取材されていました。
マスク生活は、その人が笑っているのか、悲しんでいるのか、怒っているのか、実に見分けが難しい。
そのような中で、笑顔の口同士で向き合っていると自然にお互いが和むのだそうです。
ですがよく観察してみると、マスクの真ん中に口だけがプリントされていますから、見ようによってはグロテスクにも見えます。
どうせならマスク全体をそのままその人の顔をプリントすれば違和感がないと思うのです。私もいつか試してみようかなどと考えてしまいます。
「目は口ほどにものを言う」とありますが、目も口の表情には勝てないようです。
いずれにしてもマスクの中で常に微笑んでいたいものです。
力と気品とをもって…。

磯部豊喜

みことばの花 200820「口」

みことばの花 200820「口」

「口を守る者はその命を守る、くちびるを大きく開く者には滅びが来る。」(箴言 13:3 口語訳)

「口は災いの元」とはよく知られた言葉です。実に聖書にも口にまつわる聖句がたくさんあります。
例えば「舌は小さな器官ではあるが、よく大言壮語する。見よ、ごく小さな火でも、非常に大きな森を燃やすではないか。」(ヤコブ3:5 口語訳)とか、
口のために要職を辞した人もいます。口を制する人は、最も賢い人かも知れません。
となると一番の安全は無口なのでしょうが、私どもが生活する上にしゃべらない訳には行きません。
「たった一言が、人を苦しめ、たった一言が、人を慰める。主よどうか後者の口をください」と、日々祈りつつ生活をしたいと思います。
「口を守る者はその命を守る」。隣人を祝福する口を持ちたいものです。
主の恵みが今日もありますように。

磯部豊喜

みことばの花 2008019「夏のうちに」

みことばの花 2008019「夏のうちに」

「ありは力のない種類だが、その食糧を夏のうちに備える。」(箴言 30:25 口語訳)  

昨日の新聞の見出しに二つのことが記されていました。
一つは「GDP(国内総生産)戦後最悪の下落」、今一つは「浜松41.1度」…これまでの国内最高と並ぶ」とありました。
両者の記事は低いことと高いことでは実に対象的ですが、私ども人間にとっていずれも生活することにおいて心地の良いものではありません。
そのような中で発見した聖句が上記の御言葉。このみ言葉には「夏のうちに備える」という言葉があります。
いつ何時何が起きても大丈夫という備えの必要がこのメッセージの中にあります。夏は暑く、厳しい。
ですが同時に雨さえあれば作物が成る。これをチャンスと考え、冬に向けてこつこつと備えるアリの勤勉さにならえと教えているようです。
アリを参考に厳しさの中にチャンスの風穴はないかと活路を見いだす生き方をしたいものです。

磯部豊喜

みことばの花 200818「優しい舌&心」

みことばの花 200818「優しい舌&心」

「優しい舌は命の木である、乱暴な言葉は魂を傷つける。」(箴言 15:4 口語訳)

俳優の渡哲也さんが78歳の生涯を閉じられたとTVや新聞で知りました。
「男気のある人」、「男が惚れる男」…いろいろと報道されています。
渡哲也さんについて誰もが異口同音に語っているのは「優しい人」。やはり人の心に残る人というのは「優しい人」なのでしょう。
ちょっとした心配り、常に心のアンテナを他人の心に合わせて受信できる人は素晴らしいと思います。
御言葉に、「優しい舌は命の木である」とあります。人の心を慰め元気づけが出来る優しい舌を持ちたい。
ですが「優しい舌」は、きっと心の優しさに比例する。私は自分の語る舌を録音し続けたらどんな結果になるのか…と時々考えます。
それと同時に心を覗いてみたい。私の語る心の言葉も果たして優しいのだろうかと。
真に優しいキリストの心を、私の心にも移せればと願うのです。

磯部豊喜

みことばの花 200817「心にとめる」 

みことばの花 200817「心にとめる」 

「最後に、兄弟たちよ。すべて真実なこと、すべて尊ぶべきこと、すべて正しいこと、すべて純真なこと、すべて愛すべきこと、すべてほまれあること、
また徳といわれるもの、称賛に値するものがあれば、それらのものを心にとめなさい。」(ピリピ 4:8 口語訳)

「悪魔は人の心を悪い思いで満たすだけでなく、人の心から良い思いを取り除こうとする」(CSルイス)という言葉を見たことがあります。
これは言い換えると、良い心にしてくれる思想に触れないようにするということでしょう。
人の心が汚されないためには、良い思想を常に補うことが大切です。
上記の聖句には「すべて真実なこと、すべて尊ぶべきこと、すべて正しいこと、すべて愛すべきこと、すべてほまれあること、
また徳といわれるもの…それらのものを心にとめなさい」と勧められています。
聖書の中には、人の心を良くしてくれる内容が満ちています。上記の御言葉もその一つだと思います。
人に精神的真空状態はなく、何かを取り込みつつ生きていると思います。
出来る限り、心に良きものを取り込む選択をしたいものです。

磯部豊喜

みことばの花 200816「誇るべきもの」

みことばの花 200816「誇るべきもの」

「それは、『誇る者は主を誇れ』と書いてあるとおりである。」(Ⅰコリント 1:31 口語訳) 

車のナンバープレートで人気のある地域調査では1位「横浜」、2位「湘南」、3位「品川」、4位「神戸」、5位「川越」…となっているとのこと。
私が30代の頃は「品川」が断トツ1位で、当時東京大田区に住んでいた私の車のナンバープレートはその「品川」。
転勤になっても替え難くしばらくそのままに。
ですが今日、新型コロナの影響を受け、東京都内ナンバーの車の持ち主は、他県での走行に心が小さくなっているような気がします。
現在、私の車は「多摩」ナンバーですが「千葉在中だよ」と心の中で小さくつぶやきます。これも妙な気持ちです。
さて、人の誇りは自分がどこに住んでいるとか、どんな名称のナンバープレートを持っているかではない。
聖書には「誇る者は主を誇れ」とあります。主イエスを誇る…これはどこに住もうと、都民であろうが、どこの県民であろうが、関係のないことです。
命を懸けて私どもの救い主となられた主イエスこそ私の人生の誇りです。
今日も主の恵みがありますように。

磯部豊喜