みことばの花 201105「ニーバーの祈り①」

みことばの花 201105「ニーバーの祈り①」

「また、箕を手に持って、打ち場の麦をふるい分け、麦は倉に納め、からは消えない火で焼き捨てるであろう」。(ルカ 3:17 口語訳) 

「神よ、変えることのできないものを静粛に受け入れる力を与えてください。変えるべきものを変える勇気を、そして、変えられないものと変えるべきものを区別する賢さを与えてください。」これはアメリカの神学者ラインホルド・ニーバー(1892~1972年)の有名な祈りの冒頭の言葉です。
この言葉の含蓄の深さに、心をひかれる人が多いと聞きます。私もその一人です。
「変えられないものと変えるべきものを区別する賢さ」を本当に持ちたいと思います。
上記の聖句には「ふるい分け」とありますが、「麦」と「から」を見分ける知恵が必要です。
これは人の救済に関して語られるみ言葉ですが、私どもの生活に適応させることもできそうです。
キリストはしばしば人間が作ってきた宗教的「伝統」を洗い直し、真の光を照らしてきました。
私は日々このような知恵を頂きたいと願っています。
今日も主の恵みがありますように。

磯部豊喜
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今週は、11/6(金)・11/7(土)に下記の時間帯で、千葉茨城地区のオンライン合同集会(土曜日午前中はライブ配信)を流します。時間になりましたらURLを開いてみてください。共に祝福に預かって頂けたら幸いです。なお時間外でもSDA千葉教会HP(http://sda-chiba.org)
より視聴できます。

サンセット礼拝 URL 11月06日(金)16:30 メッセージ:尾上史郎(教育局長・三育学院中学校校長) 特別讃美:三育学院中学校聖歌隊 地区内教会のビデオ紹介
https://youtu.be/0F26UIU_O3w
安息日学校 URL 11月07日(土)09:40 聖書の学び(パネラー):森祐二(光風台三育小校長)、東清志(牧師)、長谷川徹(牧師)、 教育機関紹介:尾上史郎(教育局長・三育学院中学校校長) 地区発表、ABC(アドベンチストブックセンター)の案内
https://youtu.be/MR9TOd5gU7E
礼拝説教 URL 11月07日(土)11:00 説教者:小濱守宏(千葉茨城地区地区長) 特別讃美:三育学院中学校聖歌隊
https://youtu.be/TsW3JrgIaaQ
サンセット礼拝 URL 11月07(土)16:30 メッセージ:宮本安喜(柏教会牧師) 近隣地域への活動紹介
https://youtu.be/WIaYtqYsBwU

 

みことばの花 201104「取捨選択」

みことばの花 201104「取捨選択」

「少しの物を所有して主を恐れるのは、多くの宝をもって苦労するのにまさる。」(箴言 15:16 口語訳) 

私は多くの宝を持っているわけではありませんが、それなりに多いものがあります。それは本とか書類です。本屋、古本屋行くとまとめ買いをしてしまう。
書類も神学校などの大学院へ行って得た書類だとかをまだ保管しています。
そしていつか読むだろう、役に立つだろう…などと心で思っているうちに、これらは増えるばかり。
本当に読むもの、学ぶものを手元に置き、あとは処分する、これがなかなかできない。
そろそろ自分の年齢も考え、限られたスペースに置けるように取捨選択しなくては…。
そのような時、上記の聖句が目に留まりました。
「多くの宝をもって苦労する」、あっ、私のことだ!と思いました。
前半の「少しの物を所有して主を恐れる」…これに徹することが出来ればよし!とはいうものの今もゴミの中にうずもれています。
ああ、ゴミ屋敷(部屋)から解放されたい!これが今のわたしの一つの祈りです。

磯部豊喜

みことばの花 201103「本国」

みことばの花 201103「本国」 

「しかし、わたしたちの国籍は天にある。そこから、救主、主イエス・キリストのこられるのを、わたしたちは待ち望んでいる。」(ピリピ 3:20 口語訳)

上記を新共同訳では「しかし、わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。」と訳されています。
国籍を本国と言い換えています。どちらも同じ内容を語っていますが、多少ニュアンスが異なります。
本国とは私が国籍を所有する本当の国。
私は日本人として日本国に国籍を所有しています。私は比較的平和なこの国が好きですし、この国の国民であることを誇りにしています。
ですがこの国民である以上に、私の意識する国があります。それは天の国。
この国こそ、世界の人々の本国です。そこには国境はなく、人種差別もなく民族間の争いもない。こういう国を本国にしたい、そう願います。
この本国は愛の国なのですから。
今日も主の恵みがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 201102「寄留者②」 

みことばの花 201102「寄留者②」 

「これらの人はみな、信仰をいだいて死んだ。まだ約束のものは受けていなかったが、はるかにそれを望み見て喜び、そして、地上では旅人であり寄留者であることを、自ら言いあらわした。」(ヘブル 11:13 口語訳)

今週の日曜日、わたしの牧師仲間であり後輩の若いY牧師が若干45歳の短い生涯を閉じられました。
昨日は告別式。残されたご両親やお姉さまの悲しみが伝わってきました。
Y牧師がまだ牧師ではない青年時代から交わりを持っていましたし、彼が牧師インターンになられた時、私が主任牧師として再び親交に預かる機会があった人でしたので、とても残念な思いで参列しました。
やはり私の心に涙を誘ったのは、息子に先立たれた、遺族代表として涙のご挨拶をされたクリスチャンの父親の姿です。
ですがクリスチャンには希望があります。Y牧師は「地上では旅人であり寄留者であることを、自ら言いあらわした」人でした。
Y牧師と同様、この信仰に立てる人は、死別の悲しみにも再会の希望を抱くことが出来るのです。

磯部豊喜

みことばの花 201101「寄留者①」

みことばの花 201101「寄留者①」

「わたしはこの地にあっては寄留者です。あなたの戒めをわたしに隠さないでください。」(詩篇 119:19 口語訳)

ここに「寄留者」という単語があります。
この意味は、①一時的に他の土地または他人の家に住むこと。(知人宅に寄留する)。
②寄留法で、本籍以外の一定の場所に90日以上住所または居所を持つこと。
昭和26年(1951年)住民登録法の制定に伴い廃止。…とデジタル大辞泉には解説されています。
愛の神を信じ、天国ということを自分の本国と意識している人は、上記の聖書著者のように、自分を「この地にあっては寄留者です」と告白してはばかりませんでした。
私も聖書を手にし、天の神と天国のことを知ってからは、この地上での生活は「寄留の地」での生活であると意識するようになりました。
この世にいながら、天の国を見つめて生きるのがクリスチャンです。
それゆえに天の国の戒めを大切にしたいと考えています。
天の国の戒めを一言でいうならば「神を愛し人を愛すること」。
これは一生のテーマですが、それに一歩でも近づきたいと願うのです。

磯部豊喜

みことばの花 201031「ヘルプ・ミー」

みことばの花 201031「ヘルプ・ミー」

「しかし、風を見て恐ろしくなり、そしておぼれかけたので、彼は叫んで、「主よ、お助けください」と言った。」(マタイ 14:30 口語訳)

今日は、3週間ぶりに千葉教会で説教を行うことになります。説教を語るにも一つのリズムがあります。
新型コロナの第一次感染の時には、緊急事態宣言がなされ教会も集会自粛の運びとなり、
今年3月28日から7月4日まではゲストを招くことなく毎安息日(土曜日)に15週間連続の説教(ライブを含めて)を行いました。
その次の週から、毎週ではなくなりましたが、2週も空きますと気持ちが落ち着かないのです。
その時、わたしは一つの言葉を思いだしました。それは「(主よ)ヘルプ・ミー(私を助けて!)」です。
そこで今日の説教題は、この言葉を背後に「人生珠玉の叫び」としました。
今日は、私の心境に乗せて上句の聖句を中心に語ってみたいと考えています。
今日も心に主の安息がありますように。
ハッピーサバス!

磯部豊喜

みことばの花 201030「耐え忍ぶ心」

みことばの花 201030「耐え忍ぶ心」

「事の終りはその初めよりも良い。耐え忍ぶ心は、おごり高ぶる心にまさる。」(伝道 7:8 口語訳)

昔、中国では生まれた乳をあげる前に行ったとされる「五香の儀式」というものを知りました。
それはまず「酢をなめさせる」、次に「塩をなめさせ」「にがい薬をなめさせ」「とげのある、かぎかずらをなめさせる」。
最後に「砂糖をなめさせる」ことを順番に行ったそうです。
これは人生においてすっぱく、からく、にがく、そして痛い目にあって、ようやく甘いものにありつけることを体験させる意味があったとのこと。
確かに、人の幸福感や達成感は、おそらく叱られ、悩み、壁にぶちあたり、多くの苦難を乗り越えて、初めて味わえるもの。
真の喜びは、これを経て深まることを教えてくれます。こういう体験もなく、人生の荒波に飛び込むとどうなるでしょう。
いきなり甘い汁を味わうのは、とても危険な気がします。
聖書の人物や物語を調べる時、確かに人生の苦難を経、「耐え忍ぶ心」が鍛えられ、その向こうに輝く人生があるように思います。

磯部豊喜
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10/31(土)ライブ配信 URL を送ります。

安息日学校(聖書の学び) URL 10月31日(土)10:00 2020年第Ⅳ期 5課「偉大な教師としてのイエス」 磯部豊喜
https://youtu.be/vJ6pSq0Hlds

礼拝説教 URL 10月31(土)11:00 説教題「人生珠玉の叫び」磯部豊喜(子供の話:井本良治)
https://youtu.be/iJ_qhWlGuog

みことばの花 201029「満足」

みことばの花 201029「満足」

「金銭を好む者は金銭をもって満足しない。富を好む者は富を得て満足しない。これもまた空である。」(伝道 5:10 口語訳)

人生を送る上で、私は何をもって満足するのだろうか、と自問することがあります。
先日「幸福度」(みことばの花201023)とかいう一文を書かせて頂きましたが、そこでは「受けるよりも与えるほうが幸いである」とのみ言葉に触れました。
結局「幸福度」というのは「本当に満足できているか、否か」で測られることだと思います。
上記の聖句には金銭、富…という言葉が出ていますが、これらはそれなりの満足を与えるかも知れませんが、人の心に本当の満足を与えないというのが著者の結論です。
これを書いた人はソロモン王。彼は知識も財宝も権力も手にした。ですが彼は真の満足に至らなかった。
真の満足は、そのようなものでは測れない。誰かのために命をかけられる人こそ、本当の満足を堪能できると思います。
人は誰かを生かして、生きがいを持つ。そのように造られているのだと思います。

磯部豊喜

みことばの花 201028「境遇に処する秘訣②」

みことばの花 201028「境遇に処する秘訣②」

「わたしは貧に処する道を知っており、富におる道も知っている。わたしは、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、
ありとあらゆる境遇に処する秘けつを心得ている。」(ピリピ 4:12 口語訳)

今日は、カーネギーの人生(経済)哲学を紹介したい。
彼は常に財産の運用において、どうしたら財産の信託主である社会の利益になるかを考えていました。そこで次のようなことを展開。
①助けるべき相手は、自助努力している人を基本とする。=はじめから働く意志のない者を助けることはしない。
②富をもって死ぬのは不名誉なことである。=得た富は貧しい人々のために役立つ有益な事業に使用する。
彼自身の生活はつつましかった。彼は富に生きず(支配されず)、富を生かす(支配する)者として歩んだのです。
こういう生き方は素敵だと思います。
今日も主の恵みがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 201027「境遇に処する秘訣①」

みことばの花 201027「境遇に処する秘訣①」

「わたしは貧に処する道を知っており、富におる道も知っている。わたしは、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、
ありとあらゆる境遇に処する秘けつを心得ている。」(ピリピ 4:12 口語訳)

この聖句に触れ、わたしは鉄鋼王と呼ばれたアンドリュー・カーネギー(1835-1916年)という人を思います。
彼はスコットランドから米国へ渡った貧しい移民者の子。学校教育は10歳までしか受けていない。彼は極貧の中で「いつか貧困を追い出してやる」と決意した。
12歳になって初めて紡績工場に就職し、1ドル20セントの週給を得た時、決して高くはないが、とても感謝したという。
カーネギーは18歳になるまで4度転職したが、その間、勉強だけは欠かせなかった。
4度目の就職先は、ペンシルヴァニア鉄道。月給は35ドルで人並み以上の収入。その後、寝台車会社への投資が成功し、それをもとに起業家となった。
ですが彼は「自分のために地上に宝を積む」(マタイ6:19 口語訳)富豪ではなかったのです。

磯部豊喜