みことばの花 201115「再臨は保護のため」 

みことばの花 201115「再臨は保護のため」 ※再臨とは救い主キリストが天の雲に乗って再び来られること。

「また、古い世界をそのままにしておかないで、その不信仰な世界に洪水をきたらせ、ただ、義の宣伝者ノアたち八人の者だけを保護された。」
(Ⅱペテロ 2:5 口語訳) 

人類歴史の過去に一度だけ大規模な世界の終りに近い出来事がやってきました。
ノアの洪水です。ノアの洪水の意味は、義の宣教者ノアたち八人を保護するためのものだったようです。
そして聖書は、今度は水ではなく火で世界の終りが来ると予告しています(Ⅱペテロ3章 口語訳)。
これを考えると怖いことなのですが、キリストを信じる人にとってこれは脅威ではありません。主は再臨されて、彼らを天国へ招いてくださるからです。
キリストの再臨は、その日の到来を待ち望む人を保護するためのものとも言えます。
キリストの再臨を心に受け止め、共にその時の準備をしませんか。
今週も主の愛と恵みがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 201114「見よ、彼は…」 

みことばの花 201114「見よ、彼は…」 

「見よ、彼は、雲に乗ってこられる。すべての人の目、ことに、彼を刺しとおした者たちは、彼を仰ぎ見るであろう。また地上の諸族はみな、彼のゆえに胸を打って嘆くであろう。しかり、アァメン。」(黙示録 1:7 口語訳)

聖書に記された多くの預言(聖書では、神様の言葉を預かるという意味があり「預言」と書く)は、条件付き預言を除いて100%成就してきました。
条件付き預言とは、神の預言を聞いた人類の応答次第で歴史が変わることです。
ですが人類の応答にかかわらず行く末が確定している預言に関してはすべてその通りになっています。
キリストの再臨の預言には、確定された部分と条件的な部分が重なっているようです。確定されている部分は、「キリストの再臨は必ずある」ということ。
条件的な部分というのは「全世界に福音が宣べ伝えられて」後にそれがあるということです(マタイ24:14 口語訳)。
ですからその日、その時はわからないのです。
「神の日の来るのを待ち望み、また、それが来るのを早めるようにすべきです」(Ⅱペトロ3:12 口語訳)は心に覚えたい聖句。
上記の聖句と共に心に刻みたいのです。
ハッピーサバス!

磯部豊喜

みことばの花 201113「120年の説教」 

みことばの花 201113「120年の説教」 

「そこで主は言われた、『わたしの霊はながく人の中にとどまらない。彼は肉にすぎないのだ。しかし、彼の年は百二十年であろう』。」(創世記 6: 口語訳)

ノアの時代まで、人々の生涯は約10世紀近くの長命でした。
ところが今の人間の寿命は120年が限界です。そこで上記の聖句を読む人は、人間の寿命を予告していると解釈したりします。
ですがここはそうではありません。「彼の年は百二十年」と語られたにも関わらず、ノアから十代経っても人間の寿命は200年を下ってはいないからです。
となるとこの「彼の年は百二十年」とは何を指しているのか。これはノアに神が宣言された時より数えて洪水まで120年あるとの予告を言います。
ということは、ノアは120年もの間、「必ず洪水は来ます。ですから一緒に箱舟を造りましょう!これに乗りましょう!」と語り続けたことになります。
来る日も来る日も、耳にタコができるほどの同じ説教。ですがノアの箱舟に入ったのはわずか8人。この事実にノアは深く悲しんだのでないかと私は想像します。今の時代も同じような気がします。キリストの再臨が本当に近づいているのに、耳を傾け応答する人が実に少ないからです。

磯部豊喜
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11/14(土)ライブ配信 URLです。どうぞご視聴ください。
安息日学校 URL 11月14日(土)10:00 聖書の学び「教育」、第7課「教育における礼拝」磯部豊喜
https://youtu.be/fB4ecNPBlN0
礼拝説教 URL 11月14(土)11:00 説教題「義とされる祝福」磯部豊喜
https://youtu.be/kPFlvuHqSDg

みことばの花 201112「燃える」

みことばの花 201112「燃える」

「熱心で、うむことなく、霊に燃え、主に仕え、望みをいだいて喜び、患難に耐え、常に祈りなさい。」(ローマ 12:11,12 口語訳)

ここに「熱心」とか「霊に燃え」という言葉があります。次のような一文に触れました。
「事業経営は、マッチと同じである。自分が燃えないで、どうして相手を燃やすことができようか。」(臼井皎二/実業家)
熱心とか「燃える」という言葉は、実に魅力的な言葉です。
上記の聖句はパウロの言葉ですが、パウロはキリスト教を熱い心をもって世界に伝えた第一人者とも言えます。
その情熱はこの一文をみても明らかです。私も牧師の端くれとして「情熱」という言葉が好きですし、これを若い頃より目標にしています。
ですがこの熱心さに、陰りが生じているように思える時があります。
それだけに、実に小さなことではありますが、せめて今書かせて頂いている「みことばの花」だけは、認知症とか病気とによって体調が変わらない限り続けたいと考えています。
それにしても今日は11月11日。
いい、いい・・・一日を過ごせますように。

磯部豊喜
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※千葉教会では、毎週水曜日8:30~9:30に祈りの会を行っています。電話で参加(聞くだけでも)することが出来ます。
下記のような手順で…。①03-4578-0172、②コードナンバーをのコールがあります。③818-273-1108♯。…で入ることが出来ます。ご都合がよければどうぞ。

みことばの花 201111「真の祝福人生」

みことばの花 201111「真の祝福人生」

「しかし、わたしにとって益であったこれらのものを、キリストのゆえに損と思うようになった。」(ピリピ 3:7 口語訳)

無名兵士の詩の後半。「…人生を享楽しようとあらゆるものを求めたのに、あらゆることを喜べるように命を授かった。
求めたものは一つとして与えられなかったが、願はすべて聞き届けられた。神の意に添わぬものであるにもかかわらず、心の中の言い表せない祈りはすべてかなえられた。私はあらゆる人の中で最も豊かに祝福されたのだ。」人生には求める通りにならないことがあります。
自分には益になると思っていたことが、人生という蜘蛛の巣に引っ掛かり阻まれることがある。
ですが結果としてそれが最善である場合もあります。上記の無名兵士もそうだったのでしょう。
求めた通りにはならない、ですが人生の祝福をいう視点から眺めると、病気、貧しさ…等々、それが自分のためにベストだったという。
これに併せ、わたしは上記のパウロが書き残した言葉も覚えたいと思いました。
今日も主の恵みがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 201110「弱い者となる」

みことばの花 201110「弱い者となる」

「弱い者と、みなしごとを公平に扱い、苦しむ者と乏しい者の権利を擁護せよ。」(詩篇 82:3 口語訳)

強い者よりは弱い者が良い…との教えを聖書の随所から学びます。
上記の聖句もそうで、主は弱い者のそばに立ってくださるという。リンカーン時代の南部連合の無名兵士の詩もそうです。
詩の題は「苦しみを超えて」。
「大きなことを成し遂げるために力を与えてほしいと神に求めたのに、謙遜を学ぶように弱い者とされた。より偉大なことができるように健康を求めたのに、よりよいことができるようにと病気をいただいた。幸せになろうとして富を求めたのに、賢明であるようにと貧しさを授かった。世の人々の称賛を得ようと成功を求めたのに、神を求め続けるようにと弱さを授かった。…」この続きは明日紹介します。
鼻っ柱が強すぎて、なかなか弱い者になれない者ですが、真に弱い者になれたらと願うのです。
神を求め続けるために。

磯部豊喜

みことばの花 201109「天国の鍵」

みことばの花 201109「天国の鍵」

「こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。」(マタイ 5:3 口語訳)

「そして、この人生が小さくとも幸福なものとなり、天国のあなたのもとで永遠の幸福を得ると知っています。アーメン」・・・
これはニーバーの祈りの締めの言葉。この祈りの言葉には、私どもの目指すべき世界のことが語られています。
人が真に幸福であるには「天国」を抜きにして考えられません。
「笑えば天国、怒れば地獄」という精神的なことをあらわす表現もありますが、「天国」とは実在する愛の王国です。
そこは愛の神が統治される永遠の世界です。米国大統領選挙のような自己主張や争いをやめ、平和な主のもとで生活する穏やかな国家です。
この天国に入る人には、一つの条件があります。それは「心の貧しい人」になること。
逆説的ですが、自分には天国にふさわしい良いものがないと心から気づく人に天国はやってくるという。
主の恵みが今週もありますように。

磯部豊喜

みことばの花 201108「ニーバーの祈り④」

みことばの 201108「ニーバーの祈り④」

「だれが、主の心を知っていたか。だれが、主の計画にあずかったか。」(ローマ 11:34 口語訳)

ニーバーの祈り続き④です。
「あなたのご計画にこの身を委ねれば、あなたが全てを正しくされることを信じています。」人は自分で計画を立てます。人生設計などもその一つでしょう。
ですが覚えておきたいこと。それは自分の立てた計画通りに進むとは限らないということ。
そこで確かな計画を瞑想したい。それは「主の計画」というものです。
私の立てる計画は不安定で、本線から脱線してしまうことがありますが、主のご計画には、脱線というものがありません。
ですから私に対する主の計画を求めたい。主の計画の中で確実なものは、主を心から求める者には、天への道があるということ。
永遠の命という祝福の道がある。「主の計画」に歩調を合わせる者になりたい。
「主よ、あなたの計画の中で私を用いてください」と祈るのです。

磯部豊喜

みことばの花 201107「ニーバーの祈り③」 

みことばの花 201107「ニーバーの祈り③」 

「だれでも、自分の益を求めないで、ほかの人の益を求めるべきである。」(Ⅰコリント 10:24 口語訳) 

ニーバーの祈りの続き③です。「これまでの私の考えを捨て、イエス・キリストがされたように、この罪深い世界をそのままに受け入れさせてください」。
人間というものは、どうも自分の歩んできた道のりや、抱いてきた価値観をベストとする傾向があるように思います。
私が人間観察して考えることは「人は簡単には変わらない」ということ。
ですが、生き方や価値観が別人のように変えられた人があるのも事実です。
パウロはまさにその一人。パウロはキリストに出会って、キリストの愛の教えをいつも瞑想した人。
その結果、実に柔軟で心の広い視野を持ち、「自分の益を求めないで、ほかの人の益を求め」ようと語りました。
ニーバーの祈りも同様です。「この罪深い世界をそのままに受け入れさせてください」との祈り。心に覚えたい内容です。
ハッピー・サバス!(幸せな安息日を!)

磯部豊喜

金曜日サンセット礼拝 URL 11月06日(金)16:30 地区内教会のビデオ紹介、
メッセージ:尾上史郎(教育局長・三育学院中学校校長) 特別讃美:三育学院中学校聖歌隊
https://youtu.be/yzgdAAtlKho
安息日学校 URL 11月07日(土)09:40 聖書の学び(パネラー):森祐二(光風台三育小校長)、東清志(牧師)、長谷川徹(牧師)、 教育機関紹介:尾上史郎(教育局長・三育学院中学校校長) 地区発表、ABC(アドベンチストブックセンター)の案内
https://youtu.be/MR9TOd5gU7E
安息日礼拝説教 URL 11月07日(土)11:00 説教者:小濱守宏(千葉茨城地区地区長) 特別讃美:三育学院中学校聖歌隊
https://youtu.be/TsW3JrgIaaQ
土曜サンセット礼拝 URL 11月07(土)16:30 メッセージ:宮本安喜(柏教会牧師) 近隣地域への活動紹介
https://youtu.be/WIaYtqYsBwU

みことばの花 201106「ニーバーの祈り②」

みことばの花 201106「ニーバーの祈り②」

「いつも喜んでいなさい。」(Ⅰテサロニケ 5:16 口語訳) 

「一日一日を生き、この時をつねに喜びをもって受け入れ、困難は平穏への道として受け入れさせてください、」これは昨日記しましたニーバーの冒頭の祈りに続く言葉です。
果たして、わたしは毎日、喜びの生活を送っているでしょうか。
「クリスチャンというのは、『いつも喜ぶ』という器用さが要求される人なのだろうか…」などと気難しく考える人がいます。
上記の御言葉は、パウロの書かれた珠玉のメッセージの一つですが、実行は実に難しい。
時折「喜ぶ」ことが出来ても「いつも喜ぶ」となるとどうか。
ニーバー先生は、そのことを知ってかどうかは分かりませんが、「一日一日を生き、この時をつねに喜びをもって受け入れ」と祈りの言葉に変えています。
「困難」に遭遇するのは嫌なことです。しかしこの困難さえも「平穏への道として受け入れ」ることが出来たら素晴らしいことです。
「いつも喜ぶ」ことが実現するには、祈りが不可欠のようです。

磯部豊喜