みことばの花 201217「クリスマスの役割・・・父ヨセフ②」

みことばの花 201217「クリスマスの役割・・・父ヨセフ②」 

「ヨセフは眠りからさめた後に、主の使が命じたとおりに、マリヤを妻に迎えた。」(マタイ1:24 口語訳)

ヨセフと神の御子イエスは血縁において無関係です。ですがヨセフは神の御子イエスの父として選ばれました。
神の御子は、ダビデ家から生まれることになっていました。それでヨセフが父として選ばれたのかも知れません。
ですがもう一つ大きな理由がありました。
ヨセフは常識的な人でしたが、イエスの母に選ばれたマリヤ同様、神様からのメッセージが届いた時には、疑いを捨て、素直に従う人でした。
上記の聖句の続きに「しかし、子が生れるまでは、彼女を知ることはなかった。
そして、その子をイエスと名づけた」と書かれています。聖霊とマリヤで結ばれた神の御子の誕生を大切にされたという。
ヨセフは信仰ゆえ、自制力を働かせます。そういう人でしたから、彼は神の御子の父(養父)になることが出来たのだと私は考えています。
今日も主の恵みがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 201216「クリスマスの役割・・・父ヨセフ①」

みことばの花 201216「クリスマスの役割・・・父ヨセフ①」

「夫ヨセフは正しい人であったので、彼女のことが公けになることを好まず、ひそかに離縁しようと決心した。」(マタイ 1:19 口語訳)

聖書は妄信とか非常識のことを書いてある本のように考える人がいますが、決してそのようなことはありません。
先のマリヤも処女である自分に神の子が宿ることを聞き、「どうしてそのようなことがあり得ましょうか」と常識的な質問を天使にしています。
イエスの父となったヨセフも同じです。
彼は愛するマリヤから「自分は聖霊によって身ごもった」との告白を「マリヤは別の男性と関りをもった」と思ったに違いありません。
ユダヤでは婚約中に異性と交わると石打ちにされることが許されました。
ですが愛情深いヨセフは、そのようなことはできない。そこで自分が身を引くことを決心します。
ヨセフがそのように考えていると、天使が彼の夢に現れて「ダビデの子ヨセフよ、心配しないでマリヤを妻として迎えるがよい。
その胎内に宿っているものは聖霊によるのである」と語りました。(…明日に続きます。)
今日も主の恵みがありますように。

磯部豊喜

みことばの花201215「クリスマスの役割・・・天使②」

みことばの花201215「クリスマスの役割・・・天使②」

「神には、なんでもできないことはありません。」(ルカ 1:37 口語訳)

昨日は天使の前置きの言葉に触れましたが、上記は天使がマリヤに語った最後の言葉です。
メッセージを語るとき、どういう言葉で終えるかは、話し手にとっていつも苦労するところです。
賢い天使は、「神の御子が人の中に宿る」という人知では到底考えられない内容を告げるにあたり、乙女マリヤに上記の言葉をもって語り終えました。
「神には、なんでもできないことはありません」。神のご性質を表現したものに「全知全能」という言葉があります。
神はすべてことをご存じで、どんなことでもおできになるという意味です。
ですがこれを人はなかなか信じることができません。
たとえば「なんでもできないことはありませんというならば、なぜ新型コロナ感染を野放しにしておくのか」などの疑問。
私はこれについてこう受け止めています。神が手を下せばすぐにこれは収まる。
そこでこういう逆境の時、「わたしのしていることは今あなたにはわからないが、あとでわかるようになる」(ヨハネ13:7 口語訳)との主イエスの御言葉を思うことにしています。

磯部豊喜

みことばの花 201214「クリスマスの役割…天使①」

みことばの花 201214「クリスマスの役割…天使①」

「御使がマリヤのところにきて言った、『恵まれた女よ、おめでとう、主があなたと共におられます』。」(ルカ1:28 口語訳)

聖書に「御使(みつかい)」と書かれているのは、誰かに何かを頼まれてそれを届ける者「お使い」と字は似ていますが、これは「天使」のことです。
この天使の仕事も、天の神様からの言い伝えを果たすことでしたが、この天使には特別な使命が授けられていました。
神の御子イエス・キリストがその女性の胎内に宿ることを知らせることでした。
彼は用向きを伝えるために細心の注意を払っています。
大事な話をする場合に前置きをすると効果的ですが、天使は上記のように語り始めました。
「恵まれた女よ、おめでとう、主があなたと共におられます」。まずマリヤに思い巡らす機会を与えました。
そして本題に入る。私の場合、この丁寧さが時々抜けてしまいます。前置きの大切さを、この天使から学べる気がします。

磯部豊喜

みことばの花 201213「クリスマスの役割…母マリヤ」

みことばの花 201213「クリスマスの役割…母マリヤ」

「そこでマリヤが言った、『わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように」。そして御使は彼女から離れて行った。』」(ルカ 1:38 口語訳)

いよいよ今年もクリスマスの季節が到来しました。そこでクリスマスにまつわる登場者のことをしばらく扱ってみたいと思います。
そのトップは何といても母マリヤです。彼女は天使から神の御子がその胎内に宿るという御告げを受けます。
その直後、彼女は「どうして、そんな事があり得ましょうか。わたしにはまだ夫がありませんのに」と言い返すのですが、
天使よりその詳細について聞いた後は、「わたしは主のはしためです。お言葉どおりにこの身に成りますように」と言い切ることが出来ました。
「そんな…とんでもない」と拒む続けることも出来たことでしょう。
ですが疑い続けて終える人生よりも、どこかで折をつけて神の御声を信じる世界に進む、
そこに大いなる祝福があるという事実をキリストの母として選ばれた乙女は、私どもに教えてくれます。
今週も主の恵みがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 201212「客間」

みことばの花 201212「客間」

「初子を産み、布にくるんで、飼葉おけの中に寝かせた。客間には彼らのいる余地がなかったからである。」(ルカ 2:7 口語訳)

アメリカのある村の教会で、クリスマスの日に行われるイエス様の誕生劇を子供たちが担当しました。
母のマリヤ、父ヨセフの役、羊飼い、天使…など定番の役割が決まりました。
ところが、一人だけ知恵遅れの子が役からもれていたことに気づき、宿屋の子供の役としました。
セリフは一つ、「だめだ、部屋がない」といい、馬小屋に指を指す。練習でうまくいき、本番を迎えた。マリヤとヨセフが宿屋に来ました。
「だめだ、部屋がない」と無事にセリフを終えた。
ところが馬小屋に向かって歩いていく二人に、その男の子は泣き出して「マリアさん、ヨセフさん、馬小屋に行かないで、馬小屋は寒いから…」と語った。
劇は中断しましたが、感動的なクリスマス劇になったという。
決まりきった役割に流されがちな人生に、この子のように「客間にとまって」と言える豊かな心を加えたいものです。
ハッピーサバス!

磯部豊喜

みことばの花 201211「長く生きる」

みことばの花 201211「長く生きる」

「あなたの父と母を敬え。これは、あなたの神、主が賜わる地で、あなたが長く生きるためである。」(出20:12 口語訳)

ネットで発見したニュースの内容です。昨年5月、小学3年生の息子が登校するのを渋り始めた。
母は看護師として息子と顔を合わすことが難しく祖母が面倒を見ている。集団行動が苦手、すぐ手が出てしまう。息子は発達障害ではないか、と疑った。
暴言や暴力が増えてきたが、学校に行きたくないと言う息子を何とか毎日送り出していた。
…その息子が今年、学校で出された子供へのアンケート「今の自分を見つめよう」の質問欄の一つ「自分のいいところ」に、
「生きてる」と書いてあったのを見、母は思わず涙して、息子を抱きしめたという。
子供が「長く生きる」ことほど親にとって嬉しいことはない。上記の聖句を思い出しました。
今日も主の守りがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 201210「生かされる②」

みことばの花 201210「生かされる②」

「アダムにあってすべての人が死んでいるのと同じように、キリストにあってすべての人が生かされるのである。」(Ⅰコリント 15:22 口語訳)

昨日、取り上げた聖句の解説を私なりにしてみたいと思います。ここには二人の名が記されています
一人は人祖アダムで、あと一人は神の御子キリストです。
前者のアダムは、神様の前に罪を犯し、この世界に死をもたらした張本人で、私どもはその子孫です。
それゆえ「すべての人が死んでいる」とあります。この聖句を見て、「アダム」ほど自分の行為を悔やんだ人はいないと思う。
ドミノ倒しのように、人はアダム以来、罪とその結果である死の定めを受け継いでいます。
ですがそのドミノ倒しをストップしてくださった方がおられる。それがキリストです。彼は罪を犯さず口にも一点の偽りもなかった。
人はこのキリストを私の救い主として受け入れるならば誰でも「永遠の命に生かされる」のです。
今日も主の恵みがありますように。

磯部豊喜

みことばの花 201209「生かされる①」

みことばの花 201209「生かされる①」

「アダムにあってすべての人が死んでいるのと同じように、キリストにあってすべての人が生かされるのである。」(Ⅰコリント 15:22 口語訳)

昨日12月8日は、79年前(1941年)に日米開戦(真珠湾攻撃)の行われた日ですが、
空母蒼龍の艦載機の搭乗員として参戦した、吉岡政光さんのことが新聞に取り上げられていました。
吉岡さんは現在102歳。当時23歳ということになります。あの真珠湾攻撃の体験者が今も生きておられたことに、驚きと人の命の不思議を感じます。
吉岡さんが戦争体験を話し始めたのが2年前という。
「戦死した人たちが気の毒で、私みたいにのうのうと100歳過ぎまで生きていて、悪いなと思っていますよ」、
そして「今でもいつ戦争になるか、そんな気がしますから、よっぽど外交をしっかりやらないと。
国民がしっかりして、みんなと仲良くするよう努力しなくちゃいけないと思いますね」。
この記事を見て、人には役割があって生かされていると思いました。
そして上記の聖句のように、「キリストにあってすべての人が生かされる」というみ言葉が私の心に染みるのです。

磯部豊喜

みことばの花 201207「やりとげる」

みことばの花 201207「やりとげる」

「だから今、それをやりとげなさい。あなたがたが心から願っているように、持っているところに応じて、それをやりとげなさい。」(Ⅱコリント 8:11 口語訳)

今朝の新聞第一面に「はやぶさ2カプセル帰還」とありました。
「小惑星探査機『はやぶさ2』が地球の重力圏に帰還し、小惑星『リュウグウ』の砂が入っているとみられるカプセルを送り届けた」とのこと。
そのカプセルの名は「玉手箱」だそうですが、それならば探査機の名前は「はやぶさ2」でなく「浦島太郎」にしてはどうかなどと勝手に思いました。
『はやぶさ2』は、「玉手箱」を地球に投下して後、新たな探索の旅へ出たそうです。こ
の日本のプロジェクトチームが、これを「やりとげた」ことは本当にすごいことだと思います。
聖書に中にも「やりとげさない」と連呼されている箇所があります。
初心貫徹、「やりとげる」というのは響きの良い言葉です。
今日は「やりとげる」を心に刻みたい。

磯部豊喜