みことばの花 201227「ラストスパート」 

みことばの花 201227「ラストスパート」 

「だれがヤコブの群衆を数え、/イスラエルの無数の民を数え得よう。わたしは義人のように死に、/わたしの終りは彼らの終りのようでありたい」。」(民数記 23:10 口語訳)

さて今週は、いよいよ2020年のカウントダウン週。コロナで始まりコロナで終わる衝撃的な一年が間もなく終わります。
このような空気の中で、年末ラストスパートの一週間などと、活きの良いことなど言っていられない気がします。
実は明日、私が昨日記したあの眠りにつかれた知人F氏の葬儀を仕切ることになります。
死ほど人生を語るものはありません。上記は旧約聖書バラムという預言者の言葉です。
彼は神を知る預言者でありながらその欲深さのために人生を台無しにした人。それでいて上記のような思いを吐露(とろ)した人。
「義人のように死に、わたしの終りは彼らの終りのようでありたい」…こういう願いを持つことは良いだと思う。
ですが私自身は後半部を次のように換えたい。「わたしの生き方は彼らのような生き方でありたい」と。
人生のラストスパートも含めて人生を真剣に考えたいと思う。
主の愛が今日も注がれますように。

磯部豊喜

みことばの花 201226「明日は」

みことばの花 201226「明日は」

「見よ、あなたがたは喜び楽しみ、牛をほふり、羊を殺し、肉を食い、酒を飲んで言う、『われわれは食い、かつ飲もう、明日は死ぬのだから』。」(イザヤ 22:13 )口語訳)

この聖書にある言葉は、あまり好きな言葉ではありません。希望を失っている人の言葉だからです。
ですがこのように語る人の命の受け止め方は、責めることは出来ません。実は今週の日曜日、私は一人住まいの知人宅を訪ねました。
この知人をサポートしている方からの連絡を受け訪ねたのですが、無念なことにその知人は部屋の片隅で命を落としていました。
人の命の定め、それは誰も知ることが出来ません。
ところで河野進さんの詩の中に「また」というタイトルの詩があります。
「また会えると思うから 言葉も態度も ついそまつになる 明日は どうなるか 分からないのに ごうまんさ おろかさ」。
毒気を放って終わるのでなく、良い終わり方が出来たらと思う。そして永遠の明日に結びつく日々を過ごせたらと思う。
今日は聖なる第七日安息日、心の中の毒気を処理して頂き、神の愛の空気を一杯吸いたいと願う。
ハッピーサバス!

磯部豊喜

みことばの花 201225「望みを与える言葉」

みことばの花 201225「望みを与える言葉」

「あなたを恐れる者はわたしを見て喜ぶでしょう。わたしはみ言葉によって望みをいだいたからです。」(詩篇119:74 口語訳)

今、各国の首相が語る言葉が注目されています。新型コロナ対策をどのようにしてアッピールするかがその話題です。
以前は力強く「新型コロナとの戦いをアッピールしていた」フランスのマクロン大統領。ご自分が感染してしまい、優しい語り口調に変えられました。
すると国民は、大統領の言葉を受け入れるようになっていると言います。厳しい口調の必要な場合もあるでしょう。
ですが一方で、国民目線に合わせて語るのはとても効果的のようです。
ところでイエス・キリストの語り口調はどうだったのか、と考えることがあります。
イエス・キリストの語り口調の特徴は、その場その場によって異なっていたと考えられますが、その基本は人に寄り添う語り口調ではなかったかと思います。
人の罪を譴責する場合にも涙があふれていたといいます。
望みを与える優しい言葉を語る者になりたいものです。

・・・・・・・
12月26日(土)ライブ配信 URL です。
安息日学校 URL 12月26日(土)10:00 SS聖書の学び13課「天国、教育、永遠の学び」 磯部豊喜
https://youtu.be/VtGZRg5817g
礼拝説教 URL 12月26日(土)11:00 説教題「主が来られるときまで」 磯部豊喜
https://youtu.be/wkiSSWoBzes

磯部豊喜

みことばの花 201224「クリスマスの役割…幼な子」

みことばの花 201224「クリスマスの役割…幼な子」

「イエスはますます知恵が加わり、背たけも伸び、そして神と人から愛された。」(ルカ 2:52 口語訳)

今日はクリスマスイブです。ここ幾日かを用いて「クリスマスの役割」を紹介させて頂きましたが、その役割中での本命は、「幼子イエス」です。
このお方を抜きにクリスマスを語ることが出来ません。
父ヨセフ、母マリヤ、ベツレヘム近郊の羊飼いたち、東から来た博士たち…どの方々も、純粋で素晴らしい心を持つ人々でしたがこれもみなイエス・キリストに比すならば、色褪せます。
なぜなればイエス・キリストは罪なき神の御子であり、全人類の救い主となられたお方だからです。
ヨハネがその福音書の中に「この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。」(ヨハネ1:4 口語訳)と述べられたお方は、世界にただ一人。
幼少時代に「神と人から愛された」イエスこそ、クリスマスの主役です。
この事実を覚えたい、語りたい。メリークリスマス!

磯部豊喜

みことばの花 201223「クリスマスの役割・・・博士④」

みことばの花 201223「クリスマスの役割・・・博士④」

「そして、家にはいって、母マリヤのそばにいる幼な子に会い、ひれ伏して拝み、また、宝の箱をあけて、黄金・乳香・没薬などの贈り物をささげた。」(マタイ 2:11 口語訳)

もし人生の最大の発見があるとしたら、神の御子イエス・キリストを見いだすことです。
東の国から来た博士たちは、神の御子を見いだしました。そして非常に喜び、用意していたささげものを捧げました。
「黄金・乳香・没薬」これらが「宝の箱」に入っているとありますので、どれも非常に高価なものであることが分かります。
これらの贈り物は役に立ったのか…などと考えるのですが、ヨセフとマリヤは幼な子を連れて、神の御告げを受けてヘロデ王が刺客を送ったベツレヘムを急ぎ立ち、エジプトに逃れます。
このエジプトでの生活を支えたのがこれらの宝物ではないかと察することが出来ます。
そう考えると、これは実にタイムリーな捧げもの。
「人の贈り物は、その人のために道をひらき、また尊い人の前に彼を導く」(箴言18:16 口語訳)とある捧げもののようです。

磯部豊喜

みことばの花 201222「クリスマスの役割・・・博士③」

みことばの花 201222「クリスマスの役割・・・博士③」

「彼らはその星を見て、非常な喜びにあふれた。」(マタイ2:10 口語訳)

博士たちを導いた星は、ベツレヘムのある場所でピッタと停止しました。
こうして博士たちは、父ヨセフ、母マリヤ、そして後にキリストと呼ばれる幼な子イエスに出会うのです。
求め、行動を起こし、捜しあてた博士たちの喜びは、言葉では言い表すことが出来ません。
かつて私は人生を送る意味が分からずに放浪していた時がありました。
少しばかり哲学書を手にし読んだこともありましたが、そこで人生の意味を見いだすことはありませんでした。
人生に意味を見いだせないと感じていた私は刹那的な生き方、パチンコ、競馬などに無駄な金銭と時間を使ったこともあります。
しかし聖書を学び始めてイエス・キリストを知りました。
その時の喜びは博士たちのように今でも続いています。

磯部豊喜

みことばの花 201221「クリスマスの役割・・・博士②」

みことばの花 201221「クリスマスの役割・・・博士②」

「彼らは王の言うことを聞いて出かけると、見よ、彼らが東方で見た星が、彼らより先に進んで、幼な子のいる所まで行き、その上にとどまった。」(マタイ 2:9 口語訳)

ユダヤの王宮には、王として生まれた新生児はおらず、博士たちが再び、出かけると、東方で見た星が現れ、彼らを幼な子の所まで導いた。
ところでこの博士たちの出身地はユダヤから見て東の方。これは今のイラクあたりを指している。そこから夜行軍ではるばるとユダヤまでやってきたのです。
マタイ7:7(口語訳)に「求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。」とありますが、彼らはそれを証明しています。
真に「求める」人は、光が示されたら行動を起こします。「捜して、門をたたいて」ついに「開けてもらえる」すなわち見いだすのです。
博士たちは、こうして幼な子に会ったというのです。

磯部豊喜

みことばの花 201220「クリスマスの役割・・・博士①」

みことばの花 201220「クリスマスの役割・・・博士①」

「ユダヤ人の王としてお生れになったかたは、どこにおられますか。わたしたちは東の方でその星を見たので、そのかたを拝みにきました」。(マタイ 2:2 口語訳)

神の御子の誕生に駆け付けたもう一種類の人々のことが聖書に記されています。
それは東の国の博士たち。口語訳聖書では「博士たち」と訳されていますが、新共同訳聖書では「占星術の学者たち」と訳されています。
どちらも正しい。彼らは異教徒でしたが真理をまじめに追及する人々でヘブライの聖書を調べていました。
彼らはある日、不思議に動く星を発見。そして「わたしは彼を見る、しかし今ではない。わたしは彼を望み見る、しかし近くではない。
ヤコブから一つの星が出、/イスラエルから一本のつえが起り、/モアブのこめかみと、/セツのすべての子らの脳天を撃つであろう」(民数記24:17 口語訳)
という聖句を見たと思われます。
彼らは星の進む方向へ進み、ユダヤに到着。さらに王宮を訪問し、語ったのが上記の言葉。何と熱心な求道心でしょう。
博士たちのような求道心を、私も常に持ちたいと願うのです。

磯部豊喜

みことばの花201219「クリスマスの役割・・・羊飼い②」

みことばの花201219「クリスマスの役割・・・羊飼い②」

「御使たちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼たちは『さあ、ベツレヘムへ行って、主がお知らせ下さったその出来事を見てこようではないか』と、互に語り合った。」(ルカ 2:15 口語訳)

真の信仰いうものは、常にその人の生き方に結びついています。
「救い主が誕生した」という天使の御告げを受けて、羊飼いたちは深く感動し、上記の言葉と共に行動に移しました。
この行動こそ、紛れもない信仰の表明です。
「はい、わかりました。早速行きます。」と口で語っても、もしそれが行動に移されなければ、それは単なる信仰告白であって真の信仰ではありません。
この羊飼いたちは、心から救い主の誕生を待っていたのでしょう。
行動に結びつく信仰こそ本当の信仰であることを、この羊飼いたちは教えてくれます。
ハッピーサバス!

磯部豊喜

みことばの花 201218「クリスマスの役割・・・羊飼い①

みことばの花 201218「クリスマスの役割・・・羊飼い①」

「きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである。」(ルカ 2:11 口語訳)

このみ言葉は、クリスマスのチラシなどに良く引用される聖句です。この聖句の言葉は、誰が誰に向かって語られた言葉でしょう。
それはベツレヘムの近郊において夜通し羊の群れの番をしていた羊飼いたちに、天使が近づいて語られた御言葉です。
なぜこの羊飼いたちを天使は選ばれたのでしょうか。
その時代、多くの人々は俗事に没頭していて、神の御子の誕生を聞いたとしても何の関心も持たないことを天使たちは知っていたからです。
ですがベツレヘム近郊のここにいる羊飼いたちは、救い主の誕生を心から待ち望んでいたのでしょう。
聖書に「求めよ、そうすれば与えられる」とあります。神は求める人々に、メッセージを託されます。
この羊飼いたちは、天使より上記のメッセージと共に救い主がベツレヘムに生まれることを聞きます。
その後の彼らの行動を見る時、その真相が分かります。

磯部豊喜
・・・・・・・
12月19日(土)ライブ配信 URLです。なお過去のSS&説教はSDA千葉教会ホームページ(http://sda-chiba.org/)で視聴が可能です。

安息日学校 URL 12月19日(土)10:00 SS聖書の学び 12課「安息日―神のご品性を体験し、生きる」 磯部豊喜
https://youtu.be/4ib2tXLSHcM

礼拝説教 URL 12月19日(土)11:00 説教題「クリスマスの捧げもの」 磯部豊喜
https://youtu.be/XYDLAap_o9w