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みことばの花 180825「マナ1」

みことばの花180825「マナ1」

「イスラエルの家はその物の名をマナと呼んだ。それはコエンドロの実のようで白く、その味は蜜を入れたせんべいのようであった。」(出 16:31)

モーセに授けられた十戒は、出エジプト20章に記されています。その十戒の第4条は「第七日安息日」の教えです。第七日安息日は十戒の時に与えられたと考える人がいますが、十戒が与えられる前から、第七日安息日の教えは、出エジプト記16章にもありました。神様は6日間、上記のみことばにあるようにマナというパンを荒野生活するイスラエル民族のために天から降らせました。ところが7日目だけは、降らせなかった。マナと呼ばれたパンが降る日は現在の日~金で、土曜日には降って来なかった。安息日の前日(金曜日)には2倍のマナを集めるように告げました。日~木までのマナは翌日には腐りました。しかし金曜日に降ったマナだけは、腐ることなく土曜日にも食することが出来たのです。こうしてイスラエル民族が体験的に第七日安息日には仕事をしないで、神様と交わる日を過ごすようにされたのです。金曜日の日没は、安息日の始まり。第七日はキリストとの交わりを楽しむスペシャルデーです。ハッピーサバス!

磯部豊喜

みことばの花 180824「大いなる苦しみ」

みことばの花180824「大いなる苦しみ」

「見よ、わたしが大いなる苦しみにあったのは、わが幸福のためであった。あなたはわが命を引きとめて、滅びの穴をまぬかれさせられた。これは、あなたがわが罪をことごとく、あなたの後に捨てられたからである。」(イザヤ 38:17)

メーン・ド・ビランというフランスの哲学者の言葉です。「自分が存在することを感じるのは、ほとんど健康でない人だ…。健康は、私どもを私どもの外に連れて行き、病気は、私どもを私どもの内に連れ戻す」。人は病むことによって、命に敏感になる、人生に深みが増すということでしょうか。徒然草の著者、吉田兼好は、「病なく身強き人」を友人にしたくないと言っています。確かに苦しみに出会わない人よりは、それに出会う人のほうが人の心身の痛みが分かる気がします。聖書も「わたしが大いなる苦しみにあったのは、わが幸福のためであった」と書いています。苦しみや挫折は、人をして味のある人にしてくれるような気がします。とは言っても、「苦しみよ来たれ~」とまで言える人になれませんが、不意に苦しみがやって来た時、それも益であること(私を幸福に導くものであること)を覚えたいものです。

磯部豊喜

みことばの花 180823「つまびらか」

みことばの花180823「つまびらか」

「あなたがたは主の書をつまびらかに/たずねて、これを読め。これらのものは一つも欠けることなく、また一つもその連れ合いを欠くものはない。…」(イザヤ 34:16)

「ユダヤ人には文盲(もんもう)はいない」といいます。「文盲」とは、無学で読み書きができないことですが、ユダヤ人を文盲から守ってきたのは、聖書を読む習慣があるからだという。ユダヤの家庭では子供が物心がつくと聖書を開き、そこへ蜜を落とし、そこに子供に口づけさせます。これはこの書物が甘いということを教えるための儀式。ユダヤ人はこうして子供の頃より聖書に親しむために文盲がいなかったというのです。さて、聖書の預言者は「あなたは主の書(聖書)をつまびらかに/たずねて、これを読め」と語っています。ただ読むのではない。「つまびらかに…これを読め」という。「つまびらか」とは「くわしく」「事こまやかに」という意味です。聖書にはそのように読む価値があります。これは人生の単なる豊かな生き方の処方箋(しょほうせん)があるばかりでなく、永遠の命への鍵が書かれているからです。どうぞ日々、聖書を「つまびらか」に学んでみませんか。今日も主の愛がありますように。

磯部豊喜

みことばの花 180822「昼の間に」

みことばの花180822「昼の間に」

「わたしたちは、わたしをつかわされたかたのわざを、昼の間にしなければならない。夜が来る。すると、だれも働けなくなる。」(ヨハネ 9:4)

この聖句についてこんなコメントを見ました。「ここには二つのポイントがあります。一つ目は、神が私たちに与えてくださった仕事があるということです。キリストご自身も自分の計画ではなく、父なる神を求め、神が与えてくださった計画を毎日成し遂げていったことが聖書に記されています。そして二つ目は、その神が与えてくださった仕事をするための時間に制限があるということです。聖書の預言に書かれている、キリストが再び来られる再臨の前兆が世界各地で見られ、時代が急速に進んでいることに限らず、私たちに与えられている命にも限りがあるのです。誰にも明日のことはわかりません。事故や災害などで突然命が奪われるかも知れないのです。今日できなかったことが明日できるとは限らないのです」(サインズ2018.09号p17)。とても考えさせられるメッセージです。「昼の間に」すべきことをする。今日一日をムダに過ごしやすいわたしですが身が引き締まる思いがしました。主の守りが今日もありますように。

磯部豊喜

みことばの花 180821「記念」

みことばの花180821「記念」

「主はそのくすしきみわざを記念させられた。主は恵みふかく、あわれみに満ちていられる。」(詩篇 111:4)

今甲子園球場がにぎわっています。いよいよ今日は決勝戦だそうです。決勝まで残った二校は、金足農業高校(秋田代表)と大阪桐蔭高校(大阪代表)。今回の高校野球は100回記念。そしてこの両校、金足農業高校が勝てば東北初の優勝となり、大阪桐蔭高校が勝てば春夏連覇が2回目となる初の記録となると聞いています。100回記念に相応しい、決勝戦になりました。どちらが勝つのか…、今日中に分かります。さて聖書の中にも記念とされる事柄が多く記録されています。聖書の記念を調べていて、素敵なみことばに出会いました。上句の聖句です、「主はそのくししきみわざを記念させられた」。主のくすしきわざとは何でしょう。私にとってそれはキリストの十字架の死であり、復活です。この神の記念は、永遠の世界への入り口となります。この記念を心に刻んで、希望をもって歩みたいと思います。今日も主の恵みがありますように。

磯部豊喜