ブログ
ブログ一覧
みことばの花 181002「虫(1)」
みことばの花181002「虫(1)」
「主は言われる、『虫にひとしいヤコブよ、イスラエルの人々よ、恐れてはならない。わたしはあなたを助ける。あなたをあがなう者はイスラエルの聖者である。』」(イザヤ41:14)
台風24号は過ぎ去りました。今は北の彼方に消えてゆきました。さて、昨日の虫たちはどうなったのか?虫学者のように彼らの動きにこだわって、昨晩耳をそば立ててみました。風の音が強く騒いでいましたが、その中で虫の合唱は昨晩も、台風前と変わらずに響いていました。激しい嵐の中、どこに隠れていたのでしょう。ところで聖書は、「虫」が登場する場面には、「虫」は人を困らせるものとして描いているところが多いです。マイナスイメージの多い「虫」ですが、上記の聖句を発見しました。「虫にひとしいヤコブよ」と切り出します。ここでの「虫」は弱く、存在感のないような対象として描かれています。ですがそのような者を、主は「わたしはあなたを助ける。…」と慰め、励ましてくださいます。私自身、時々、「自分はこの『虫』のような存在だ。あまり価値のある者ではない…」などと否定的に自分を眺めてしまう時があります。そのような私に、主はこのみ言葉を教えてくださいました。主に助けてもらえるならば、そう「虫」で結構なのだ。虫のように強風の中でも神を賛美しよう!
磯部豊喜
みことばの花 181001「あらしの過ぎ去るまでは」
みことばの花181001「あらしの過ぎ去るまでは」
「神よ、わたしをあわれんでください。わたしをあわれんでください。わたしの魂はあなたに寄り頼みます。滅びのあらしの過ぎ去るまでは/あなたの翼の陰をわたしの避け所とします。」(詩篇 57:1)
久しぶりに一句、詠みました。「暴風雨、近づく前に、虫合唱」。昨日の夜、嵐の前の静けさと言いますが、静かなどころか、昨晩は近づく台風をよそに夜の空気は虫たちの合唱でふるえていました。一方の気象情報に生きる人間の世界では、台風ニュースの合唱です。しかし虫たちは「僕らには、そんなの関係ない!」とにぎやかな合唱。果たして、暴風雨の時、彼らはどのようにそれを過ごして行ったのか。豪雨後に彼らの合唱は?…そんな妙なことを真面目に考えてしまいました。「雨降れば地固まる」と言います。では「嵐過ぎれば…」何となる。虫たちに何か学ぶことができるのかと、今夜も耳をそば立てようと思っています。激しく荒れ狂う嵐は過ぎ去りました。午前3時頃、玄関のチャイムが強風に押されて「ピン、ポーン…」と数分間鳴りました。こんなことは初めてです。それでも昨晩は上記のみ言葉を心に浮かべ、「あらしの過ぎ去るまでは、主の翼の陰をわたしの避け所とし」て、過ごすことが出来たことは感謝です。「嵐過ぎれば賛美固まる」。
磯部豊喜
みことばの花 180930「助かる最後の望み」
みことばの花180930「助かる最後の望み」
「幾日ものあいだ、太陽も星も見えず、暴風は激しく吹きすさぶので、わたしたちの助かる最後の望みもなくなった。」(使徒 27:20)
それにしても災害が次々とやってきます。台風24号が日本を縦断しようとしています。「非常に強い台風」とニュースは伝えます。私どもは、戦線恐恐(せんせんきょうきょう)として、無事に台風の過ぎ行く時を待っているのですが、海外でもまた大きな地震と津波による災害がありました。インドネシアです。「M7.5地震・津波によって死者384人、重傷者が540人に達し、29人が行方不明と発表した。犠牲者はさらに増える恐れがある」とあります。人が災害に遭うとき、上記の聖句のように「わたしたちの助かる最後の望みもなくなった」となるのでしょうか。上記の聖句は、暴風にさらされた船が危険の中に置かれた時に、当事者が書いたものです。しかしこれを読み進むと、船に乗っていた276人が全員無事だったことを記録しています。「助かる最後の望み」はあった。それは神を信じるパウロと共におられた神様でした。「困った時の神頼み」と言いますが、これは窮極の世界です。困った時、神様(創造主なる神)に祈る。これは最高の救いの道だと聖書は教えています。
磯部豊喜
今週のお花 (9月29日)
みことばの花 180929「関係を深める」
みことばの花180929「関係を深める」
「神はわたしたちの罪のために、罪を知らないかたを罪とされた。それは、わたしたちが、彼にあって神の義となるためなのである。」(Ⅱコリント 5:21)
昨日、わたしは「この罪から私たちを解放するためにイエス・キリストが来られて十字架にかかって死んでくださったという。これを『よき訪れ』と呼びます」と書きました。命の主である神様から離れている以上、人は永遠に滅びるしかありません。ちょうど切花のように、根元から切られている姿が罪人の姿です。根につながっていない限り、そこには本当の命(永遠の命)がありません。切花が数日しか咲くことができないように、神様と言う根元から切り離された人間もその命は80年前後です。キリストの十字架の死は、神との断絶という罪を根本的に解消するためのものでした。私の罪が十字架の上でキリストの上に置かれた。神とつながっていたキリストが、わたしの変わりに罪そのものとなってくださった。キリスト者はこのキリストの愛を信じ、神様との関係を深めようとします。今日は第七日安息日です。神様との関係を深める尊い日。神様と関係を深める生き方が、キリストを信じる人の心に芽生えてきます。今日もさらなるキリストの愛を知ることができますように。
磯部豊喜
