ブログ
ブログ一覧
今週のお花 (10月6日)
みことばの花 181006「変わらない日」
みことばの花181006「変わらない日」
「そこで、その安息にはいる機会が、人々になお残されているのであり、しかも、初めに福音を伝えられた人々は、不従順のゆえに、はいることをしなかったのであるから、」(ヘブル 4:6)
昨日は「変えられる人は変えられる」ということを書かせて頂きました。今度は「変えられない日は変えられない」ということを書かせていただきます。「変えられない日」とは「第七日安息日」のことです。第七日は天地万物の創造の記念日として神様によって用意されました。創造されたアダムとエバは、第七日安息日に神様との交わりに時間をさいて過ごしました。神様と交わる時に人は心に安息を持つことが出来ます。神は愛だからです。真の愛に触れる時、わたしどもの心は満たされます。上記はキリストの弟子に導かれたパウロが書いた言葉です。「安息にはいる機会が、人々になお残されている」と彼は聖書の中に書きました。8節に「もしヨシュアが彼らを休ませていたとすれば、神はあとになって、ほかの日のことについて語られたはずはない。」と、この安息日が変えられていないことを語っています。
安息日は、天地万物が創造されたときから「第七日」でした。それは今も変わらずに続いています。では「第七日安息日」は今日のカレンダーでは何曜日なのか。金曜日の日没~土曜日日没になります。どうぞ神様との交わりをしてみませんか。※今日も千葉教会では花田牧師による講演会が用意されています。
磯部豊喜
みことばの花 181005「変えられる」
みことばの花181005「変えられる」
「というのは、ラッパが響いて、死人は朽ちない者によみがえらされ、わたしたちは変えられるのである。」(Ⅰコリント 15:52)
「変えられる人は変えられる」という言葉をご存知でしょうか。反対に「変えられない人は変えられない」のです。前者の「変えられる」とは、生き方の変化を指しています。これまで神様にソッポを向いていた人がその心の方向を変えて生きることです。心の正面を神様に向き合わせることです。そうすれば、地上の命を閉じる時に心配する必要はなくなります。「死人は朽ちない者によみがえらされ」るからです。今日の10月5日~10月7日まで私どもの千葉教会では3日間の講演会を行います。講師ゲストの先生は、若いときに統一原理協会というところに人生の命を預けて活動していましたが、後にイエス・キリストに出会って全く変えられた人です。その方の名は花田憲彦牧師。この牧師さんはいつもイエス・キリストを語ることに熱く燃えています。イエス・キリストが大好きなので、イエス・キリストの愛と希望を分かりやすく語ってくださると思います。総タイトルは「神様からのラブレター」。可能な人は是非、千葉教会へいらしてください。
※10月5日(金)18:30~20:00、10月6日(土)10:30~12:00、10月7日(日)14:30~16:00、の3回です。会場は、SDA千葉教会(千葉市若葉区桜木5-15-1 3F)
磯部豊喜
みことばの花 181004「舟を軽くした」
みことばの花181004「舟を軽くした」
「みんなの者は、じゅうぶんに食事をした後、穀物を海に投げすてて舟を軽くした。」(使徒 27:38)
9月30日の続きです。「困った時の神頼み」という信仰の世界は確かにあります。ですが、ここで一つ問う。では人間は何もしなくても良いのか。聖書はこの記録においてパウロとその一行は、ただ手を合わせて祈るだけで何もしなかったとは書いていません。パウロは、「神は、あなたがたと同船の者を、ことごとくあなたに賜っている」と告げられたと言い、「われわれは、どこかの島に打ちあげられるに相違ない」と予告しました。そこで彼らは水深を測り、舟が徐々に陸地に向かっていることを知ります。その後、パウロは食事をするように勧め、上記のように穀物を海に投げ捨てて舟を軽くし、さらに錨を切り離して潮の流れのままに進ませました。やがて舟は浅瀬に乗り上げます。次には、泳げる者は海に飛び込み、その他の者は板などに乗って陸を目指します。こうして276人全員が助かりました。「穀物を捨てて、舟を軽くする」という人の行動も彼らが助かる大切な要素となっています。
磯部豊喜
みことばの花 181003「虫(2)」
みことばの花181003「虫(2)」
「しかし、わたしは虫であって、人ではない。人にそしられ、民に侮られる。」(詩篇 22:6)
今日も「虫」について触れてみたくなりました。実は「無視」できない「虫」の聖句があります。これは詩篇22篇に登場する「虫」ですが、詩篇22篇全体をよく読んでいきますと、これは明らかにメシア(キリスト)についての預言です。この聖句は「ダビデの歌」と表題がありますが、ダビデ一人の経験として読むには適していません。ダビデは天からの霊感によって、やがて来られるイエス・キリストについて書いたのでしょう。例えば「わたしの心臓は、ろうのように、胸のうちで溶けた(心臓破裂)」(14節)とか、「彼らは互いにわたしの衣服を分け、わたしの着物をくじ引きにする」(18節)などの言葉は、十字架に架けられたキリストの姿に合致します。その中で「しかし、わたしは虫であって…民に侮られる」とあります。神の御子が人間になっただけでも「虫」になったようなものなのですが、さらに人からそしられ「虫」のような立場に置かれる経験をします。ですが主が「虫」のようになられた事実に、「虫」ならぬ人間に永遠の救いの道が開かれたという神様の真実があります。
磯部豊喜
